2025年5月29日木曜日

断想: 結局は「一元論」と「二元論」のどの立場に立つかという問題だと思うが

変な夢をみた。友人二人が激論、それも高尚な話題で議論していて、小生はそれを横から見ているのだ。ところが、二人とも小生が視えないのか、振りむこうともしない。

A君: 古代インドではサ、地球が球体であるという認識がなくてさ、ヨコに広がった平面だと考えていたらしいな。

B君: そりゃあ、その手の話しは文明と関係なく、どの民族もそう考えていたんじゃない?

A君: まあ、そうなんだけど、流石にインドってところもある。そのうち、ヨコに広がった大地を支えるものがないと、落ちてしまうだろうって云う人間がいたんだろうな。するとサ、巨大な象が大地を支えているんだって・・・

B君: そりゃ変だ。象が大地を支えるなら、その象を支えるのは何なんだって話になる。

A君: だろ?それも象が支えてるンだ。そして象を支える象を支える3頭目の象もいるって話さ。

B君: 無限の象の列が上にあるものを支えてるってことか?一つの宇宙観だが、やっぱり古代の人類は無知だネエ・・・

A君: ロクな観測機器もないんだから、仕方ないよ。それよか現代も似たようなレベルだよ。何も進歩なんてしちゃあいねえよ。

B君: 現代の人間はすべて分かってるヨ。地球が球体であることや、太陽系に属していること、その太陽系も銀河系に属している事、すべて分かってるだろ。

A君: じゃあ、その銀河系はどこにあるんだ?

B君: 宇宙だよ。宇宙には他にも多数の銀河が存在している。

A君: その宇宙はどこに含まれてるんだ?

B君: だから「宇宙」だよ。空間全体を「宇宙」っていうんだ。

A君: だからサ、その宇宙の全体はどこに存在するのかって聞いてるのさ?宇宙は宇宙の中に存在しておりますって、アホな事、言わないよな?

B君: そりゃ、君、宇宙は超宇宙に存在してるんだ。

A君: 超宇宙はどこに存在しているんだ?

B君: 超宇宙はハイパー超宇宙に含まれる。

A君: 永遠の玉ねぎだな・・・古代インドの無限の象と比べて、どれだけ進化してるんだ。

ここで目が覚めた。変な気がした。

どんな宇宙観を持つにせよ、生命の支配下にある物質は生命を維持するという目的に従って動く。目的は意志によって行為につながるから、進化の度合いを無視すれば、全ての生物は意志によって動作し、物質もそれに合わせて動く。これに反して、無生命の物質は意志をもたない。意志がないから目的もない。なので物質宇宙は無目的で、ただただ因果律があるだけだ  ―  確率的現象もまた時空を超えた「因と縁」がひき起こす「縁起」で理解するとすればだが。


・・・ 結局、一元論と二元論しかないと思うようになった。

二元論では、「意志」なるものがあるとすれば、それは物質とは次元が異なる「精神」がもつのであり、精神は物質とは区別される形で実在する。とすれば、生物の生死は観察可能な物質的存在としての生死であるので、精神の生死とは別の現象である。ここからピタゴラスやプラトン、インド哲学のような輪廻という思想が生まれてくる。

一元論は、物質か精神か、どちらかが究極の存在だという思想だ。唯物論は、精神は物質に従属すると考える。究極的には、実在するものは全て物理的存在、つまり素粒子がとる形として理解される。なので、意志や目的、真理への憧れや美への感動、善の尊重という意識も、すべて物理化学的に説明されるべき現象だ、と。こういう筋道になる。

考えている主体は素粒子である。

一元論的な唯物論の立場にたてば、最終的にはこういうことになる。

他方、物質は精神に従属するという唯心論にたてば、物質的存在も精神の支配に従って運動したり、変化する。これが、単に人類文明の活動のありようだけではなく、宇宙の物質的現象はすべて「何らかの」精神の活動の結果であって、宇宙は一つの有機体として理解するべきだ、と。こうなると、やはり一つの宇宙観だ。さしづめヘーゲルの「世界精神」などは、こちらに分類されるだろうし、「神」の概念も宇宙の根源に「意志」と「目的」を置くので、一元論的唯心論に近い。

小生の立場は、最近の投稿でも書いているが、二元論的な宇宙観にちかい。

一元論的な唯物論は、

人間が考えるのも、つまりは物質が考えている。要するに、物質は考えることができるのだ。物質が意志を持つことは可能なのだ。

という「仮説?」を主張させられる理屈になるので、この違和感を克服できそうにない。

物質が意志を持ちうるとして

ある物理化学的現象があるとして、なぜそうした現象が生じているかという原因‐結果の枠組みで現象を理解するのではなく、モノ自体がこうなることを望んでいるからである

と、このように意志的運動として理解するのは、近代科学の理念と真っ向から衝突すると思う ― 社会科学は意志をもつ合理的存在としての人間を前提しているから本質的に違う。

同じ一元論的な宇宙観でも

宇宙全体は、何らかの「最高の精神的存在」、というか「究極的な意志」に従いながら運動している。物質がエネルギーに戻ったり、エネルギーが空間に作用して物質化したり、すべては目的をもった究極的な意志による・・・

こう考える方が、まだどちらかといえば、違和感を感じない。


自動運転で走行する自動車をそうさせているのはAI(=人工知能)であり、その人工知能を生み出したのは人間の知能である。

そして人間の知能を生み出したのは、究極的な知能であり、決して物理化学的法則が偶然に作用した結果ではない。

この辺が、現時点における小生の立ち位置である。



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