今日は日曜日なので毎朝の読経は休み、カミさんと一緒に合掌して十念のみですませる。朝食後に一枚起請文の写経をする・・・そんな習慣になってきた。
日常勤行では無量寿経にある「重誓偈」や観無量寿経の第九観にある「請益文」、それと天台系の摩訶止観に由来する(と言われる)「四弘誓」が中身の柱になるが、手元にある勤行式では一枚起請文のあと請益文を読み、そのあと念仏一会で念仏を多数回称え、最後に四弘誓、三身礼、送仏偈で終わる順序だ。
こう並べて見ると、仏典のそもそもは知識重視、学問重視、観念重視であったのが、一枚起請文に至って、
ただ一向に念仏すべし
と、ひたすら実践あるのみ、学問・知識・理屈は不要という風に、原理原則が変わっているのに気がつく。「ただ一向に」というのは、余計なことは考えず、これだけをせよという意味で、それは一枚起請文の本文の中でも
このほかに奥深き事を存ぜば二尊のあはれみにはづれ本願にもれ候べし
と、学問・知識は邪魔であるという断定が下されている。つくづくと、「これでイイのかなあ」と不思議だナアと思うことは多い ― このように疑いをもつこともいけないとされるのだが。
確かに、これは日本仏教史、というか思想史の上でも、革命的であったのだろう。だからこそ、浄土系信仰は平安以来の流行であったにもかかわらず、既存の教団からは「異端」として迫害され、弾圧されもしたわけだ。
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先日、フランス人が仏教史を書くのは珍しいと思って、ジャン=ノエル・ロベールの『仏教の歴史 いかにして世界宗教となったか 』(講談社選書メチエ)を読んでみた。その中の第10章が「朝鮮から日本への伝播」だ。
日本仏教は飛鳥時代、奈良時代、平安時代を経て、鎌倉時代に至って浄土系宗派、その反動としての日蓮宗、それから禅宗が興隆することで国民的な広がりを達成できたというのは、よく知られている事実だが、著者のロベールはこれを
こうした潮流の全てに共通しているのは、膨大な大蔵経に説かれている極めて複雑な教義、実践、儀式の抜本的単純化である。実際のところ、大蔵経全体を読んだと自慢できるのはほんの一握りの僧だけである。民衆、貴族、武士に自らが実際に、そして有効的に仏教を実践しているという気持ちを抱かせたことが、こうした単純化された教えが、さまざまな階級に受け入れられ、普及した理由である。
このように《抜本的単純化》が本質だったと見事に指摘している ― ただ者ではないわけだ 。
細かな理屈は捨てても問題なしと割り切り、ただただ一つの事の実践あるのみと心を決めて、それだけに打ち込む。
実に《日本的》である。
日本文化の本質は引き算の美学である
誰だったかナア・・・忘れた。調べておこう。
シンプルを愛する日本人の感性が、やはり外来宗教である仏教でも生きていると思うわけで、世界宗教、普遍宗教である仏教もまた日本に来れば《日本仏教》になる。なるほどネエと、インド仏教が中国に渡れば中国仏教になっていたようにも思うが、ともかく奇妙に納得する自分がいる。
哲学も、法律も、制度も、民主主義も、世界普遍の設計図とは(多分)ずれていて、いま日本人が信じているのは極めて日本的な「法」であり「民主主義」である。そうも思われるのだ、な。
「日本特殊論」はカビの生えた古い発想だと言われるだろうが、つくづくそう感じるのだから、仕方がない。
ただ
大事なことはこの一点なんだよね
ということで終わりと思ったのが
真理はこれ一つだけではないよね。他にもあるんじゃない?
ということで、再びグチャグチャになる「主観主義的」な進展、というか混乱(?)が日本では割と多い。これもまた、シンプリファイ(単純化)する中で、捨て去った諸々の細部を、別の流派が再認識して別案として提示して対抗するという当然の進展であるわけだ。
この意味では
日本では《選択による単純化》が成功する例が多い。がその反面、矛盾や対立を嫌がらず、精緻な議論と細部の詰めを諦めず、これらを貫く最も抽象的な基礎概念を掘り当てて、今度は逆向きに全体を理路一貫した統一体系に見事に組み上げるという、気の遠くなりそうな《総合化と体系化》の作業には苦手意識がある。
こうも言えるかもしれない。日本人はずっと昔から《一筋の道》を好むのである。《道路網》には興味が向かない。先手にせよ、後手の先であるにせよ、急所をついた一太刀にかける。言葉のいらない無の境地。こんな行き方が清らかだと感じて好きなのだ。主観が客観に優越しがちなのは日本文化の本質を映していると思っている。
システムをつくることが下手であるという弱点もここにあるような気がする。他力信仰としては「専修念仏」という革命的提案をした法然の見解は主著である『選択本願念仏集』にまとめられているが、その主旨は多数ある仏道の中で、これを選択する、これが最も有効である、という点にあったことを思うと、外来文化受容の日本的パターンは、実はずっと同じであったかもしれない。
*
こんなことを思いながら、いつの間にか今年も夏至が迫って来た。
冬の間は
雪晴れや 気は清浄に ゴミ出しぬ
法然を 書き写しけり 雪の窓
といった風であったが、
つい先日は
桜より こぶしが先と 思い出し
そのすぐ後で
桜より こぶしが先と 思いしが
はや満開の 桜なるかな
今日などは
写経する 朝のひかりは このごろは
起くるまへより さし入りにけり
そういえば、少し前にはまだ暑寒別の山に雪が残っていた。
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