2018年10月3日水曜日

社会の舵とりはルールや法律が行うのではない?

現代社会に自己増殖している法匪(<=法律専門家)については先日も小生の見方を書いておいた。

最近、TVのニュース、というよりはワイドショーの方であるが、頻繁に『これは法律的にはどうなんでしょうね?』、『規定はどうなっているんでしょう?』という言い方をよく耳にする。

言うまでもなく『法律に違反している以上、一刻も早く摘発して、相応の処罰を課するべきではないか』という主張をしたいわけである。その裏側には『正直者が馬鹿をみる世の中は最低である』という感情があるのだと思われる。

小生は相当のへそ曲がりだ。この点は何度も断っている。だからここに書くのだが、『規定に違反しているとしても、だから何ですか?』、『あっ、法律に違反してますか?』と、いつも反論したくなるのだ、な。

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法律に違反しているからと言って、一人残らず摘発して処罰するような社会が良い社会だとは実は思っていない。

たとえスピード違反が見過ごされ、あおり運転で不快な思いをするにしても、路上で(何に腹を立てたのかわからないが)暴言を浴びせられ、「殺すぞ」とののしられたとしても、だから直ちに相手を警察に引き渡したいという気持ちに駆られたことはない。なぜなら、自分もまた若いころ、殺人的な満員電車の中で足を踏まれたら踏み返したし、もたれかかられて不愉快な思いをすれば故意に肩透かしをして相手を転倒させたりしたことも何度かあったからである。

微罪を凡人の愚かさとして互いに許しあうのは、車のハンドルに遊びがあるようなものだと思っている。

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こんなことは誰でも分かっているのに、法律なる条文に違反している者がいないかどうかを常に監視する人がいるとすれば、その理由は自分が「馬鹿な正直者」になりたくはないからである。だから他人を監視するのだ。

社会で合意できるルールとは、本来は誰にとってもプラスになるからルールになるものだ。社会の同調圧力で守らせなくとも、ルールを守る方が自分も得をすると分かっているから自発的に守るのがルールである。法律も同じである、というか同じでなければ、その法律は守られないだろう。

互いを監視するのは、自分たちが守ろうとしているルールが良いルールであるか無茶なルールであるかに、実は自信がないためである。

社会的には無理な合意であり、法律であると誰もが分かっているときに、違反者に対して社会は過酷になるものだ。違反者にペナルティを求める底には怒りがある。「自分はきちんと守っているのに、お前は抜け駆けをしやがって・・・」という憤慨に非常に近いのではないだろうか。良いルールが浸透した社会では「ルールを知らないなんて、愚かだねえ、教えてやれよ・・・」という憐憫が支配的になるはずだ。

人間を大事にしない社会は法律を大事にする。規定を大事にする。条文を大事にする。しかし、現実の社会は軍隊でも会社でもない。社会にはまず文章で定めた法律がある・・・という考え方そのものに小生は異論をもつのだ、な。
そりゃあ、違うでしょう。一晩あけて明日になったら、突然サ、日本って国が消えていたとしなせえ。それでも我々、多分、生きてまさあ。法律があってアッシ達があるなら、法律が消えたらアッシ達も消える理屈でござんしょう。法律なんてものは、あったほうが世間の役に立つから、作っているだけでござんすヨ。世間の暮らしの役に立つってんなら自然に守られましょうし、邪魔になりゃあ止めちまえばいい。それが民主主義ってもんじゃござんせんか。
まあ、この辺で十分か・・・以上をまとめると、本日の標題のような文句になる。

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戦前期日本にも「贅沢は敵だ」と書かれた標語の「敵」の前に「ス」の字を落書きした人が多数いたそうだ。現代社会であれば、隠れて「ス」の字を入れるのではなく、堂々と名乗って入れられる社会になっていなければならないだろう。

弱い軍隊は軍律だけは厳しく過酷である、というのは古来の戦訓である。作家・永井荷風は『断腸亭日乗』の中で戦時中の臆病で神経質な国民総動員精神なるものを揶揄している。非常に面白くて小生が一番気に入っている個所である。

まあ、総動員でなくとも、<脱***>や<***化>は現代の国民運動であるし、<***時代>などという日本語も総動員精神に類似した使われ方をしている。そうそう、<**主義>という言葉も「おにぎり社会」の日本ではすぐに国民運動と化してしまう。まったく「物いえば、唇寒し」の今日この頃でござんす、というのは案外多数の日本人で共有された思いではないだろうか。堂々と揶揄され、反論されるだけの器の大きさがなければ、これらの言葉はからかわれ、疎んじられ、いずれは近い将来に消えていくだろう、と。人間の小さな脳髄が作り出す「意見」などというものは、現実という歴史の碾き臼でひかれて、永く使えるものだけが生き残っていくものである。そう予測している。

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