2020年3月19日木曜日

一言メモ: 米・共和党政権は天敵に勝てるか

小生が愛読しているブログの一つに"Econbrowser"がある。

最近の投稿の一つのタイトルは
だ。

確かに、新型コロナウイルス禍に見舞われている今のアメリカ政府の陣容を視ると「お寒い限り」。この一言である、な。

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2016年の大統領選挙でトランプ候補が選ばれれば自国がどんな風になるか、アメリカ国民は相当程度の予想ができていたはずだ。その通りになっている。

そういえば、2008年のリーマン危機に際してブッシュ共和党政権は無力だった。1929年の世界大恐慌の時もフーバー共和党政権は無為無策であった。父ブッシュ政権も共和党政権であったが1992年の再選の年に景気後退に見舞われクリントン民主党候補に現職でありながら敗れてしまった。

アメリカの共和党政権の天敵は「経済危機」である。


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それにしても・・・

『嘘つきの政治家は嫌いだ』という嫌悪感ほど非現実的で自分の首を絞める心情はない。「嘘つきヒラリー」には投票したくないという主観的心情を貫いた人たちは自分の願望を達成できたのだろうか。政治家は皆すべて嘘をつくのだ。政治家はただ国益を拡大してくれればいい。そうすれば、結果として多数の人には悦ばしい。これだけは確かだろう。

心は左に、財布は右に

フランス、というより欧州のリアリズムは政治を政治らしくしている。そのヨーロッパの意思決定が時には自ら壁に衝突して傷を深めるような確信犯的頑迷さを呈するのは実に不思議なことだ。

一方は愚かで、一方は賢い。しかし、問題解決には両方とも失敗しそうだ。政治家が賢いか、バカかというのは、社会の政治的安定にはどうでもよいのかもしれない。かと言って、部下さえ優秀ならそれでよいというなら、これも間違いなのだが、本当によく分からない。

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上で「分からない」と書いた点に関して: 上が下を動かして組織をマネージするというのが組織を活性化する本筋であって、下が個人的思惑から気ままに独走するのは「下克上」になるので処分の対象とするべきだ、というのが原理・原則になる。とはいえ、上の腐敗と退廃が酷いときに下が上の指示に従わない行為はどうするのか、という問題が残る。下は誰でもなれるが、上は選ばれてなるのだから、この種の状況は稀であるという経験則があるなら、結論は明らかだ。やはり上意下達の原理原則を厳格に守るべきだという理屈になる。しかし、必ずしもそうでない。組織トップが誠心誠意、組織のミッション達成に努力するのではなく、個人的思惑から自身のミッションよりも自分の個人的な目標達成を優先させるかもしれない。意外とこんな状況が発生する確率は高いかもしれない。そうするとトップをどの程度信頼すればよいかという点で疑惑が生まれる。昔の戦国大名なら、オーナーである自家が生き延びるためなら、戦っても降伏してもどちらを選んでもよい。自分が責任をとればそれで済んだわけだ。家臣は主君に着いて行くならそうすればよい。嫌なら辞めるか、敵に内通すればよい。しかし、現代社会の「雇われトップ」はオーナーではない。一定範囲に制限された管理権限しか与えられていない。しかし、それでは上が下の勝手な我意を抑えることができず、組織改革も困難になる。(多くの国、多くの組織では)下は組織のことは考えないと前提できるのでこれは問題だ。で、議論は延々と続く・・・・・・

トップによる強い指導力が、望ましい場合もあれば、望ましくない場合もある。事前には正しいかどうかが分からないのだ。

安直に言えば、経営にせよ、政治にせよ、「結果オーライ」で割り切るべきなのだろうか。勝海舟が『痩我慢の説』を著した福沢諭吉に返事を出したように
行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候
(行動は自分で決めること、それを誉める貶すは他人がすること、自分はあずかり知らぬこと )
 勝海舟の行動と後世の評価も相当程度は「結果オーライ」ということなのだろう。リアルタイムの評価は、幕府内部で散々であったらしいから。

『結果良ければ全てよし』という諺があるが、ある意味、経験的に学ばれた知恵である、と。そんな風に感じることは多い。そういえば『毛を吹いて きず を求む』という句が漢文の教科書にもあったなあ。しなくともよいのに重箱の隅をつついて混乱を招く愚行のことだ。

関係のないことを書き足してしまった。後段の話題は、ま、いずれ改めて。


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