2011年11月13日日曜日

日曜日の話し(11/13)

三島由紀夫「葉隠入門」がどこかに行っていたが、最近、ひょっこりと又出てきた。本はよくそんなことがある。どこかに消えたと思うと、また戻ってくるのは他にも印鑑がある。失くしたと思っていたら、鞄の隅や服のポケットから出てきたりする。そんな時には、相手が単なるモノであっても<縁>を感じたりするものだ。

「そう言えば、どこが好きな下りだったかなあ・・・」と、パラパラ、ページを繰ってみると色々な所にうっすらと線が引いてある。大半は「こんな所になんで線を引いたのか・・・」という感じだが、中には赤線ではっきりと強調までしている所もある。
トインビーが言っていることであるが、キリスト教がローマで急に勢いを得たについては、ある目標のために死ぬという衝動が、渇望されていたからであった。パックス・ロマーナの時代に、全ヨーロッパ、アジアにまで及んだローマの版図は、永遠の太平を享受していた。しかし、そこににじむ倦怠を免れたのは、ただ辺境守備兵のみであった。辺境守備兵のみが、何かそのために死ぬ目標を見出していたのである。(新潮文庫版、26頁)
現代の世界においても、頻繁に戦争や内戦を繰り返している国は多数ある。先進国は自動小銃や砲撃から無縁であり、そんな戦闘が展開されているのは未開発国であると思ってはならない。そもそもアメリカは日常的に戦争を繰り返している国であるし、イギリス、フランス、ドイツ、韓国など必要な時に戦闘に参加している先進国は多数にのぼるのが現実である。日本も人的支援を行なっている ― ただし「国権の発動たる戦争」だけは禁止されている。
現代インテリゲンチャの原型をなすような儒者、学者、あるいは武士の中にも、太平の世とともにそれに類するタイプが発生していた。それを常朝はじつに簡単に「勘定者」と呼んでいる。合理主義とヒューマニズムが何を隠蔽し、何を欺くかということを「葉隠」は一言をもってあばき立て、合理的に考えれば死は損であり、生は得であるから、誰も喜んで死へおもむくものはいない。合理主義的な観念の上に打ち立てられたヒューマニズムは、それが一つの思想の鎧となることによって、あたかも普遍性を獲得したような錯覚におちいり、その内面の主体の弱みと主観の脆弱さを隠してしまう。常朝がたえず非難しているのは、主体と思想との間の乖離である。これは「葉隠」を一貫する考え方で、もし思想が勘定の上に成り立ち、死は損であり、生は得であると勘定することによって、たんなる才知弁舌によって、自分の内心の臆病と欲望を押しかくすなら、それは自分のつくった思想をもって自らを欺き、またみずから欺かれる人間のあさましい姿を露呈することにほかならない。(同63頁)
人によっては過激な思想であると言うかもしれないが、小生はこの下りを今日読んでも、同感を禁じ得ない。戦後日本は素晴らしい理念に基づいて開かれたが、堕落をするとすれば三島由紀夫が非難するような形で堕落するのだろうなあと、やっぱり納得してしまうのだな。


 Manet, バリケード, 1871

自らは印象派展に出品はせず、印象派に所属してもいなかったが、19世紀フランスにおける美術革命への道を切り開いたマネの作品「バリケード」。この作品は、日本の国立西洋美術館に所蔵されている。マネがこのリトグラフを制作した1871年は、普仏戦争でフランスが敗れ、それでもパリがバリケードを築いてプロシア(=ドイツ)に徹底抗戦した年である。パリ・コミューンという。フランスがフランスであろうとしたのは、ナポレオン3世による第2帝政が崩壊した混乱の中であったことを忘れてはならない。

創造は敗北と破壊に基づいて行われるしかないのかもしれない。とすれば、勝利と太平の中で進むのは退廃なのだろう。平和であるからといって、全ての国で退廃が進むわけではないが、よほどモラルと理念が強固でない限り、平和は創造の敵であるのかもしれない。

だとすれば、生死をかけるという意味で究極のリスク要因である戦争と破壊が、創造的活動の導火線であることになり、これは一寸信じられないことでもあるのだが、一概にバカバカしいと否定することもできないと思うのだ。


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