コロナ禍の世の中になってから1年余りが経つ。去年の4月の中頃、大体1年ばかり前になるが、投稿でこんなことを書いている:
何しろ日本では太平洋戦争の勝敗の行方が混とんとしている真っ最中、英米では総司令官が参謀と寝食をともにして24時間頑張っている時に、東京の大本営に勤務する高級参謀は補給に苦しむ最前線をヨソに定時退庁していたと伝えられている、そんなお国柄である。集団主義とはいうものの真の意味で組織が一枚岩になれないところが日本にはある。それは何故なのだろうという問いかけである。
数日前のワールド・ビジネス・サテライトで解説を担当している日経出身のコメンテーターが
いまは明らかに有事ですよね。ところが、日本政府は依然として平時のモードを続けている。ここに意識のズレを感じるという点に国民の不満があるのだと思います・・・
まあ、こんなような趣旨の話をしていた。
太平洋戦争の最前線で赤紙に応召した兵士が、不十分な補給の中で、死を覚悟して戦っている正にその最中に、東京の大本営に勤務する高級参謀たちは、平時と同じ気構えで毎日定時退庁を続けていた。この意識のズレは何だ?
こんな意味のことを1年前には書いたのだが、さてこの話しの出典はというと・・・小生も色々と探してみたのだが、分からなかったのだ。いずれ戦前の帝国陸海軍、中でも「昭和陸軍」の堕落振りを身をもって経験した司馬遼太郎のどれかの作品なのだと思うが、実はほとんど全作品を持っていたのだが、手違いで廃棄されてしまい、いま小生の手元に残っていない。
であるのだが、どこかで読んだのでなければ上のようなことは思いつけるはずもないので、日本の政府上層部の意識は何も変わっていない。それを象徴的に伝えるエピソードとして書きこんだのだった。
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いま(先日も投稿したように)三島由紀夫の『豊穣の海』を読み返しているのだが、最終巻の『天人五衰』の中にこんな会話がある。ちょうど安永透が浜中百子の部屋に初めて入ったときの日のことだ:
「ひどいわ。箱の番号と中味がちがっていたんだわ。こんなものをお目にかけるなんて。私、どうしよう」
「自分も赤ん坊だったということがそんなに秘密なんですか」と透は冷静に言った。
「あなたって落ち着いているのね。お医者様みたいね」
百子の動顚ぶりに比べた透の冷静、というより悪意のある冷淡さが、とても際立っている場面だ。
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こんな意識のズレなら、小生も幾度も経験している。
10代の頃、小生は1年に何回かは39度台の高熱を発して、よく病院に連れていかれたものである。そこで母が心配して、医師に問いかけると、
ああ、風邪だと思いますよ~、お薬を出しておきますから、しばらく安静にしておいて下さいねえ~
医師はいつも落ち着いた声音で母に応えていたものである。
もし悪化して、早く治してほしいと患者本人が願うなら、『安静にしてましたか?』と、落ち着いた冷静な声でいうのも医者である。
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戦況が悪化して日本人の全てが不安でたまらない時に、大本営の高級参謀は、その当時の社会構造からそんなことはあり得なかったが、もし議会で戦況を問われれば、
ああ、心配はありませんヨ。いま検討している反撃策を実行に移せば、じきに状況は改善しますから、もう少し、お待ちください・・・
こんな風に、余裕ありげな声音で、冷静に答弁したのだろうと想像される。まさにこれが日本的な政府の典型的イメージなのである。
そして「上に立つモノの不可欠の資質」としては規範があるわけで、それは正にたとえば「風林火山」であるわけだ。
疾(はや)きこと風の如く、
徐(しず)かなること林の如く、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、
動かざること山の如し
原典である『孫氏』はもっと続くのだが、武田信玄が旗印に用いたので有名になった。トップたるもの、むやみに動かず、正に「動かざること山の如し」、これが統治の理想である。こんな感性は結構日本人には受けてきた。これも事実である。
とすれば、《真の危機》というのは、不安な兵(=国民)と冷静な将(=上級国民?)との意識のズレではなく、むしろ負けを覚悟して諦めてしまった国民と敗北必至でパニックになった上層部との《意識のズレ》が露わになったときであろう。上が何を言っても下はもはや上の言うことをまじめに聞かないからだ。
いまは必死(?)の国民と「手を打ってますから、もうちょっと待ってくださいネエ・・・」と冷静に説明している政府との対比が際立つという状態なので、それほどの緊急状態ではない、その意味では《真の有事》ではない。
ま、こんな状況判断もあるのではないかといえば、あるのだろう。
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