2024年10月31日木曜日

ホンノ一言: 皇位の男系継承に国連が批判的眼差しを向けているとか・・・

国連の機関が日本の皇位継承システムに口をはさんできたというので政府は国連に抗議したそうである。

例えばこんな報道になっている:

女性差別撤廃条約の実施状況を審査する国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)は29日、日本政府に対する勧告を含む「最終見解」を公表した。選択的夫婦別姓の導入や、個人通報制度を定めた選択議定書の批准を求めたほか、「男系男子」が皇位を継承することを定める皇室典範の改正を勧告した。

Source: 朝日新聞DIGITAL

Date: 2024年10月29日

林官房長官は30日の記者会見で、男系男子による皇位継承を定めている皇室典範の改正を求めた国連女子差別撤廃委員会の勧告について、「大変遺憾だ」と述べ、委員会側に強く抗議した上で記述の削除を申し入れたことを明らかにした。

Source: 読売新聞オンライン

Date: 2024年10月30日

ちょうどいま、愛子内親王を女性天皇に「推そう」という一部の強い願望があることもあって、国連ともあろう機関が日本国内の意見対立を煽動し、紛争へと誘導するつもりなのか、と。そういえば、現在のロシア=ウクライナ戦争も、元来は旧ソ連圏の内紛であったのを、欧米が口をはさみ、ウクライナに軍事支援までも行って、戦争状態へと誘導したわけである(ように見える)。マア、最近目立って増えてきた「人権」という大義の下の「内政干渉」にこれも該当するようにも観える。



ただ、どうなのだろうナア、とは思う。

例えば、イギリスの王室は、現国王・チャールズ3世その人が女系の継承であるし、19世紀にはビクトリア女王のときにも女系継承をしている。そもそもハノーバー朝(=ウィンザー朝)初代のジョージ1世は、ドイツの貧乏貴族であったが、スチュアート朝最後の女王・アンと女系でつながっていた縁で、英王位に就いた人である。その一方で、フランス王家は初代のパリ伯ユーグ・カペーが王位に就いてから以降、ずっと男系で継承した点がイギリスとは違う。ただそれは諸々の政治上の事情もあったが故であり、原理・原則として男系継承を定めていたわけではなかったようだ。そのフランスもブルボン朝が廃されてから200年余りが過ぎた ― 家門としては今も続いている。前にも投稿したことがあるが、中欧の大国・オーストリアも男系で王位を継承していたが、マリー・アントワネットの母にあたるマリア・テレジアのあとは女系継承になった。ただし王朝名が「ハプスブルグ朝」から「ハプスブルグ=ロートリンゲン朝」へ変わった。

今も残っている世界の王制の全てに精通しているわけではないが、日本のように《男系世襲》を法で定めている国は、現代にあっては極めて少数派であるのかもしれない。そんな世界の中で日本の天皇制をみると、いかにも「旧い」、というか「道理に合わない」と。そんな感覚をもって受け止められる。そういう事かもしれない。



天皇と朝廷が日本に誕生してから、今年で1700年以上は経過したのだろうか?

とにかく皇室というのは古い血統である。大貴族である藤原氏よりもずっと古い。大伴氏や物部氏、葛城氏、蘇我氏といった古代の豪族で、現代日本まで続いている一門が他にあるのかどうか、不勉強のせいか、小生の知る所ではない。

古代の大貴族が消えてしまった背景には公地公民を原則とする律令体制の発足があるとみているが、これはまた日本史に関係する論点。

今年の大河ドラマ『光る君へ』は藤原氏の摂関政治華やかなりし時代設定だが、これをみていると、平安時代にあってはつくづく皇位継承は恣意的であったと感じる。

皇太子が天皇よりも年長であったりする。その背景として、そもそも《兄弟継承》が頻繁に行われていて、皇統が複数並存(=両統迭立の状態)することもあったことがある。

というより、そもそもの初期においては、兄の後は弟が継承する兄弟継承が基本であったということも、何かで読んだ記憶がある。

大体、直系の男系世襲にこだわれば、徳川幕府の将軍も4代・家綱で絶えていた。遠縁の傍流から8代・吉宗が将軍に就いたが、それも15代目に水戸家の慶喜が血筋ではなく、能力を評価されて将軍職に就いた。血筋に基づいて男系継承を行うなら、田安亀之助(=徳川家達)が将軍職を継承するところだったにもかかわらず、だ。

日本国憲法で「皇位は世襲」と規定しているのは、能力ではなく、血筋によって継承するという主旨だと理解しているから、15代将軍・慶喜のようなケースは採らないということだろう。しかし、これを過剰に厳密に解釈すると、自縄自縛になる可能性が高い。適任者がいれば、15代・慶喜のように皇位を継承することもありうると、理解しておくべきだと思うが、違うのかナ?



「皇族」と言っても、要するに、「親族一同」である。

だから、皇位継承にあたっては、親子継承に加えて、兄弟継承、伯甥継承、叔甥継承、従兄弟継承、再従兄弟継承などなど、あらゆるパターンがありうるとあらかじめ予想し、多くのパターンを容認しておくのが自然な措置である。明文規定のように単純に「世襲」の一言で定義するのは迷走の元であると思われる。

大体、皇位継承の可能性がある皇族と言っても、個人的な出来不出来は様々である。適性もある。持病など健康もある、精神的安定もある。身障者かもしれない ― 障害があれば天皇が果たすべき職務に支障がある可能性は高い。要するに、想像を超える様々な状況があり得るということだ。

近代以前の昔であれば「天皇になりたい」と思うのが普通の皇族の人情であったろうが、それでもなお自由に好きな芸術の道を歩みたいと願う人がいたはずである。煩わしい天皇に就いても数年で譲位して、あとは「上皇」として優雅に過ごす人も多かった。

現行法制下では、生前退位もままならない。余りに硬直的ではないか。これは明治以降の天皇制の欠陥であると小生は思っている。


せいぜい「家元」くらいの感覚でよい。それで(多くの?)日本人にとっては「象徴」として十分である。

なので、思うに男系だ、女系だ、長子だ、傍流だ、何だかんだに関わらず、皇室の(≒現天皇)の裁量で好きに内閣に諮問すればよいと思う。好きに決めるとしても、その時代の自然な慣習に任せれば国民は納得する。何なら皇位継承を宮内庁と内閣で定期的に審議しても可だ。最後は国会で承諾すればそれで決まりだ。

もちろん天皇の意志がそのままで通るとは限らない。それは近代以前であっても同じだった。次の天皇、つまり皇太子だが、新天皇が践祚する直後に皇太子を誰にするかで、その時々の権力者の意向が重要だった。今なら内閣と国会が代表する国民の「総意」だろう。


これではお家騒動になると心配する人がいるかもしれないが、心配ご無用だ。そんな事になるとは到底思われない。

近代以前の体制なら、朝廷に徴税権があった時代もあるし、近世・江戸期であれば禁裏御料(3万石)、公家領が徳川幕府から認められていた。

しかし敗戦と占領を経て、明治体制は瓦解し、天皇にはもはや統治権がなく、収入を保障する固有の領地もない。資産は、皇室の私有財産なのか、国有財産なのかが曖昧だが、つまりは微々たるものである。

それどころか、国事行為の義務に加えて関係者が色々な雑用を押し付け、人生の自由を奪っている。人権上の問題があるとすら小生には思える。「皇族」とは、職業選択の自由も定年もない境遇を代々身分として相続する「永代終身公僕」とも言える特殊な家に生まれた人たちのことである、と。こちらの方が問題だろう。「国体護持」を信念に戦い降伏した陸海軍の武人たちは、いま皇室が置かれている現状をみれば、涙を流し伏して詫びるであろうと、そんな風にも思われるのだ、な。



日本国民と皇室一門とに今でも実質的な関係があるとすれば、宮中と宮家には公費が使われているという点で、割り切って言えば、その一点だけである。

つまりは皇室関連の実質的問題として国民が意識するべき論点は財政である。これ以外にはない、というより口出しをするべき立場にはないだろう、というのが小生の感想だ。

「皇族」全体の財政状態には日本国民は目をひからせるべきだ。しかし、芸能人一家じゃああるまいし、後継ぎや家庭内情況にまで関心をもつのは、「デバガメ」って奴ですぜ。余計なお世話だ。

厳格に皇嗣を決定していても、それでもなお愛子内親王の皇位継承を願望する人たちがいる。法律で決めるから、逆に「皇位継承に誰でも口出しをしてもいいのだ」となる。小生の好みには合いませんネエ、こんなのは。そう思うがいかに?


法律の明文規定として

男女を問わず皇位は長子継承とする

このように法改正を行えば国連は喜ぶのだろう。が、ここまで強く《長子親子継承》を強制すれば、いずれ困ったことが起きるのは必至である。困る理由などは両手に余る。喜ぶのは外国だけだろう。

誰が天皇になるかで国民生活は変わらず、つまりは誰でもよいのだから、後継ぎは天皇ご自身、皇族ご一同でお好きに選べばよい。

徳川時代の将軍継承とは現実的重みが全然異なるのだ。誰でもよいのだから、皇位継承、皇太子の決定は、それ自体として「政治」ではない。純粋に皇室内部の「家政」である。故に、天皇が内意を伝えても可であると小生は考える。

ただ、官庁、企業の人事部ではないが、大体の将来路線は予想しておいた上で、常に2人ないし3人の若い皇族に帝王教育を施しておくのは不可欠だ。

要注意点はこの位だと思うがいかに?

 

マア、普通の感覚で判断するなら、親王がいれば年長の息子が皇太子になる。しかし、どんな皇太子になるか分かるまい。困ったことになるかもしれない。なので、英王室のヘンリー王子ではないが、《スペア》は必要なのだ。

娘、つまり内親王がいれば娘に継がせたいと願う天皇が出てくるかもしれない。それは娘しかいないか、あるいは息子、娘双方の個人的資質をみての判断かもしれない。

しかし、それでも天皇として果たすべき職務の多さと多忙、(将来の)配偶者の地位と処遇、子に与えられる自由と束縛、践祚後に決めるべき皇太子について政治サイドから口出しされるのではないかという懸念などから、内親王は皇位継承を嫌がる可能性が高い(と推測する)。それはそれで自然な感情であろう。皇位継承に懸念がなければ、内親王は民間に降下して、自由な人生を送る方がよほど幸福であるに違いない。その事情は親王、宮家家族にも当てはまる。

故に、予断を持って決められないのだ。皇室の存在が国民的課題である体制を続けるなら、余裕をもって、備えておくべきだろう。皇統を守りたいと考える皇族及び親族は、必ず世代ごとにいるはずである。

【加筆修正:2024-11-01】

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