2018年10月9日火曜日

北海道ブラックアウト損害賠償請求の後日談

今朝のニュースによれば、標題の損賠賠償に関してコープさっぽろは北海道電力に対して法的措置はとらないとのこと。

そうか、そうか・・・決行すれば類似の訴訟が殺到していただろうから、止めてよかった。インタビューをうけた道内事業者も『今度のことは地震ですから・・・仕方ないんじゃないかと思っていました。(認メラレタラ、ドウスルカト聞カレ)そうですね・・・認められたら、やっぱり人間ですから、請求は検討はするでしょうね』、マア、こんなところが多数の回答だった。

訴訟は止めたそうだが、今回の道新報道は道内では結構な反響であった。『北海道内のエネルギーの在り方を考えてもらうきっかけにしたかった』というコープさっぽろの希望は実現できたと言えるだろう。

こんな内容をTVで視ながらカミさんと話した:

小生: これは圧力だな・・・ 
カミさん:圧力って、どこの? 
小生: そうさな、道庁あたりじゃない?もし裁判になればサ、今度のブラックアウトは北海道電力だけの責任なのかってサ、証人尋問を入れながら、洗いざらい事実関係を証言させられるだろ?絶対嫌だって人は、道庁、官庁、いっぱいいるやないか。 
カミさん: ホント、性格悪いよねえ・・・そんなんで毎日面白い。 
小生: 人間関係のサ、ドロドロした保身とか、出世欲とかさ、そんなの大好きでさ、ワクワクするんだよね。

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2011年の福一原発事故の事故原因については4通り(3通り?それとも5通り?)の調査が行われて、4通りの結論が書かれていると聞いている。

一つ言えることは、東日本大震災の広い被災地に多数あった原発関連施設の中で大事故を起こしたのは福島第一原発だけであったという事実だ。その福一原発も地震そのものに対しては、設計通り運転が自動停止している。そもそも福一原発は震源地の最近接地点にあったわけではない。あれほどの大規模事故に進んだのは、津波による電源喪失である。緊急用発電機、外部電源と繋がる送電線が被災し、やってきた緊急電源車のプラグが合わなかった ― というよりそれ以前に、自衛隊機で東京の現場に戻ろうとする社長を越権行為のかどで離陸地に戻らせた当時の菅直人内閣の迷走ぶりも要因として見落とせないだろう。

要するに、一見したところやむを得ない天災による大事故であっても、詳しく見ると天災から直接に引き起こされた損害はそれほどのものではなく、大事故に至った要因(近因と遠因)は、人災的なものであり、関係者の判断ミスが主たる原因であるというケースは実は多いのだ、な。

小生は、今日に至るまでの福一原発事故による災害は、人災的側面が半分以上の割合を占めているのではないかと推測しているのだ。

こんな見方を整理すれば、優に400ページ程度の書籍になるだろう。誰かまとめてくれないだろうか・・・(アタシャ、もう年でござんす)。調査委員会の分析は委員会ごとに構成員の違いもあって相当バラバラであり、見方によってどうとでも言えるような部分もあると耳にしている。が、確定された事実は共通認識として知識化したいものである。

東電、経産省、内閣、その他関係者それぞれの責任割合を秤量することが最も大事であるはずなのだが、あまり聞いたことはない。世間は「東電が悪い」の一点張りであり、今回の北海道ブラックアウトもまた「北電が悪い」の一点張りになりそうだ。

ほんとうに毎度、頭の悪いなりゆきで、困ったことだと思う。

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そもそも福島第一という退役予定の原発施設を運転していたのは何故かという疑問に直接回答してくれる人はこれまで見かけたことがない。

背景として、2003年だったか(?)、その福島第一に加えて、新潟柏崎原発など複数の原発施設で発生した微細トラブルの隠蔽、データ改竄が発覚したところから、東京電力が保有する全原発施設の運転が停止させられたことは、まったく関連がなかったわけではないだろう。

それから2007年だったか、新潟県で発生した中越大地震。その時も、柏崎原発は設計通りに停止したが、その地震強度が設計基準を超えていたというので東電は再稼働までにかなり苦労した(と聞いている)。

電力需給のバランスと電力の安定供給を至上命題とする東京電力にとって、運転許可/稼働停止のいずれかで揺れる行政リスクの高まりが、退役予定の福一原発を継続使用する動機の一つになったという見方は、証言をえたわけではないが仮説としては理屈にあっている。

上の段落において、東京電力を北海道電力に置き換えることはできない。なぜなら、北電は泊原発に替わる老朽原発施設をもっていないからだ。原発施設ではなく一極集中体制で電力発送電を行った。そこにはやはりリスクが潜在していた。これが基本ロジックである。

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社会的リスクとは、個々の市民から見ればババ抜きのババのようなものだ。行政機関がリスクの発生源となりながら、そのババを民間経済に押し付ければ、民間の経済主体はババを自分以外の他者にパスしようと考え、損失回避のための合理的行動をとるだろう。

現在は、エネルギー産業においてすら競争圧力にさらされている。企業経営合理化への規律なりディシプリンが働いていないはずはない。大局的にいって、東日本大震災後の北海道電力の行動に非合理性はないと小生はみている ― まあ、重箱の隅をつつくように見れば、何らかのミスは見つかるだろうが。

非合理性があるとすれば、競争にさらされていない行政機関の側に隠れているはずであり、エネルギー分野であればエネルギー関係機関の行政プロセスが全体として妥当であったのか?ここをまず検証するべきだ。

まあ、ロジックはこうなるが、最近の政治結社化したマスコミ大手はあてにはできないねえ・・・やはり信頼するべきオピニオンはネット経由で公開されるだろう。

小生: それにしてもあれだネ、運転を認めるべきでなかった福島第一は運転を認め、そこを津波に襲われて大事故になった。稼働を認めておくべき原発は止めつづけ、今度は供給力不足でブラックアウトを招く。 
カミさん: でも冬でなくて良かったよ・・・もし外が吹雪だったら、水も凍るし、ストーブも止まるし、どうしたらいいんだろうね。 
小生: ホント、大失敗ばかりサ。責任もとれないくせに権限だ、認可だって言い張ってさ、それで何かあると責任はとらずに(今の世では切腹も出来ずとりようがないので)、業者が悪いって開き直るしかないのは、みていても不愉快になるネエ。形式的な安全チェックだけにして、自由化したらいいんじゃないのかなあ・・・自由には責任がともなうから、そのほうが企業も最先端の知識をつかって、管理するはずだよ。なまじお上がシャシャリ出てきて、「我々が審査しましょう」なんて言い出すから、ミスが起きて、それだけではなく無責任社会にもなる。
カミさん: まあ、まあ、カッカしないこと! 

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