2021年4月19日月曜日

断想: ネット社会でも旧社会と変わっていないこと

ネット時代が到来した前と後とで、社会の多くの側面が様変わりした。単に使う言葉だけではなく、新しい言葉(新しいデバイスが登場しているのでこれは当然)、新しい概念と新しい価値(一種の流行かもしれないし、真に新しい時代が来たということかもしれない)、その他にも昔にはなかったモノやコトがある。

しかし、

ネットで展開されている話題は昔と何も変わらないネエと。そう感じるのも事実である。

ずっと以前の覚え書きだが、こんなことを書いている:

時代を問わず、国を問わず、誰もが興味をもつ話題が三つある、という話題は前にも一度投稿した記憶があるのだが、検索しても出てこないのだな。

こうなるなら、最初から本ブログでもラベルを付けておくのだったと、今さら反省してももう遅い。

もう一度、その三つの話題を書いておくと:

  1. 食べ物の話し
  2. カネ・財産の話し
  3. 親子、兄弟、夫婦の話し

この三つである。

どうやら何度か同じことを書きこんであるようだ。本ブログ、ラベルはプライベートに付けているのだが、ずっと昔の分はラベリングしていない。それで探すのに手間取ることが多い — ま、それも本の山から急に必要になった本とページを探すのと似ていて、面白いのだが。

いわゆる《恋バナ》は、恋愛と愛憎に関連することなので、上の分類で言えば番号3に該当する。また《ツイフェミ》だが、広く勢力や権利に関わる事だから上の2番に入る。そして、グルメと食べる演技の盛況はもう言うまでもないことだ。

人からきいた美味いものを自分も食しながら、男女の恋愛沙汰や跡目争いのゴシップ話に興じるのは、時代と国を問わず、一番人気の日常なのである。この事情はまったく変わっていないことが分かる。

『方丈記』や『徒然草』、『枕草子』など、日本語としては古すぎてもう現代人には勉強しない限り判読できないが、内容は同じ、あれやこれやの世間話が大半を占めている。出世や没落、財産や人間関係、そして男女の恋愛ともつれ。

人間は変わらないナア、ということこそ、普遍的真理である。変わるのは、生産技術とそれを支える知識、その生産技術を発展させるための社会制度の変化、それだけだ ― それだけだ、という小さなことではないにせよ、言葉にすればそう言える。

何だか、またマルクス的な唯物史観になりそうだ。今日はほんのメモということで。


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