2021年5月5日水曜日

一抹の危惧?: 「ゼロ・コロナ」から「攘夷」を連想してしまう

Covid19で何度も言われる「水際対策」だが、有効な方法があれば、やる方がやらないよりはマシである。しかし、水際は突破されると最初から予想しておいて、日本国内で長期持久戦を戦い抜く体制を構築することが最重要だ、と。小生は本ブログでも何度か投稿しているが、そういう見方をしている。

現代日本は、長崎だけで貿易をしていた江戸時代とは違って、グローバルに広がった経済ネットワークの上に浮かんでいる。開放することで発展してきた国である。島国日本の「水際」と、ヨーロッパ大陸のドイツ・フランス「国境」と、どれだけ本質的な差異があるのだろう。

幕末の国情を揺るがした「攘夷」と、現在の日本社会に生きる一部の人々が唱える「ゼロ・コロナ」と。

この二つは何と似ていて、時の政権に対して、何と似たような打撃を与えていることだろう。

もし、憲法の枠組みを超えて天皇陛下(=帝、ミカド)が

新型コロナ・ウイルスを国内から速やかに撲滅することを祈念しております

実際にもこんな確率はゼロではないと思うが、もしこんな「お言葉」があったとすれば、ゼロ・コロナ過激派は「錦の御旗」が得られたと奮い立ち、コロナとの共存を基本とする「ウィズ・コロナ」に従う政府に対して、強硬なロックダウンを断行するよう迫るに違いない。

幕末に孝明天皇の思いが伝わり、過激攘夷論者が幕府に迫った「攘夷断行」と、これほど似た政治現象は(多分)ない。

幕府は、攘夷など技術的に不可能であることを熟知していたが故に断行ができず、それによって盤石に見えた幕府はその信頼を失い、統治能力を失っていったわけである。

幸に、いま皇室は一切政治的な発言をしない。

とはいえ、「ゼロ・コロナ」というスローガンが何かと結びついて、日本人の間で勢いを増せば、政治は行き詰まり、戦後日本体制は動揺するだろう。

想像もしないことが、この世ではしばしば起こる。

「ゼロ・コロナ」を目指す政策は、強烈な私権制限を伴う故に、戦後日本の統治システムの下では出来ない。必然的に体制変革につながっていく。

与党であれ、野党であれ、ゼロ・コロナなど達成できるはずがない。せいぜい出来ることは、ワクチンを接種して、重症化の危険から個人個人を守ることだけである。それでもワクチンを忌避する人はおり、そんな人は、今後将来、コロナ感染のリスクにはむき出しのままである。

だからこそ、多数の日本人はゼロ・コロナ派を支援する。

《ゼロ・コロナ》という言葉は、普通の人が思う以上に、可燃性の高い、危険なスローガンである。

救いの可能性があるとすれば、《特効薬》の誕生だけだろう。

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