2022年1月6日木曜日

一言メモ: コロナ感染対策の目標、今のままでイイんですかい?

今日もまたコロナの話し。インフルエンザのワクチンだって、ほとんど打ったことがなく、ウイルス型肝炎にいつの間にか感染していたことが後になって検査で分かり「そうなんですか!?」と驚いた小生、新型コロナだけを何故こんなに話題にせざるを得ないのか。それは日本社会全体でコロナばかりを報道テーマにしているからでもある。世間で騒がなけりゃあ、いま暮らしているのは北の小さな港町のことだ、世の喧騒とはほとんど関係ない。仕事や暮らしで多くの人が街中をのんびりと歩いている。戸外であるのにマスクをしてメガネを曇らせている。それでもマスクを外さず、義務であるかのように歩いている。こんな日常生活に日本全国ベースのコロナ報道などはまったく不必要。世間で大騒ぎしなければ、このブログにコロナの事を書くにしても、これほど頻繁なはずがない。実際、2010年代になって毎年の季節性インフルエンザを死因とする死者数は年を追って増え、2019年には3500人を超えるに至った(2020年はコロナ禍で減少)。それでも世間は「インフルエンザ死者増加傾向」に関心を示さなかった。

今日もまたコロナのことを書いている。第6波が来たと何回聞いただろう。確かに大変ではある。しかし正にここに、今の日本社会の高齢化がもたらすフィジカルな弱さを自覚するからか、メンタルな不安があるからか、ともかくそういう現代性があると思っているのだ。

コロナ感染対策の政治目標だが、どうもTVのワイドショーなどを視ていると、2020年初めに国内感染者が確認されて以降、ほぼ2年間、ずっと変更なく、日本人もまた同じ感覚を持ち続けてきたのじゃあないか。つまり

新規感染者数の最小化が最善の政策

要するに、これだけではないか。だから先ずは水際対策を第一に求める。人的交流を絶って鎖国しようとする。しかし同時にこれでは国内の生産活動を甚だしく毀損するので、この間、多くの日本人がずっと葛藤をいだいてきた。状況はこんなところじゃないかと観ているのだ。

海外、特に英米などアングロサクソン系の国では、この辺の基本目標が検査、治療、予防技術などの進化に応じて、政治的にも進化しているのかもしれないと思うようになった。前にも同じ主旨の投稿をしているのだが

最大多数の人々が最大数のコロナ抗体を保有する

こういう目標を前提としないなら、最近の英米両国の政府がとっている政策は理解困難である。ただ、冷静にみてみると、どちらが科学的に正当な目標であるかは自明だと思われる。

抗体を保有するには、ワクチン接種と自然感染の2経路がある。本来、自分の命をいかなる方法で守るかは、自分自身の意志が鍵となるはずだ。これが現代民主主義社会の基本原則だろう。だから、ワクチン接種は義務化しない。これが今の基本的な考え方だ。自然感染したら治せばよいし、それでよいと考える人も相当数いるはずである。かかっても軽症で済ましたいなら、正にそのためにこそ予めワクチンを打つのである。ワクチン接種の目的対象は社会状況の改善ではなく、接種するその人の命であるわけだから、接種するかどうかも個人個人の選択に任される。これが基本的ロジックであろう。

もしも社会全体として《公益》の視点から、新規感染者数を最小化したいなら、

  1. ワクチン接種を義務化する
  2. 検査を強制化し、陽性の場合は隔離を義務化する

この二つを併用するのが最も強力、かつ効果的であることは、わざわざ立証するまでもない。 しかしながら、個人の自由(≒その人の幸福)と公益との両立を図ろうとするなら、ワクチン接種の義務化も、検査の強制化、隔離の強制化も、公権をもった政府は控えるべきである。これが旧西側諸国で共有されている価値観であって、一口にいえば、これが《民主主義》であるというわけだ。アメリカのバイデン政権は《リベラル》であるから、ワクチン接種義務化に前向きだが・・・

戦後日本もまた民主主義国であり、旧西側陣営に属する国である。とすれば、新型コロナにとどまらず、あらゆるパンデミック現象においてカギになると思うのだが、基本的な政策目標が他の民主主義国と大きくずれるという理屈はないはずなのだ。日本もまた、政策目標を適正な内容にシフトさせていけば、実行する感染対策も近しい海外諸国とシンクロさせることができ、日本国内のニュース報道も外国の動向とほぼ同じ視点に立つことができる。そうすれば、国民の視野も広がり、より客観的、科学的になり、ひいてはビジネス、進路選択など広く日本人全体の活力の向上にもつながっていくだろう。

コロナ禍の中で、国民全体が苛立っているのはどの国でも同じだろうが、ここ日本では日本社会が求める目標と、目標を実現するうえで有効な政策、政策を裏打ちする社会理念が互いに強く矛盾し、その矛盾をうまく整理することができない。だから感染の波が来るたびに、求めること、有効な政策ツール、社会理念の矛盾に意識が向かい、解答がない閉塞状態にイライラとする。だから、メディアもこのところ何だか頭が混乱しているようだ。もちろん、混乱しているのはメディア編集局の頭の中であって、ロジックの方はもうそろそろスッパリと通すタイミングだ。欧米流民主主義の基本ロジックの通りに実行していくのが戦後日本が置かれた立場だろうし、その立場から別の立場に移る願いは日本社会にはないとみる。

となれば、感染者数の最小化という目標からは、そろそろ卒業するべきであろう。すこし前に投稿したが、「治療の正常化」が最大多数の日本人がいま望んでいることであるような印象をもっている。

それにはまず、町のお医者さんを含めた全ての医療関係者が「コロナには罹りたくないなあ」という願望を持たないことが必要条件(十分条件ではない)の一つであろう。

いや、いや、思わずそれがしの存念を一方的に書いてしもうた・・・。ご容赦なされよ。



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