『ヤッパリ、やっぱりそうなってきたか』という進展の仕方は世の中に多い。だからこそ、投資も投機も、行うだけのチャンスがあるとも言える。
東京五輪と新型コロナ禍。ヤッパリ、そんな風に物事は進んできた。
まずこんな記事がネットにあった。2月下旬である。
現状、東京オリンピックを開催できるか否かは不透明だが、準備するアスリートや関係者、ボランティアは多い。また、開催が決定した際、喜んだ日本人が圧倒的だった。青木氏の目にはそんな状況も含めて、「こんなオリンピック」と開催決定当初から感じていたようだ。
URL: https://news.nicovideo.jp/watch/nw8978329
この「青木氏」というのは、TBSの「サンモニ」こと「サンデーモーニング」にコメンテーターとして出演している青木優氏のことである。
上に「切り取った一文」の前には、次の下りもある:
青木氏は東京五輪・パラリンピック組織委員会委員長の森喜朗氏が一部メディアから「失言」と指摘された上、批判が相次ぎ辞任し、橋本聖子五輪担当相が18日に後任として就任したニュースについて、「進むも地獄、引くも地獄、茨の道ですか。こんなみっともないことが起きちゃって、僕なんかは、最初から思ってたんですけど、こんなオリンピック最初から呼ばなきゃよかったのにな」と笑う。
URL:同上
東京五輪を「こんな五輪」呼ばわりしたというので、ネットでは「失礼だ!」とか、「卑怯だ」とか、結構多数の批判的投稿にあふれたというから、「ムベなるかな」である。
ただ、小生の記憶に間違いがないとすれば、青木氏はそもそも誘致の段階から、「福一原発処理の見通しもないのに、大震災からの復興をアピールするための五輪誘致など、ありえない」という論陣を張っていたように覚えている。なので、理路一貫という観点に立てば、青木氏は「失礼」はともかく、「卑怯」では絶対にありえない。そう思っている。うちのカミさんもまったく同意見であったし・・・(ま、これは関係がない)
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さらに遡った1年前、五輪は延期ではなく、中止してほしいという世論(?)が急速に高まっており、小生、こんな投稿をして世間を揶揄していたものである。
要するに、「オモテナシ」をするつもりであったが、状況が変わったので「オコトワリ」したいという主旨で、これまた日本国内の世論の一部なのだろう。
小生の目線はその時の目線といまでも変わらないわけで、その点では世論なるものには非常に冷淡だと自覚している:
オ・モ・テ・ナ・シの予定を気が変わってオ・コ・ト・ワ・リにしても世論がそうなら仕方がないが、テーゲーなところで「そろそろ限界です」とあきらめて、あとは一切謝絶するというのも、いったん立候補した開催国としてはいかにも誠実味がなくて、器が小さい話だ。
検査効率化、低コスト化、自動化を叫ぶなら理屈が通るが、GDP第3位の「経済大国」日本が、それもロクに検査もしないうちから、今から敗北主義に立って『検査費がかかりすぎるンですヨネ』と泣きを入れるとすれば、その弱虫振りはやはり恥ずかしいネエ。
いまでも、というか、ますます、こんな風に感じている。 ま、「弱虫」が「弱虫」であることに開き直って「それが悪いことなの?」と反論するのが、いまの流行だということなら、それも仕方がないが、小生はヤッパリ「恥ずかしいなあ」と感じてしまう・・・というのが、これまた、ジェネレーション・ギャップなのだろうネエ、『恥ずかしき事だけは行うべからず』、『恥を知らぬは卑屈の証なり』、そんな時代は夢のように過ぎ去ったのだろう。
ともかくも、"up to you"、「世論」に従うのが「民主主義」という世の中だ。
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ま、これはこれとして、やはり五輪開催の危機(?)に「誘致国」、「誘致都市」としていかに向き合うかという、根本的な「覚悟」がいま問われているのだと思う。
ということは、つまり「誰のために」誘致した、「誰の」五輪なのか?この問いかけではないだろうか?
五輪は反戦と平和を祈念するオリンピック精神に発する運動として誕生した。だから、第一次世界大戦後の1920年、世界的に「スペイン風邪」が大流行しているパンデミック禍の中でもアントワープ五輪は断固として開催されている。 たとえ、パンデミックの中でも五輪を開催することの意義はあると、その当時の人々は考えたわけだ。世界大戦の直後であったという事情もあったに違いない。「平和を喜びたい」というヨーロッパ人の心情がスペイン風邪の怖さを上回ったという事だろう。
ただ、今回は戦火とパンデミックを秤にかけたヨーロッパの中の五輪ではなく、アジアの五輪であり、開催するのも日本人である。五輪に対する思い入れは、おのずとヨーロッパ人とは違いがあるだろう。自ら開催を誘致した国、都市として、冷淡といえば冷淡であるし、要するに日本人が感染の危険をかぶってでも開催する義理はないという心情でもあるのだろう。
ただ100年前のアントワープ大会は、《1920年4月20日から9月12日まで》が開催期間になっている。この半年間の開催期間は、なぜこうなったのかが、調べてもよく分からない。戦争で被災したベルギーの施設整備状況があったのかもしれない。
可能な範囲での開催であったのだろう。
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いま「東京五輪開催」は是か非かという議論が開催誘致国の日本で繰り広げられている現状は、仕方がないのかもしれないが、開催するならするで、これまでにはない、いかにもコロナ・パンデミックの中で開催するには「こうするのが最良の開催方式である」、そんなイノヴァティブな《提案》を世界に発する。そういう志の高い熱意というか、白熱するエネルギーが現在の日本国内にはまったく見当たらない。感じとれない。ヨーロッパと比べれば、コロナ禍など大した惨状でもないのに、それでもすっかり、すねちゃっている。この点が、戦後日本も75年余りが経過した現今の日本に見てとれる「打たれ弱さ」を極めて象徴するようで、ただただ淋しい。やはり老齢社会というのは「弱い社会」に(どうしても)なるのだろうか?
政府と東京は「開催をごり押ししている」、迎える日本人は「イヤイヤながら、開催に協力する」、こんな状況では参加するためにやってくる人々も《不愉快な記憶》をもって日本を離れるのではないか?
できれば《楽しい記憶》ではないとしても、せめて《感謝の記憶》くらいは、参加した選手、関係者にはもって離日してほしいものだ。
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