2021年7月3日土曜日

『濹東綺譚』再読の年中行事

夏が来ると永井荷風の『濹東綺譚』を読み返すのが習慣になっている。今年も7月になったのでまた読んだ。

読んでいると、これまでは気がつかなかった文章表現に心が魅かれることがある。

荷風の分身でもある大江匡が9月も半ばになって玉ノ井のお雪に会いに往ったときのことだ。氷白玉を口に運びながらお雪は路地を通り過ぎる 素見客 ひやかし とこんなやりとりをする:

「よう、お姉さん、ご馳走様」

「一つあげよう。口をおあき。」

「青酸加里か。命が惜しいや。」

「文無しの癖に。聞いてあきれらア。」

「何云ってやんでい。 どぶ っこ女郎。」

「へっ、 芥溜 ごみため 野郎。」

後から来る 素見客 ひやかし は「ハゝゝハ」と笑って通り過ぎる。

最近の日本社会でこんな自由闊達な表現は許されているのだろうか?もはや「ちんば」や「めくら」といった単語も、何十年も昔の古典的作品であればオリジナルの原稿を尊重するという名目で改竄は控えているようだが、いま仕事をしている人たちは、「タブー集」のような資料を手元に置いて、創作をしているに違いない。

表現の自由が保障されているとはいえ、不自由な時代になってきたものである。

これほど気を使いながらも、メディア従業員は本来は美しい言葉であったはずの「忖度」を誰も使いたがらないような汚い言葉にして、しかも恥じとも感じないようである。

***

濹東綺譚の末尾に続く『作後贅言』は『濹東綺譚』本体を補う永井荷風その人の文明批評であり、と同時に知友・神代帚葉を想う懐旧談にもなっている。今回は以下の下りが面白かった:

四竹を鳴らして説経を唄っていた娘が、三味線をひいて流行唄を歌う姉さんになったのは、 孑孒 ぼうふら が蚊になり、オボコがイナになり、イナがボラになったと同じで、これは自然の進化である。マルクスを論じていた人が朱子学を奉ずるようになったのは、進化ではなくして別の物に変わったのである。前の者は空となり、後の者は忽然として出現したのである。やどり蟹の殻の中に、蟹ではない別の生物が住んだようなものである。

このところ《多様化》を唱えながらも、実のところは《共有された価値観》以外の価値観をいっさい認めず、少し世間の常識と違ったことを発言すれば、まるで西洋の「魔女狩り」、江戸時代の「隠れキリシタン狩り」を想わせるような社会的圧迫を加えることを繰り返す、その時々で流行りの理念や価値観を自分の脳みそ(≒ヤドカリの殻)の中に仕込んでは、それが旧くならないうちに旬のいけにえを探しては人を批判し、そうかと思うと、2、3年もたてば全く別の言葉で別の人を非難する。次々に別の中身(≒ヤドリ蟹の蟹)を仕入れては口から毒気を吐くマスメディア記者やTVのコメンテーター達の姿を思わず連想してしまった次第。

こう考えると、多分、今から数年もすれば世間の価値観や理念、世界の潮流も変わるだろうから、その時はその時で流行りの立場に身を移して、いまは褒めたたえられている人達を、今度は手のひらを反すように報道し、批判し始めていることだろう、と。国民の「知る権利」に奉仕し、△△主義に貢献しているのだ、と。そんな成り行きが予想されるのだ、な。

満州事変や5.15事件が世を騒がせた時代の中で、こんな痛烈な文明批評を、儚くも美しい人の縁と織りまぜて書き上げているところが、『濹東綺譚』という小説に独特な雰囲気を与えているところだ。玉ノ井というその実は汚穢に満ちた私娼窟に生きている娼婦に美を見出すという荷風の目は、高い理想を求めて正義の行動を起こす人たちに汚れ切った心を観ている。その意味では末尾の『作後贅言』は「巻後解題」ともいうべきもので、本編と末尾を一体の作品としてみると、検閲を免れるための工夫をこらした「反戦・反軍小説」である。



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