2025年5月15日木曜日

ホンノ一言: 「高校無償化」・・・これも社会主義的失敗の一例になるのでは?

 こんな記事がネットにある:

――どのような学校が淘汰されていくのでしょうか。

もちろん、底辺からです。先述の髙田教授は、超進学校が高倍率を維持する一方、中学校までの学習内容の学び直しに重点を置く高校や、外国籍で日本語の指導を要する子たちの受け皿となるはずの高校など、「セーフティーネットの役割を担う高校」と位置付けられた学校の存続が危ぶまれていると指摘し、子どもたちの「進路保障の危機」であると言います。

Source:YAHOO JAPAN ニュース

Original:集英社オンライン

Date:5/15(木) 7:02配信

大阪府が先鞭をつけた《高校無償化》が主因となって、多くの府立高校が廃校となっている現状はイイのかという疑問はもう世間に広まっている。

にも拘わらず、高校無償化が(それ自体として)悪いことだと判定するのは(知識不足もあって)難しいせいか、善いことだと考える流れが、現代日本社会では広まりつつある。


小生が「ン??」というか、疑問を覚えたのは下線を引いた箇所である。

高校間の競争激化によって淘汰されていくのは、「底辺から」だと。その底辺とは、学び直しの機会を提供する学校とか、外国籍で日本語指導を必要とする人たちの受け皿とか、つまりは基礎的なセーフティネットとなる役割を果たしている学校だと。そして、残るのは超進学校である、と。

感覚的に「これは理屈が通らン。この人は目が節穴なのか」と感じました。

で、ちょっと考えてしまった・・・

そもそも若年層合計が激減している中で、超進学校に進学するべき人も絶対数として激減している。激減しているのは、能力分布の各階層で共通なのだが、平均未満のグループに属する人は(能力分布の形状は非対称性をもち低い値に並み値があることが多いので)数において相対的に多数のはずだ。

急速に減少するはずの優等生をターゲットにしている超進学校の競争率が、なお高いままであることが、不可思議である。

不可思議であるが、超進学校に入れるなら入りたいという人は、すぐ下の階層から吸い上げることができているのかもしれない。

となると、平均を含めて平均未満の階層を受け入れてきた学校は、若年層人口の減少に加えて、従来なら志願してきたはずの中上階層を奪われることで、市場が過当競争になりつつある。そんなことかもしれない。

しかしながら、こんな状況がよいはずはないわけだ。

超進学校が蓄積した教育技術とマス未満に対する教育技術は、同じ教育でも質的に異なる所がある。前者が生き残り、後者が淘汰されることの結末が、社会にとって善いはずはないと思われるが、いかに?

そもそもどの位の教育コストをかけてどんな教育を子女に与えるかという保護者の意思決定だが、コストとリターンとのバランスがとれていることによって、全体として合理的な教育資源の配分が担保されるものだ。

つまり良いものは高い。安いものは安いだけの理由がある。レストランも理美容院もテーマパークも全てサービスは同じ理屈が支配する。

その意味で、アメリカのハーバード大学など一流と評価されるアイビーリーグの学費が高く、マス層を相手にする州立大学など「普通の大学?」の学費が安いのは、理に適った状態である。

コストとリターンの合理的バランスが社会全体として自動的にとれるという点が、消費者の選択の自由と価格メカニズムがもたらす主なメリットだ。

言い換えると、国として達成可能なうちで「最適」(という意味は人によって異なるのだが)な教育のあり方は、自由な機会とサービス内容を反映した多様な価格付けによって実現される。経済学を少しでも勉強した人なら、この辺のロジックは当たり前だと感じるだろう。ただ、こうは発想しない向きがいるのも当然だ。が、経済合理的な「解」とは異なる方式をとった場合、人とモノの活用において非合理な結末が予想される。そして、日本人を含めて、人というのは「非合理な現実」が露骨に可視化されれば、それはそれで嫌がるものである。


日本社会に広まりつつある(?)《高校無償化》は《社会主義国家》ならやりそうな事だ。実際、教育無償化、医療無償化、食料・住宅・エネルギーなど基礎生活資材の安価提供など、どれも代表的な社会主義政策である。しかし、社会主義の実験は1世紀も経たないうちに失敗に終わった。ここ日本で社会主義的政策をまた実験するのは自由だが、その非合理性は、かつてのソ連と同じく、理不尽な結末となって、10年程度の期間のうちには顕在化するだろう。

特に「高校」をピックアップしてそこを無償化するのも変な行政だ。高校を問題とするなら、公立小学校なら授業料はゼロ、私立小学校なら高額な授業料という状態も、同じ問題があるというべきだ。中学校も同様だ。しかし、慶応幼稚舎や学習院初等科に進学するときの授業料をゼロにせよとは誰も言わない。もし大阪府内にあれば無償化の声があがっているのだろうか?

端的に、小生は「阿呆じゃないか」と思っています。


善意であるのは間違いないが、愚かな政治の一例を増やしているに過ぎない(と思っています)。



 

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