2021年7月20日火曜日

一言メモ: 小山田圭吾氏の一件について

「小山田圭吾」と聞いても、小生の趣味の分野とは違うので、まったく知らなかった。『五輪音楽を担当していたのか』と、改めて分かったくらいだから、ほぼ無関心であったということだ。

その小山田氏が辞任したと、エラくニュースになっている。それだけで何も感想はないのだが、どうやら10代の頃のメチャクチャな言動が理由だそうで、であれば無関心ではいられないなあ、と思った次第。

それで感想をメモっておきたくなったのだが、まとまった見解などはなく、順不同で「論点」になりそうな点を箇条書きにしておくにとどめる。

1 

東京五輪音楽担当の小山田圭吾氏が、26年前にもなるか、同氏が20代になった時点で10代の頃に通っていた学校で障害者に対して数多くのいじめをしていたと雑誌インタビューで語っていたことが、特にSNSで蒸し返され、辞任するに至った。

同氏は1969年生まれであるから、今年、52歳になる。いじめの加害者経験を雑誌インタビューで語ったのが、1995年発売の音楽雑誌であったから掲載は26年前のことになる。その1年後の1996年発売の雑誌でも、イジメの様子を具体的に語っているということだが、氏が26歳から27歳にかけての頃にあたる。

Wikipediaによると、最初のCDが1993年にリリースされているから24歳になっていたことになる。それまではデビューを果たしたが、まだ比較的駆け出しの状態であったのだろう。この最初のCDを世に出してから2年後に10代の頃のメチャクチャ振りを雑誌インタビューで「赤裸々に」話したのが、今回の一件につながったと、まあ、そういうことのようだ。

まず

未成年の頃の不適切な言動に対して、成人した後年、どの程度の責任を負わねばならないのか?

この点にまず問題意識を刺激された。「少年法」によって未成年者を保護しているスピリットはいま日本社会でどう変わりつつあるのだろうか、ということだ。「悪いことは悪い。何歳であれ、一度悪いことをすれば、一生涯それは許されないのだ」という風に考えれば、子供を育てること自体が危なくなろう。社会で共有されるモラルを理解し、身につけて、親や家庭の影響から脱して、主体的に生きられるようになるには、それなりの年齢に達する必要がある。

次に、インタビューで語っている《イジメ》であるが、学校管理者はどうしていたのだろうという点だ。

それから両親である。両親はそれを知っていたのだろうか。どんな話を家庭ではしていたのだろうか。

今では「イジメ」と「悪ふざけ」を混同するべきではないという認識が浸透したが、その当時の学校管理の実態はどうであったのかという点が、ヤッパリ、気になりますネエ・・・。

というのは、かつては「つまらない悪戯」で小言の対象になっていた程度の言動が、現時点のモラル感覚に照らすと「許容できない悪事」と判定されるようになったとしても、過去の言動を今の尺度で非難するのは、あまりフェアではあるまい。非難されるべきであるのは、そのような甘いモラル感覚で学校や社会を運営していた大人たちである、という指摘にも多少の理屈はあるというものだ。

これほどアッケラカンと10代の言動を雑誌インタビューで語っているのは、御当人に《罪悪感》というのがまったくないからだろう。その「まったくない」というのは、何故だろうか、と逆に問題意識を刺激されるのであって、その当時のリアルな生活感覚を小生も思い出そうとして、中々具体的には記憶に蘇ってこない。そんな側面があるからだ。

この辺の感覚は、多くの「戦争犯罪」、「歴史問題」にどう向き合うのが正しいかという問題とも重なる。26年前の言動を以て激しく非難するのであれば、100年もたたない昔に日本人が集団で展開していた残虐な行為にも、(ほぼ永久的に?)日本人全体が日本人として責任を感じなければならないという倫理になるのじゃあないか。

まあ、理屈としてはありうるが、ちょっと考えさせてほしい・・・と思う。

尾崎豊の『卒業』の歌詞にも《器物損壊罪》が書かれている。

〽放課後 街ふらつき 俺達は風の中

孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた

笑い声とため息の飽和した店で

ピンボールのハイスコアー 競いあった

退屈な心 刺激さえあれば

何でも大げさにしゃべり続けた


〽行儀よくまじめなんて 出来やしなかった

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった


〽信じられぬ大人との争いの中で

許しあい いったい何 解りあえただろう

うんざりしながら それでも過ごした

ひとつだけ 解っていたこと

この支配からの 卒業

これって、尾崎豊本人の実体験でもあったのじゃないだろうか。 

小生がまだ10代であった頃には、研究費への「米軍資金導入」が火を噴いて、大学は全学ストに突入し、その間、校舎にはバリケードが築かれ、窓ガラスはどこもかしこも割られ、壁は落書きで一杯になった。

確か昭和47年前後のことで、この少し前には、連合赤軍による連続リンチ殺人事件が発生して世を震撼させたものである。こうなると「イジメ」を遥かに超えた暴走である。

そこまで酷くはないが、校舎を破壊して回るのは「建造物等損壊罪」であって明確な犯罪行為であった。理屈からいえば、逮捕、立件、処罰されなければならない行為であったはずである。勉学を願う何千人もの学生に対して不利益を強いた行為は、何人かの障害者に対する反復的イジメと同列には語りようもないが、今日の価値観に照らせば「かなり悪質」と判定されるのではないだろうか。

しかるに、その当時、世間で流行していた言葉は《造反有理》というキーワードであって、反社会的な言動をする側には、そちらはそちらで、理由があるのだ、と。そんな理解が世間の主流(と言い切ると、やや違うような気もする。無視できないほどのという意味合いだ)を占めていたのである。

その果てに、連合赤軍による内ゲバと連続殺害事件が発生した。

今では著名になっている人物が20代であった頃、公共建造物を破壊して回ったり、他の学生を殴打したり袋叩きにして暴行を加えたりした過去があるかないか、若い頃の言動を洗い出そうとしているジャーナリストはほとんどいないのではないか。

世間の変わる事、実に怱々たるものがある。 

かなり以前になるが、ハーバード大学医学部推薦入学事件というのがあった。

このブログでも感想を書いた記憶があって、<ハーバード大学医学部 推薦>でブログ内検索をかけると、すぐに出てきた ― この辺がBlogというツールの便利な点である。そこから一部を引用すると

同種の事件として、ずいぶん昔のことになってしまったが、少女時代に重罪をおかした少女が模範的な生徒として成長しハイスクールで好成績をあげてハーバード大学医学部に推薦入学できるチャンスを得たところ、重罪を犯したときの地元地方紙の元記者が事件を伝える記事の写しをハーバード大学に送り「この事実をあなたたちは知っているか?」と詰問したという、この一件をあげてもよいだろう。さすがにアメリカでも論議をよんだ。それは幼い時に重罪を犯したことを許せるかどうかではなく、そのことを履歴書の賞罰欄に不記載であったことを理由に失格判定とすることがフェアであるかどうかである。いかにもアメリカらしい論議だなあと思ったことを記憶している。が、よくよく考えてみると、近年の日本では論議にもならないのではないか、幼い時に重罪をおかした少女が東京大学医学部に推薦入学するなど許せない、と。そんな非難が世間から噴出するのではないか、と。そう思ったりもするのだ。

小生、あらゆる日本人はメディア産業に対して  ―TwitterやFacebook、LineなどSNSも含まれるが ― <放送停止請求権>や<投稿記事削除請求権>を持つべきではないかと思うようになった。

小生の意見は、改めて当時の投稿を読み直しても、まったく変わっていないことを自覚する。

5 

以上、幾つかの論点をリストアップしたが、それでも五輪の人選の適・不適は事後的な結果論から判定するべき問題だろう、とはやはり思われるのだ、な。

雑誌に2度もインタビューが掲載されているのだから、どんな人物であるのか、少し調べれば分かっていたはずだ。

分かったうえで、その後の人生を踏まえてあえて選ぶという人選もありえたと思う。しかし、政府の慌てぶりを観ると、どうもそういうことではないようだ。

五輪音楽はなにも高度の芸術性を求められるわけではないし、誰も文句を言わない、功成り名を遂げた人物にお任せして良かったような気はする。1964年の東京五輪では、朝ドラにもなった古関裕而氏が音楽を作曲した。古関氏は戦中期には軍部に協力して、名曲(?)『露営の歌』を世に出したりしていたが、これを以て敗戦19年後の東京五輪当時、同氏を激しく非難する人はごくごく少数であったと記憶している。

具体的に誰がいいという意見などはないが、小山田氏は「大家」の域には達していないような気がする。誰の感性が反映したのかは知らないが、結果としては不適切な人選になってしまったわけだ。これは、ヤッパリ、まずいだろうという結論になる。

一応まとめて言えば、現時点の日本社会では「結論」は決まっている — 先のことは分からない。

しかし、この結論が「正しい」かどうかとなると、それはまた別の問題である。

例えば、死刑囚が詩を遺すとする。その詩が、人の胸を打つとしても何もおかしくはないし、その感動が反倫理的であるとは(小生は)思わない。

詩が、絵であっても、音楽であっても、同じことである。

ま、世間の外と内との境界に生きるのが、芸術家であると考えるなら、やはり五輪というオフィシャルな行事そのものの中に、世間の外側で生きているかのような人物は、やはり入り込めない。自らが生きている空間と、《世間》との距離を意識する知恵は、芸術家なら誰でももっていた方がよいのだろう。

芸術家が世間とどう距離をとりながら創作活動を続けていくかについては、遠くはゲーテも語っているし、近くはトーマス・マンも複数の作品の中で力説していることだ。


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