2021年7月9日金曜日

この一年、日本はご家老の代理執政だったネエ

日本の対コロナ対策には、昨年のうちから既に不満も限界に達しつつあったようで、その頃、こんなやり取りをカミさんとしたことをメモにして投稿している:

歌舞伎町でもススキノでもそうなんだけどサ、いくら注意しても言うことを聞かないホントに心配な店は、もう最前線の担当者には頭に入ってるんだよ。そんな店をターゲットにして、夜中にマスクをせずに盛り上がっているその最中に、突然踏み込んでサ、『これから緊急衛生検査を始めます。この部屋を出ないでください』ってね、店の経営者には『衛生検査令状です』とか、もしこんな行動がお上に許されればね、これは感染予防には正に一罰百戒ってものになるさ。ススキノが感染拡大の核になるって状態は、絶対確実に止められる。これは間違いないよ。

ついに東京五輪を無観客開催に決めたかと思うと、今になって、悪質な飲み屋には酒類を卸すなということで、卸元、更には金融機関に圧力をかけて締め上げるという方針だそうだ。

情けないが、日本もイヨイヨ《陰険な民主主義国》へと衣替えをしていくということだろうか。

こんな陰険な締め上げを何故発想したかだが、日本では人権が最大限に尊重され、私権制限は不可能であるから、営業の自由を制限するような政策はとれないのだ、という例の説明(というより逃げ口上?)と何か関係しているのだろう。いわゆる《民主主義・資本主義・法の支配》(だったかな?)という共有された価値観3点セットと何やら関係があるらしい。「だから・・・」ということだろうが、とにかく日本人は頭ごなしの形式論理に弱い。初等中等教育でディベートの訓練をしていないことが原因かもしれない。よく言えば、正直だが、悪く言うと、騙されやすい。年号を覚えるよりは、ロジックを身に着ける方がずっと自分の身を守るのに役立つはずだ。普通の人が(揚げ足とりではなく真の意味で)論理的な論争ができるのは民主主義の大前提である。

さっさと必要な法律をつくり、必要な条例をつくり、悪質な違反店舗に対しては

△△条例違反により〇〇日間の営業停止とする

こんな行政命令を出せばそれで済む話だ。必要な条件を示して「これを満たせばご自由に」ということだ。この感染対策のどこが非民主主義的であるのか、浅学非才な小生はまったく理解できない。営業の自由は運転の自由と同じで完全な自由を意味しているわけではない。違憲訴訟があれば毅然として受けて立てばよい — まず確実に政府が勝つ。《一罰百戒》は「一罰」で済むだろうが、《百戒千戒》は《千戒万戒》になる理屈で、しかも悪質な不届き者が得をして、日本社会の公正/フェアネスの感覚が薄れる。こちらのほうがはるかに重大だ。その重大なことに政府は注意が及ばない。小利にこだわって大損をしている。

器が小さいといえばそうなるのだろうが、寧ろこうした政策選択の根源的背景には、政府上層部の志が低い、詰まるところ、安倍前首相の突然の退陣後は「殿御不例によりご家老の代理執政」とするような状態になっている、そんな意識、というか構造であるからだろう。

大技を出すには自信がない。そんな風にも見えるのだナア・・・


・・・それと併せて、マスコミが問題の本質を理解するまでに、まあ、時間のかかること、かかること。最近になって徐に軌道を修正してきてはいるようだが、メディア経営陣、担当者の鈍感、無学、不勉強ぶりも相当なレベルじゃないかと、確かに小生も浅学にして非才ではあるが、不満が高まる今日この頃である・・・


まあ、黒船来航の危機の真っ最中、判断ができない13代将軍・徳川家定をいただいて、老中・阿部正弘が大変苦労をした。この肝心なときに・・・というわけで、状況としては似ているワナ、と思ったりする。

 

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