2020年4月2日木曜日

また再び「現場は頑張るのに上がダメ」になっているようでもあり

TVでは毎日「新型コロナ・ウイルス」で番組を作っている。が、今度のウイルス禍は短くて真夏で一段落、長ければ一段落もなく来年春まで1年間、あるいはもっと長く続く長期戦になる見通しだ。この間、連日ずっとTVでやるのだろうか ・・・。正直なところ、同じような話、同じ専門家、同じ解説を繰り返し、繰り返し視聴させられて、食傷気味。もはやウンザリだ。

3月の初めにアルコール系消毒スプレーをAmazonに予約注文した。3月28日以降発送グループに入っていたが、まだ「発送済み」の通知はない。予想だが、拙宅に到着する頃には近くのドラッグストアの店頭にも同じ商品が並んでいるのではないか、と。意味なかったよネエ。

昨日、安倍首相が反復使用可能な布製マスクを1世帯当たり2枚を配布すると表明したとのこと。4月上中旬から感染者が多い都道府県から順に全国に送るという。小生が暮らしている北海道は東京都、大阪府、愛知県に次いで4位に着けているので、4月20日過ぎには宅に届くのではないか。ところが、最近ではドラッグストアに行ったら偶然にマスクがあったという人が増えているようだ。マスクを買った人の半分程度は偶然に店で買えたと回答しているそうだ。政府が配布するマスクが拙宅に届く頃には、近くのドラッグストアでもマスクが買えるようになっているかもしれない。意味なかったよネエ。

必要な商品の増産は遅々として進んでいないようだ。戦前期においては強権的な国家総動員計画が見事に破綻し、戦後の民主的体制においては指導的権限を失った政府が何もできずに悠長にやっていると批判されている。

経済環境の激変で必要になるのは、資源の再配分である。資本、労働、マネーなどの生産要素を超過供給市場から超過需要市場へとシフトさせなければならない。その誘因としては第一に価格メカニズムがあると考えるのが標準的な経済理論である。が、今回の需要逼迫市場である医療サービス、新薬開発市場は資格、許認可が厳しい規制分野である。厚労省の「縄張り」である。超過需要(=24時間操業、疲弊、待ち行列)と超過供給(=閉店、休業、失業、etc.)は解消されないまま放置される可能性が高い。政府の判断が遅れればそれだけ資源配分の歪みが放置され、日本経済が毀損される仕組みがビルトインされている。

「あらゆる経済問題を解決するのは政府ではなく市場である」と語ったグリーンスパンを思い出すべき国としてまず日本が挙げられるかもしれない ― リベラル野党は飛び上がって反対するだろうが。

困難な経済状況を解決するために最も有効なツールは「自由化と自発的インセンティブ」である。口では「規制緩和」と唱えながら、安倍政権は本音では国家の指導を重視し、国家が資本主義経済と国民生活を誘導することの価値を信じてやまない傾向がある。2000年の前に死滅したはずの"Notorious MITI"のゾンビを視るのは小生だけだろうか。このゾンビは、経産省に限らず、複数の中央官庁、いやそれよりも政権周辺の諸々の与党政治家にコピーされ隠れているはずだ。その旗印は今更言うまでもないところだ。

であるとすれば、今のような政策哲学を信奉する政府が資源配分の歪みを解決できる理屈はない。

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消毒スプレーにせよ、マスクにせよ、はたまた医療体制整備にせよ、どうも政府上層部がやっていることは、即時的実行が伴わず、小田原評定を繰り返し、結局は「意味なかったよネエ」と判定される事をする。よく言われる"too little, too late"を地でやってしまう。外からみているとこの種の失敗が多いのではないか。

東日本大震災でも阪神・淡路大震災でもそうであったが、日本は『現場は素晴らしいが、上がダメ』だと、海外でもそんな風に言われることが多く、日本国内でも名著『失敗の本質』など、同じような指摘が多い。

現場は頑張るが、上はダメ

どうも今回もまた再び日本的弱点が露呈しているようである。

想定外の現実に際して、現場が持ち場を「死守」して頑張るのは、上がダメで状況判断が甘いからである(ことが多い)。では、なぜ上がダメなのだろう?この問いかけに対する解答は必ずしも自明ではない。一つの着眼点は業務繁忙の度合いである。現場が壊滅直前の状態で頑張っているのと同時並行的に上層部もまた戦略・戦術に休む間もなく頭脳を使っていなければならない。今回のウイルス禍の深刻化に際して、独裁的な中国も、民主主義的なヨーロッパも、政府は(賢明であれ、愚かであれ)何かの決断をして、行動をしている。失敗、成功という線引きではない。公権力を行使した断固たる意思決定をしたかどうかをみている。決断の背後には膨大な人的エネルギーの投入があったろう。

小生は何度か記したことがあるが投下労働量で価値が決まるという労働価値説に共感しているものだ。もしも上が下に比べてダメであるのが本当なら、それは上は下ほど<実質的な>仕事をしないからである、と。この極度にシンプルな観察は、意外に当てはまっているのではないかと自信があったりするのだ。

何しろ日本では太平洋戦争の勝敗の行方が混とんとしている真っ最中、英米では総司令官が参謀と寝食をともにして24時間頑張っている時に、東京の大本営に勤務する高級参謀は補給に苦しむ最前線をヨソに定時退庁していたと伝えられている、そんなお国柄である。集団主義とはいうものの真の意味で組織が一枚岩になれないところが日本にはある。それは何故なのだろうという問いかけである。

「日本は民主主義的であるので人権を尊重する」、それ故に政府は断固たる意思決定ができないのだという解釈は間違いであると思う。要するに、日本では政府上層部の判断が遅いのだ。これは何故かという問いかけである。民主主義や人権とは関係ない。どうも日本だけに典型的に観られる特質かもしれない。だとすれば、その原因は何であるかが分からない。

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