2020年3月25日水曜日

一言メモ: 「善行」の裏にいつも「善意」をみようとする伝道者的メディアにも困ったものだ

昨年後半には予想もしなかった「新型コロナウイルス禍」。多くの国民の窮状をメディアが報道する中で、いかにして『社会に貢献するか』が時事的な、かつ国民的な課題になっている。そんな風潮に棹さすような言動は中々とりづらいものだ。

とはいえ、小生は何度も書くように「へそ曲がり」であることにおいては人後に落ちない自信がある。

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不足しているマスクだが、電機メーカーであるシャープがマスクの量産に着手するという件はしばらく以前に公表されている。これに関して、

シャープの親会社である台湾、鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴー)前会長の号令一下、中国子会社のフォックスコン(富士康)もマスクの量産を始めている。非常時における反射神経の良さは、日本企業も大いに学ぶべきだろう。 
(中略)これぞ企業の社会的責任の果たし方である。シャープも政府に供給して余ったマスクについては、自社のECサイトで販売する計画だ。
 URL:https://blogos.com/article/445407/


ジャーナリストは、社会のために何かためになることを発言したいと考える人たちが志願する職業だ。つまり、自分自身は特に具体的な事を何もしないのだが、社会のためになると思われる事を伝えて説明するという仕事をしている。こんな仕事が真の意味で社会のためになっているのかどうか、小生は詳しいことを知らない。ジャーナリストが他のジャーナリストの仕事を紹介して称えるという例をそれほど見ないということは、当のジャーナリストも自分の仕事がそれほどまで社会に貢献しているとは考えていないのじゃあないか。こんな風に邪推することが実は多いくらいだ。

確かにシャープがマスクを量産してくれることは小生も嬉しい。

しかし少なくとも言えることは、シャープは「社会のためにマスクを生産する」わけではないということだ。第一に、自社で必要とするマスクが調達困難になっているので自社生産に切り替えたということ、第二は政府が買い取るというので多めに生産して儲けること。より多く生産することでマスク1個の原価を抑えられることにもメリットがある。要するに、いずれも自社利益の拡大のためであり、これらが概ね動機の100パーセントを占めるに違いない。

「社会的責任を果たす」ために生産しようと決断する社長がいれば、ヘソが茶を沸かす前に会社が潰れてしまいますぜ・・・。企業経営は会社のためにすることだ。自分よりも前にまずはお世話になっている世間様に・・・などと、そんな甘いものではありませぬ。ま、口ではそう言った方が利益につながるが。

結果として社会のためになることをやっているから、その動機もまた社会のためになろうという志であったに違いない、と。単純素朴にそんな夢物語を伝導するジャーナリストはもうご退場願いたいものだ。こんな間違ったものの観方が浸透すると、本当に社会のためになる仕事を汚いと言っては嫌がり、社会に貢献できる綺麗な仕事ばかりを探す無為の若者を大量生産するだけだと心配している。

何をどう言うか、まあ些細な事だとまでは言わないが、朝乃山を育てた高砂親方ではないが
口上よりも、行動が大事です
自己利益に基づく企業経営であっても欲しいものを生産してくれれば嬉しいし、他者の幸福を願った行動であるとしても余計なお節介になるのは普通にあるものだ。この点で、小生はカント流の道徳形而上学ではなく、経験論的な功利主義哲学に共感を覚えている。

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