2021年7月15日木曜日

一言メモ: ロジカルな議論には「ご用心」という例

日本においてもコロナワクチン接種が進む中、案の定、というか予想どおり、ワクチンパスポート慎重論が登場してきている。なにやら五輪開催慎重論にも相通じる、同じパターンの現象である。

この話題については既に投稿済みである。

「ロジカル・シンキング」という授業が大学院でも増えてきているが、その必要性を如実に感じさせる例は山ほどあるという一例。

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たとえば、(ポイントを抜粋すると)以下のような意見がある。 

一方、個人としての効果もよく考える必要がある。というのは、個人によってワクチン接種後の抗体生成量に違いがある様に、誰でも同じ効果を生み出すものではない。つまり、感染抑止の個人の安全度合いは接種完了したからと言って一様ではないという事である。あくまで個々人毎に異なる効果であり、一律でなく確率で語るべき事項なのだ。

そして、ワクチン接種していないからといって、一様のリスクを持っている訳ではなく、個々人毎、健康状態の差異もあり、感染リスクの度合いは異なるのだ。諸事情により、ワクチン接種しない場合でも、それが即、感染リスクを増大させるものではなく、あくまで確率の問題なのだ。寧ろ、初期免疫、自然免疫力の充分な人の方が感染リスク自体は低いのである。

まとめると、個人の感染リスクはワクチン接種の有無で確定するのではないのに、サービスを受ける認証に使うのは不合理かつ不適切なのだ。即ち、社会的安全性獲得状況であれば、サービス提供が均一であるべきなのだ。

URL:https://agora-web.jp/archives/2052212.html

上の議論の勘所は

  1. ワクチンを接種したからといって効果には個人差があってバラツキがある。
  2. ワクチンを接種しないからといって、健康状態には個人差があり、リスクにはバラツキがある。
  3. 故に、ワクチンを接種するかしないかによって、リスクは確定するわけではないので、サービス提供機会は均一にするべきである。
  4. よって、ワクチンパスポートには慎重であるべきだ。

 ロジックはこんな骨子である。

また出てきましたネ、「・・・べき」という思考(?)が。

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まあ、こんなことはワクチンパスポート(及び陰性証明書)の提示を義務付けるという(例えば)フランスも分かってやっていることなのだ。だからといって、フランスはバカだという結論にはなるまい。

何かを決めるときには、それなりのロジックがあるものだ。決めたいことが先に決まっていることもある。ロジックはどんな結論についても逆向きに構築可能である。だからこそ注意が必要だ。


上に引用した議論は大変ロジカルに展開されているようにも見える。が、ロジカルな議論で注意するべき点は、この前提が真であるとしても、この結論は必ず言えるわけではない、という論理の飛躍がないかどうかである。100パーセント論理のみによって議論されている数学上の定理であっても、その定理が真であるという証明が本当に証明になっているかどうかについては、専門分野の数学者が時間をかけて綿密に検証しなければならない。これは、例えば高木貞治の『解析概論』を丁寧に読んだことがあれば、ただちに感覚的に納得できるはずだ。

つまり、ロジカルな議論をすればそれでよいというものではなく、本当にそれが論理になっているのか、という点が最大限に重要である。


上に引用した議論だが、確かに、1段目、2段目はその通りである。ワクチン接種をしようがしまいが、感染リスクには個人差があり、バラツキがある。しかし、個人差はあっても、ワクチンを接種したグループと接種しないグループでは、感染リスクの平均値には大きな違いがあるという事実が確認されてきている。そして、そのグループ間の平均差は大きいと見るのが経験上明らかになってきている。

社会的な集団免疫が作用した事後の段階で、感染確率が一様に無視しうるほどに小さくなっている社会状態であれば、二つのグループの感染リスク分布には大きな違いはなく、ワクチン接種の有無によってサービス機会に違いを設けるのは理にかなわない。しかし、ワクチンを接種していないグループで、現に感染が終息していない状態においては、感染リスクの分布には差がある。


ワクチンパスポート制を採らないとすれば、社会全体の自粛継続か、自粛解除か、基本的にはいずれかになるという理屈だ。

ワクチン接種率が60%から70%に達する中で、接種群と非接種群との感染リスクの分布が今もなお明らかに違う状況において、社会全体を一様な枠組みに置くという考え方は、こちらのほうが理に適ってはおらず、過剰に価値観従属的、英語でいえば"too much ideology- dependent"である、と。小生はそう感じる。

ロジカルに議論しているようで、実はロジックではなく、イデオロギーが混在している議論が世間には多い。

論理を貫徹させるというのは、専門的研究者にとっても、それほど易しいことではなく、先入観や常識、価値観、理念、予想などをどこかで混ぜてしまうことがまま多い。肝に銘じておくべきだ。

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