2018年10月26日金曜日

断想: 月参りで配布される冊子から

毎月一度、下の愚息もお世話になった寺の住職が読経に宅を訪れる。月参りである。一通り読経が終わると、『はちす』という名のパンフレットを畳の上に置いて帰る。時に茶一服分、休んでから帰ることもある。

『はちす』とは何の意味か調べたことはない。遠方にあるもう一か所の寺と共同編集しており、今月号で200号になると書かれてあった。長く続いたものである。

今月のテーマは「お十夜」だった。小生が親から継承している他力本願の宗派からみれば重要だとされている行事である。その主旨は「せめて僅かな善根功徳を為そう」というところにある。というのは、他力思想の根幹には『人は自らの意志で善い行為を行えるわけではない』という人間認識があるからだ。・・・更に敷衍すれば、人は善いことを為そうと考えつつ、その実は悪行を重ねるということもママある。

多くの人々の常識は「慈善なり修行なり、良い(と考えられる)行為を積み重ねていけば、その人の魂(なるものに無関心であれば、本日の話題もまた無意味であるが)は、救済に至る」というものだろう。

他力思想においては『善悪と簡単にいいますが、実は難しいことであり、善悪は人間の都合で変わるのが常である』と、そんな主旨のことが書かれてあるのが今月号の『はちす』だった。いわゆる『小さな親切、おおきなお世話』というもので、自分自身が善いと考えた行為であっても、それが悪いと考える立場にたっている人も世界には多いわけである。「親切の押し売り」が実に嫌なものであるのは誰しも経験することであろう。この辺の儚さは映画化もされた浅田次郎の佳作『柘榴坂の仇討』を思い出すまでもないことだ。

「お十夜」というのは、これだけは善いことであるという確信をもって参加できる場の一つである。そんな認識をしている。


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