2009年に民主党が政権を奪ったときには日本中が何かの大きな変化を予感したものだ。小生も同じであった。たとえ東日本大震災が発生するという運命は同じであったにしても、大きな勘違いをして失望を感じさせることさえしなければ、安倍長期政権はなかったかもしれない。
その失望した理由は、当時の小沢幹事長 — 既に代表を辞任していたと思う ― が経団連や日本医師会など自民党の支持基盤を訪問し始めたことである。
つまりは自民党の地盤を切り崩すという戦術なのだが、これでは選挙には勝てるだろうが、要するに自民党の支持基盤が民主党に移るだけの話であって、実行される政策は自民党が進めてきた政策と大きくは変わらない理屈だ。
『こりゃあダメだ』と深く失望したものである。ガッカリとはあのことだ。
詰まるところ、「誰のための政党」であるのか、民主党には主体的な自覚がなかった。”Of whom? By whom? For whom?" この自覚がないから自民党に投票していた人たちを丸ごと奪おうとした。これでは何も変わらない。
「国民のため」では何も言っていないに等しい。国民にも様々、色々な国民がいる。「どんな国民のため」を具体的に指し示さなければ、その政党は「政党」ではない。
民主党はここが駄目だった。ホント、落胆したのである。
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今回もまた、今秋の衆院選を見据えて、立憲民主党は自民党の支持基盤を取り込む戦術にでているという報道がある。
全国の経済団体、業界団体から要望をヒアリングしているというから驚きだ。バカじゃないかと思う。
自民党の支持基盤は自民党に要望していることを立憲民主党に伝えるだけである。加えて、自民党支持基盤は、一度は浮気をした民主党がいかに「使えない政党」であるかを知ってしまった。立憲民主党を見る目も同じだろう。
仮に、安倍政権を支えた支持基盤の切り崩しに成功するとしても、そこに出来るのは「革新」の仮面をかぶった「安倍亜流」であるだけだろう。
何も変わらんネエ・・・こんな野党が存在する意味はあるのだろうか?
と感じる日本人は多いのではないだろうか。優勝するには最大のライバルを支えるエースと四番をとってしまえばいい。そんな安直な発想である、な。政治の低レベルは長続きしそうだ。
「対立政党は何を為すべきか」が、多分、分からないのだろう。まあ、「為しうることを為す」のは秀才であるから、政党マネジャーとして現代表はそれなりの素質はあるのだろう。が、いただけない。失望は深まる一途である。
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