世間ではいまオミクロン株感染者が激増している真っ最中である。
昨年末の南ア、欧米諸国の感染動向をみれば、いま現時点の日本の状況はほぼ確実に予想されていたはずで、予想された「暴風雨」が来襲したからと言って、いまさら慌てる必要はなく、分かっていた情報に基づいて粛々と対処すればよいはずである、理屈としては。
理屈はこうなるのだが、今朝もカミさんとこんな会話をした:
カミさん:(不安な表情をして)いつピークになるのかなあ・・・
小生:目安としては2月初めから第1週頃にピークアウトするって予想らしいな。
カミさん:また病院は大変だね。買い物にも行けないネエ・・・
小生:分かっていたことだよ、とっくに。ただ計算違いもあったことはあったなあ。
カミさん:計算違いって?
小生:政府の作戦はサ、世界でも呆れられるほど厳しい水際作戦をしいてサ、まあ鎖国みたいなことをしながらネ、国内にはオミクロンを絶対にいれないってマナジリを決して防疫を徹底しながら時間をかせぎ、その間にブースター接種のワクチンを確保して、2月からは高齢者への3回目接種を進めようって。そんな作戦だったわけよ。だから「ブースター接種を早めた方がいいのではないですか?」っていくら聞かれても「8カ月後から3回目接種を始める予定に変更はない」って、まさに泰然自若。動かざること山の如しであったんだけどネ。アニハカランヤ、米軍基地っていう裏口があって、そこからオミクロンに侵入されてしまった。「シマッタ!気が付かなかった!」って、それであえなく「作戦失敗」サ。いまとなっては「痰一斗 へちまの水も 間にあわず」。正岡子規の心境だろうヨ。なんだか戸板一枚で台風の暴風雨をさえぎりながら、部屋の中の家族に向かって「頑張れ!もうすぐ台風は通り過ぎるから。それまで雑巾で吹き込んだ雨をふくんだ」、お父さんが檄を飛ばしながらやってると、アニハカランヤ、向こうの雨戸を閉め忘れていて、そこから雨が吹き込んで家の中はビショビショだ。こんな感じだネエ。なにかあれだナア、今回の感染拡大劇ってコミカルじゃない?漫画的っていうか。まるで昔のドリフターズの「バカ殿」を連想したよ。
カミさん:そんな風に言っちゃあ悪いよ。みんな一生懸命やってるんだから。でも、ワクチンならあったって、前の河野さんが言ってたよ。
小生:まあ、そうなんだけどネ・・・どこにあるか分からんかったんだろうなあ。
カミさんにくぎを刺されてはいるのだが、やっぱり小生、オミクロン株の特性は既に推測のついている事で、したがって『これこれのことをやれば感染は抑えられる』ではなく、『感染者数が激増するのは確実なので、これこれのことをする』と、発想を逆転させるのが先決だと思われる。ところが世間はデルタ株以前のコロナ・ウイルス対処法と大体は同じ発想で向き合っている。実に《創造力》というものがないなあ、と感じているところだ。「頭が悪いんじゃないか」と言うのは言い過ぎだが、「最初は悲劇として、次は喜劇として」という名句は、いまの日本に当てはまるのじゃあないかという印象もある。
だから、不謹慎と分かっているのだが、つい笑ってしまうのだ。
旧態依然としたTVメディアは別として、ネット上には色々な提案がリベラルな立場から提案されている。小生も最近何度か所感を覚え書きにして投稿している。いまさら付け加えることはない。世間は世間、アッシとはかかわりのないことでござんす。そんな心持ちで、好きな音楽でも聴く方が賢いというものだろう。
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で、最近、よく聴いているモーツアルトは、ディベルティメントの15番、それからごく最近はセレナーデ「ハフナー」である。若い時分は、『魔笛』、『ドン・ジョバンニ』といったオペラを3時間をかけて聴いたり、シンフォニーの40番や38番『プラーハ』を集中して聴いては疲労を感じたりしたのだが、そんな聴き方はもうそろそろ卒業かな、と。それでピアノ・コンチェルト、木管楽器の協奏曲も選ぶことは随分少なくなって、自然とモーツアルトが20歳前後に創った喜遊曲や小夜曲を好んで聴くようになってきた。
セレナーデ『ハフナー』については、以前にも本ブログに投稿したことがある。いまひとつピンと来なかったのだが、SONYが出しているJean-Pierre Rampalの"Serenade No. 7 in D Major, K. 250 "Haffner""を、ごく最近、MORAからダウンロードしたところ、にわかにこれまでの低評価をひっくり返された次第。ヴァイオリン独奏者はIsaac Sternである。
婚礼に伴う楽曲としては、メンデルスゾーン『真夏の世の夢』の中の「結婚行進曲」かワーグナー『ローエングリン』の「婚礼の合唱」と相場は決まっているのだが、婚礼を祝う宴の場に最もふさわしいのは、モーツアルトのこのセレナーデであろう。それも全曲1時間ほどを通して聴いてみると実に祝の晩餐の場にはピッタリである。
ネット上でモーツアルト解説が充実しているのは"Mozart con grazia"だが、こう書かれてある:
父レオポルトと親交のあった元ザルツブルク市長ジークムント・ハフナーの娘マリア・エリーザベト(Maria Elisabeth, 1753~1781)がフランツ・クサーヴァー・シュペート(Franz Xaver Anton Späth, 1750~1808)とこの年の7月に結婚することになり、その婚礼前夜(21日)の祝宴のために、行進曲ニ長調 K.249 とともに作曲された。 そのため「ハフナー・セレナーデ」と呼ばれる。 このセレナードと行進曲の自筆譜には父レオポルトによって作曲の目的と時期が明記されている。
ザルツブルク宮廷顧問官のシーデンホーフェンは日記に「7月21日、食後に私は婚礼の演奏を聴きに行った。 これは子息のハフナー氏が妹のリゼルのために作らせたものだ。モーツァルトの作曲で、ロレート教会の庭園で演奏された」と記している。 このとき新婦マリア・エリーザベトは23歳。 彼女は5年後の1781年11月1日に28歳の若さで亡くなる。 余談であるが、彼女の弟ジークムント2世(モーツァルトは彼のために「ハフナー交響曲 K.385」を書いた)も31歳の短命だった。
文字通り、婚礼を祝うための楽曲として創られたのは1776年7月。モーツアルト20歳の年である。 このセレナーデの第6楽章イ長調アンダンテを現代の結婚披露宴の場でそれだけを演奏してもいささかも古さを感じないだろう。
花嫁の薄幸な短命がこのセレナーデの美しさをより際立ったものとしている。
芸術はながく、人生はみじかし。
Ars longa, vita brevis
いまのオミクロン感染が怖いので、行動を規制して、経済活動を抑え込めという見解を世間で声高に主張しながら、その主張がいかに一方に偏し、片方には残酷な意見であるかには気が付かないような狭量な現代日本社会では、もう望むべくもないのかもしれないような広やかで凛とした品格をこの楽曲からは感じる。
そう感じながらも、「いや、まだ、それほど日本は酷くはないはずだ」とも期待する今日この頃であります。
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