同じ米騒動でも大正・日本の「米騒動」と令和・日本の「米騒動」は、現象形態が全く違っている。
大正時代には民衆運動が爆発して大騒動となったが、現代日本社会では「識者」(?)がメディアやネットで発信したことを、普通の国民が聴いたり、読んだりしては、職場の雑談や井戸端会議(?)のネタにする。どうもそんな情景が支配的だネエと、達観しているところだ。
これでは確かに、民主主義とは言っても、有権者は議員になめられてしまうのじゃあないかと。そう思うのだが、日本社会はもう往年のエネルギーが枯れ果ててしまった様子だ。
この頃は、
農林水産省は本気になって米価を下げようとしていない
と、こんな憤慨の念を伝える声が色々な方面から上がっている。
タイミングもよく、というか悪く、農林水産相の舌禍事件も出来してしまった。支援者からコメのさしいれが売るほどあるから、自分はコメを買ったことがないと地元の寄合で支援者たちにしゃべってしまったようなのだ、な。こんな話が外に漏れて、TVがとりあげるなど、不可思議なのだが、ひょっとして、いや当然のこと(?)、野党シンパの間諜(≒スパイ)が会場に潜り込んでいたのかもしれません。
それはともかく、最近になって、多く耳にする意見は
備蓄米を入札にかけるなんて笑止千万。高値で売って政府が儲けているだけじゃないか。政府の方から安値を明示して引受業者を選ぶべきだ。
と、そんな意見が出てきている。
ヤレヤレ、・・・こんなことをすれば
売却予定数量を超える応募があるのは確実だから、入札というより、ずっと昔の日本住宅公団入居者募集のような抽選をしなければならない。安値払い下げとなると、業者間で相当高い競争率になるに違いない。
そうすると、業者選定の前に贈賄の動機が業者の側に生まれる。何と言っても「国有財産の安値払い下げ」は、明治以来の歴史を通して、官民癒着の構造汚職の巣窟であったのだ ― 備蓄米は「払い下げ」ではなく「買い戻し条件」が付けられているって?しかし、100で仕入れた物を1000で売り、1年後に500に下がったものを買い戻して決済するとしても、利益400が出る。条件付き安値売却と安値払い下げは、(多少のリスクが発生するが)実質は同じことである。
本当に業者選定は公正に行われたのか?応募資格の定義は適切だったのか?安く仕入れて高く売れば利益が出るのに決まっているから、これは一部の国民にだけ利益機会を与えるのと同じである、と。法の前の平等に違反するのではないか?等々
どんな批判、非難が政府に寄せられるか、まるで今から目に見える様である。
引受業者が市中に販売する時の販売価格まで政府が指定(できるとして)するとしても、今度は安値で仕入れた川下業者(さらには一部消費者までもが?)が高値で転売できる限り高値で売るであろう。これを禁止する方法は政府にはないはずだ ― まあ、戦争直後のような「経済警察」でも作るなら出来るでしょうが。
要するに、価格は市場が決めるのであって、政府が統制できるわけじゃあない。
商品というのは、高く売れている限り、高値で仕入れる流通業者がいるものなのだ。
これが経済の鉄則だ。この経済の鉄則を力で封じようとすれば《低価格=公定価格》となり超過需要が発生する中で、《闇米》が高値で売買されるという、まるで昭和20年代の日本のような情況に戻るだけである。
そうなったら、先進国(?)として、恥ずかしいですゼ。経済学のイロハを知らないのかとバカにされるでしょう。
農林水産相が説明しているように
すべて国有財産を売却する際には競争入札にかけなければならない。これを例外的に、市中相場より安い価格で売却することも可能とするには、法改正が必要だ。
そしてワイドショーの「いけいけコメンテーター」が主張するように、「押っ取り刀」で《国有財産の安値払い下げ》を認める法律を施行したとしよう。しかし、そうなれば今度は東京五輪スキャンダルに匹敵するような大掛かりな汚職が発生して、1年から2年程度は日本政治が機能マヒに陥るのは必定だ。
やりたいなら、それも一興。令和の政治をみたいという気持ちもある。「米価スキャンダル」が必ず出るとは限らない。(だんだん食べなくなってきたはずの)「コメを安く払い下げ」なら庶民は喝采でゲショ?不正がないかと御アトが怖いし、悪質転売ヤーの暗躍も心配だが、やるっきゃない!・・・ま、ご随意に。
という所です。でもネ、簡単に予想出来る事がなんで予想できないかナア・・・という気持ちで御座います。
市中の米価は、将軍・徳川吉宗でも四苦八苦した難物なのだと、まず問題の難しさを認識すること位はしたらどうでありんしょう。
特効薬については何日か前の投稿に記したので省略。
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