2018年10月24日水曜日

電気版: 欲しがりません、勝つまでは

地元紙・北海道新聞の朝刊に以下の記事が載った:
胆振東部地震後に起きた道内の全域停電(ブラックアウト)を検証する電力広域的運営推進機関の第三者委員会(委員長・横山明彦東大大学院教授)は23日、東京都内で第3回会合を開き、再発防止策を盛り込んだ中間報告をまとめた。
結論は『停電は苫東厚真火力発電所(胆振管内厚真町)の停止や送電線事故など複合的要因で起きたと結論づけ、北海道電力の対応は「不適切だったとは言えない」と指摘。北海道と本州をつなぐ北本連系線増強の是非を検討することも提言した。』というものだった(上記記事から引用)。

『北電の対応に問題なし』ということは「構いなし」。経営責任は追及しないという判断が下されたことになる。

これに対して、道新は『中立性欠く人選 北電擁護に終始 停電検証委』というヘッダーをつけて批判的な評価をしている。

中立性を欠く人選というのは、委員長以下、電力システムに詳しい大学教授が何人か含まれており、それらの人々は(当然ながら)電力会社と近しい関係にあり、故に「中立性を欠く」ということのようだ。(電力の?)専門家から寄せられた一言コメントも「北電に経営責任あり」、「デンマークなどでは風力発電など電源を分散化しており停電は起きていない」等々、再エネ率上昇に消極的であった北電の責任を追及する意見を新聞社としては選んでいる。

常日頃から脱原発論者であることが明らかな(メディアが●●論者であること自体が奇妙なのだが)道新であるから、こうした評価をするのは不思議ではないが、思わず連想してしまったのが、上の表題である。

***

素朴な疑問。

北電の経営責任を追及するなら、なぜ行政責任を追及しないのか?日頃から行政の責任を追及するのに躊躇しない道新にしては、エネルギー政策・エネルギー規制・環境規制を所管している行政全体をチェックする姿勢が甘い。

小生は、今回のブラックアウトの原因の過半は、東日本大震災以降のエネルギー戦略を進める中で起きた戦術的失敗にあるとみている。行政の失敗が7割、北電の怠慢による失敗が3割。こんなところではないかなあと、日ごろの報道やら経験を思い出すと、そうした印象をもっている。だから、半分以上の責任は行政機関にあり、この数年間のエネルギー・環境・国土管理行政を全面的に検証しなくてはならない、と道新が主張しないのは小生には非常に不思議である。

北海道新聞の現況判断は

冬の電力安定供給にめど 北電、火発再稼働で上積み見込む


という見出しに表れている。

データはどうなっている?ヤレヤレ・・・地元紙がこうだからネエ・・・

本当に大丈夫か?新聞社に命の責任はとれるのか?

いま朝ドラ『まんぷく』では、米軍による空襲(≒空襲被害?)が増えてきた昭和19年から20年にさしかかっている。街角には「欲しがりません、勝つまでは」、「進め一億、火の玉だ」のポスターがベタベタと貼られている。

国家的目標もよし、崇高な理念もよし、ただ原理主義者は常に非人間的である。

多分、主観的には良心に忠実なのだろう。が、選択肢が唯一であると信じるドグマに陥った独善主義者は、政府であれ、マスメディアであれ、非人間的であらざるを得ない。必然的に、だ。

そこにはデリカシーがない。柔軟性がない。生命のリスクに配慮をしなくなる。嫌でござんす、な。そんな御仁は社会の発展に寄与できるとは思わない。ただ声が大きいだけの存在に堕する。余計ものである。

こんな風に思われる今朝のことであった。



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