高収入高齢者に対する年金支給停止が財界から提言される時代になった:
関経連は、年金以外の所得が多い高齢者に対し、老齢基礎年金(国民年金)を停止するか支給額を減らすべきだと訴え、常陰均副会長(三井住友信託銀行特別顧問)は記者会見で「現行の社会保障制度を維持するのは困難で、一部に痛みを伴う改革が必要だ」と指摘した。
Source:Yahoo!Japanニュース
Date:2024年10月17日
URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/2004734832e9b91a871cd6bc18b7b02db5847aab
これに対して、現代日本のインフルエンサー(の一人)である西村博之氏が
日本の若者からお金を奪うと日本人の子供が増えません。日本の未来のために、若者の社会保障費負担を減らさないと日本人は減っていきます。『今だけ、金だけ、自分だけ』の人達が未来の芽を摘んでる中で、関西経済連合会の提言
こう発信したよし。
基本的には賛成だ。
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が、これが卒業プレゼンならコメントする点はある。
日本の若者世代が子供をつくろうとしないのはカネが足らないからだろうか?確かに、正規就業者よりは平均的に低収入である非正規就業者のほうが婚姻率、育児数とも低いという統計があるので、少子化の背景にカネの問題があるのは事実だ。
とはいえ、小生の幼少期には(平均的な生活水準は今と比べると低かったが)2人兄弟(姉妹、兄妹等々)家庭が多く、それでも3人兄弟も多くあり、一人っ子家庭はたまに散見される程度であった記憶がある ― ちなみに小生は3人兄弟。父は7人兄弟、母は2人兄弟だ。それが近年では、経済環境が恵まれているはずの公立学校共済組合所属の正規教職員家庭でも合計特殊出生率が1.9と2を割っている(資料はこれ)。
勤労者世帯の勤務環境、住環境、さらには子供という人的資産を育成する行為を「投資」(社会的には投資だ)とみるか、「消費」(私的には育児費のかさむ消費である)とみるかで社会と個人に認識のギャップがあるなど、適切な人口政策の立案には多面的考察が必要だろう。
もう一つ挙げるとすると、高収入高齢者への年金支給停止は政策的効果はともかく、法的正当性を通しておく必要がある。日本の年金は、毎年の税が投入されている文字通りの「公的年金」という側面があるが、同時に「年金保険料」を納めてきたリターンとしての年金という「私的年金」の側面もある。上の提言は基礎年金についてだが、これが報酬に比例する「老齢年金」であれば、応能負担と負担に比例した支給は社会契約であるから支給停止は困難だ。毎年の税が投入されている「基礎年金」ならば確かに減額の余地が残る。しかし、これとても国民年金保険料を納入している受給資格者の年金支給を停止することが憲法上可能か、財産権を侵害しないか、といえば小生は疑わしいと思う。
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経済状況に応じて「公的年金」を停止するというのは誰もが思いつく対策だ。が、年金は「契約」で守られた財産権でもあるという点を尊重するべきで、これは土地所有権をめぐって戦乱相続く時代を経験した日本人ならば、ピンと来る事柄だと思うがいかに。
「財産権・所有権の尊重」は日本においては「政治の肝」である。多少不条理でも、中央政府が信頼を失い争乱・内乱に陥るよりは、平和のほうがまだ良いでありましょう。
ここ日本において、財産権を一挙にはく奪する程の施策は、(大昔はいざ知らず)明治維新直後の混乱期、太平洋戦争敗戦直後の占領期をおいて、実行されたことはありませぬ。たとえ対象を高収入世帯に限定するにしても、というより「だからこそ」、弱体な戦後日本の政府にはとても無理な期待でありましょう。
基礎年金は毎年の目的税(?)から支給する文字通りの「公的基礎年金」とする原理・原則に移行することの方が先にあるべきと思うがいかに。他方、現在の「老齢年金」、即ち年金の二階以上の部分は民営化を進め、政府は、というより国民もお上の管理から解放されるので「お互いに」身軽になるという方向が小生の好みには合致する ― 日本では(当然ながら)こんな方向を提言している政党は一つもない。
それより高齢者を云々するなら、医療費の公費負担を一律3割と決定する方に緊急性がある。指摘するならこちらであろう。高額医療制度の継続の可否も、これだけ民間保険会社による任意の医療保険がある以上、財政事情に応じて判断するべきだ。
いうなら医療が先だろうと思われます。
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以下は、後刻、ついでに書き足した。
何かと言えば、社会保障を最重要政策課題と認識して、「国はしっかりしろ」と声をあげる風潮は小生は嫌いである。国の存在理由は個々の国民の生活水準を引き上げることではないと思っている。余計なお世話である。
「国」が担保するべき国家機能は、対内的には警察を含めた「司法」への信頼が核心だ。司法が崩れれば国家は体を為さなくなる。それと併せて挙げるとすれば「公教育の充実」くらいだ。そして対外的には軍事力を含めた「外交」による長期戦略が勘所だ。福祉サービスや、公衆衛生、インフラ整備、経済政策は、出来ればやってほしい事柄で、不可欠の機能ではないと考えるのが、ずっと変わらぬ小生の基本的立場だ。これらは民間で十分できるし、出来ないのは意志がないか、民間が政府の役割を担って何かをすることを政府が嫌うからだと思っている。
中国の王朝は(ほぼ)全て財政破綻が主因となって滅亡した。徳川幕府も最後はカネがなくなって雄藩勢力に対抗できなくなった。財政破綻の原因は例外なく財政の膨張である。財政が小さければ資金は民間に貯まる。たまった資金は民間が自由に使う方が良いに決まっている。民間経済が繁栄する国が破綻する理屈はない。
中央政府は、余計な仕事にエネルギーを使わず、固有の役割に集中するべきだ。あとは地方自治体に広汎な租税徴収権を与えれば、地域の課題は必ず解決できる。付加価値が形成される生産現場で地方税として徴収する。税源を移譲して地域ごとに公的な課題に対応する体制にする。立法権も大幅に地方に委譲する。そうなれば、管理機能が集まる大都市圏、及びそこに立地する中央政府にカネは集中しない。首都圏にカネが集まらなければ首都圏に人口が集中する理屈はない。人口も分散するだろう。それでなくとも、日本国の中枢管理部門はデスクワーク中心で非効率なのだ。以前にも投稿したが、日本は「頑張る現場とダメな上」の状態になってしまいやすい。《頑張る現場》でブログ内検索をかけると、実に多数の投稿がかかってくる―中でもこれが代表的サンプルだろうか。
分権。これこそ真の民主主義と思うがいかに。とはいえ、道は果てしなく遠い……、永遠の彼方にあるかもしれない。が、未来のことなど決して分かるまい。
そんなわけで、関経連ともあろう財界団体が、国の年金を云々して政府に提言するという状態は、提言の内容が適切であるかどうか以前に、民主主義が退廃している象徴であるとしか感じられないのだ、な。
【加筆修正:2024-10-19】
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