本日公表された4月の有効求人倍率は1.32倍で、4年1か月ぶりの低水準となった。が、しかし1倍を大幅に超えており、なんと数字の上ではまだなお人出不足状況が続いているというわけだ。
これは現在の心象とは大いに違っているのではないだろうか。
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有効求人倍率が1未満から1を超える状況に改善したのは2013年(平成25年)11月である。リーマン危機後の2009年8月には0.42という水準にまで悪化していた。それが民主党政権から安倍政権に交代し、経済状況は一変したのであった。
ちなみにリーマン危機は2008年9月に勃発したという何となくの印象があるが、実体経済のピークはそれよりずっと前、2007年第4四半期にあり、有効求人倍率は2007年11月には既に1倍を割ってしまっている。
今回は現時点でまだ1.32倍という高さにあるので、就職難が本格化する1倍未満になるのは、まだかなり先のことだろう。
鉱工業生産指数は4月に9.1パーセントの減少となっている。何度も書くが、需要が急減した分野では生産減、需要が急増した分野では増産難、素原材料調達難が続いているためだ。だから生産トータルが減るのは当たり前である。
が、市場メカニズムが機能すれば、いつまでもこんな不均衡が続くことはあり得ない。
いずれにせよ労働統計は遅行指標だ。不況はこれから深刻化する。需要供給の不均衡を一刻も早く解消するという発想が不可欠だ。
不況なら総需要を増やせばよいという発想では、今回の事態には対応できない。これまでもマクロ経済政策の効果は不十分である、むしろ負の副作用が目立つと指摘されることが多かったが、今回の経済問題では更にはっきりとそう言える。
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いまの安倍政権で問題解決できるだろうか?
長すぎたからダメだということにはならない。それを言うなら、ドイツのメルケル首相はもう15年近く首相職にある。今回の新型コロナウイルス禍では一層支持率を上げている。
やはり理念と発想がカギなのだろう。
小泉政権時代と安倍政権時代と、二つの時代は似ているようで大きく異なるところがある。それは、横紙破り的な起業家が小泉政権下では(中には行儀のよくない人たちもいるにはいたが)次々に世に現れてきたが、安倍政権になってからは株価が上昇する割に新規事業者が現れなくなったことである。ま、亜流のような小型の人物は時に出てはいるのだが・・・。
日本経済もどこか<目詰まり>を起こしている。
新規事業者が既存の業界秩序を壊しにくくなっている。政府がふだんの威勢のいい言葉の割には創造的破壊を支援しなくなっている。
その意味でも、現政権はふだん使っている大げさな言葉の割には、相当に保守的な政治をやってきたことに間違いはない。そう思われるのだ、な。
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関連した無駄話を一つ。
時折、思うのだが、ライブドアの堀江氏。経営上の微罪は追加課徴金などの形で処罰されていたとしても、あのまま100パーセント、やりたいことをやってもらっていたら、今頃は日本の社会経済はどうなっていただろうか?そんな風に夢想することがままある。
リクルートの江副、ものいう株主の村上、そして日産を再生させたゴーン・・・。ケーススタディに書きたくなるような人物は、事件の当事者として摘発され、粉砕されてしまった人が多い。これも「日本的目詰まり」を象徴する歴史ではないかと感じるときは多い。アメリカでは、ゲイツも、ジョブスも、ベゾスも、ザッカーバーグも、その他無数の起業家も、ビジネスマンがビジネス上の事で逮捕はされていない、というか「まずない」。トランプ大統領から目の敵にされることはあっても、「容疑者」にも「犯罪者」にもなっていない。
日本では(高潔な)政治家がとにかく「偉く」、TV画面を賑わすのである。経済界の大物が政治を語り、国家を動かすという情況は、多くの日本人にとって我慢ができない。現在の日本はなるほど民主的だとは思う。が、どこか真の民主主義と違っているのではないか、とも感じる。そう感じるのは、政治家のフィクションに喜悦し、ビジネスマンの事業欲を卑しむ、山の彼方に夢をみたがるそんな国民性を感じてしまうときである。現実よりも理想を尊いと感じる世界観は、民主主義の現実とは本当は相性が良くないのじゃないかと、小生は考える。マア、「誰のおかげでメシを食って行けてるのか?」と、そんな冷めた現実感で、ビジネスよりも政治に期待する「国民感情」のことを耳にするにつけ、自分の家族よりも人様を本気で大事にするつもりなのかと、何かバカバカしい思いを禁じ得ない今日この頃であります。
公私の私より公私の公、と。そんな国民精神の中で、イノベーションを拡散させていこうというのは、よほど公私の私を理解できる政治家でなければ、やっていけますまい。ジャパニーズ・パラドックスかなあ、これは。何度も挑戦しながら、解決に失敗してきた日本経済上の難問だと思う。