公衆衛生に詳しい厚労省OBである豊田氏が
日本から中止と言ったら、おそらく未来永劫、日本にオリンピック・パラリンピックは来ない。
という主旨の発言を某ニュースショーで発言したというので、物議をかもしているようだ。
現時点の世情の下で、この種の発言をすれば炎上するのは当たり前だが、ただ本ブログでも少し以前にこんなことを書いている:
それにしても、もしも東京五輪が中止となれば、日中戦争激化を理由に日本政府の方から開催を返上した1940年東京五輪以来、二度目の中止となる。1勝2敗だ。東京は相性が悪い。もう二度と五輪には立候補しない方がいいかもしれない、・・と思う人は少なからずいるかもしれない。
ちなみに加筆すると、東京が開催を返上したので次点のヘルシンキで開催されることに決まった。ところが欧州の第二次大戦は1939年9月1日のドイツによるポーランド侵攻から始まった。そのためヘルシンキ五輪も中止となる。そしてヘルシンキは戦後になってから48年のロンドンの後にはなったが、52年の開催都市になった。
東京は五輪とは相性が良くないことは事実のようだが、それでも開催都市として誠意を尽くし、近代五輪運動への協力を惜しまなければ、新型コロナ終息後の早い時期に東京五輪が実現することは期待してもよいのではないか、と。そう思われるのだな。
1940年の東京五輪返上は戦争の激化が理由であった。 今回は日本がひき起こしたわけではないパンデミックが理由となる。
日本は、オ・モ・テ・ナ・シをしようと誠心誠意準備をすすめてきたにもかかわらず実を結ばないわけで、「気の毒」な立場に置かれている。
世界から同情されるだろうし、(まさか)主催者であるIOCから損賠賠償を求められる可能性も(ゼロではなかろうが)まずないのではないかと憶測される。
ただ、仮に東京五輪が、日本側からの返上にせよ、選手を派遣する世界各国からIOCに加えられる圧力にせよ、仮に中止となると、『五輪と東京はとにかく相性が悪い』と、こんな印象が五輪関係者には深く刻印されるだろう。
未来永劫、東京に五輪は来ないと言い切ってしまうのは、余計な指摘であると思うが、これに近い覚悟なり予想は、日本側も持った方がよいのではないかと感じる。
というより、そもそも東京都の方が、更には日本人の方が、五輪には懲りて二度とオリンピックには立候補はしないだろうと思われる。ここ北海道の札幌市もまた冬季五輪開催地に立候補すると噂されているが、今回の迷走で札幌市民が五輪誘致には猛反対をするのではないか、と。そんな気がする。
絶対に開催都市が損をすることがないという保険がなければ、日本から五輪の(というか、あらゆる国際的イベントでも?)開催地に立候補するには、非常に高い心理的ハードルができてしまった。
『二度と来ない』のではなく、『二度と立候補しない』と言う方がより正確ではないだろうか?
2 件のコメント:
こんばんは、初めまして
こちらはいつも興味深く拝読しています(先生と意見は異なりますが)。
当方もブログを二つほど開いておりまして、もしご縁がありましたら遊びにいらしてください。
(ところで、一つだけ恐縮ですが、気になっております。当方もBloggerを使っておりますが、ボタン一つでhttpsに変更できるのではないかと存じます。間違っていたら大変すみませんが)
HTTPSのご指摘、有難うございました。早速、スイッチをONにしてみました。
意見や見方は違っているのが普通です。ただ、本ブログは思い出したこと、こんな極端もある、理屈ではこうなると考えついた点などを、忘れないうちにメモしておくつもりのものですから、書いてあることが私の意見だと思われてしまうと、少し違うなあという感じもあります。
結構、矛盾したことも投稿しています。
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