2022年4月7日木曜日

ホンノ一言:「国際法」と「日本の民主主義」は両立しているのか、という疑問

今後予想出来る議論の方向として<ポスト・ウクライナ動乱>の国際的安全保障体制の構築というテーマが挙げられるのは、ほぼ確実だろう。

その中で新たなキーワードとして、《国連》と《国際法》の二つが欠かせないのも、まず間違いのないところだ。


国連が果たすべき役割を今回の「戦争」においては何ら果たすことが出来ずにいる。この点は専門家であれ、素人であれ、大半の人が同感するところだろう。今回のウクライナ動乱を抑止できるかどうかというステージにおいて、またロシアによる軍事侵攻が始まってからのステージにおいて、国連がまったく機能していないのは歴々たる事実である。国連が改革を迫られているのは、もう反対を許さない自明の事実になっている、と観られる。


ただ「国際法」については、個人的に長年の疑問があるのだ。

この分野の専門家ではないが、国際法の実体が、条約と国際慣習法であること位は聞いたことがある。

疑問は、この国際法の立案、立法、解釈・運用の各側面で《民主主義》との両立はいかにして実現されているのかという問いである。例えば、日本国内の民主主義と、日本があるいは日本人が守るべき国際法との調和が、いかにして実現されているのだろう?

よく国際法と憲法のいずれが優越するかという法学上の議論が展開されているのを目にするが、例えば

日本国憲法の規定より、まず国際法に沿って法的議論を進めるべきである

という、そんな主旨の議論をみると、

その国際法の規定に日本の民意はいかにして反映されるのか?

と、こんな疑問が必ず心の中に浮かび上がるのだ、な。

そもそも「民主主義」とは、一国の内部において定義される概念である。例えば、日本と韓国の2国の和集合をとって、その拡大された空間で民主主義が実現されているかといえば、韓国民の民意は日本の法律には反映されないし、まして日本の政策にも反映されない。逆も言える。だから、この日韓拡大空間は「非・民主主義的」である。日本とアメリカの和集合を考えても、実現されているのは「部分民主主義」であって「全体民主主義」ではない。旧・西側世界という政治空間を考えても、実現されているのは「部分民主主義」であって、旧・西側世界全体で民主主義が実現されているわけではない。大体、いま旧・西側世界で採られている政治方針に、日本人の民意が反映されているのかといえば、そんなことはなく、主として反映されているのは、アメリカ国民の民意だろう。これが現実ではないかというのは、かなり多数の人が共感するのではないだろうか?

つまり「民主主義」という概念は、あくまでも一国の内部において意味をもつ法的(政治学的?)概念である。その「民主主義」と「国際法」とは、いかにして両立しているのか?こんな問いである。

小生の疑問は、そういうことであって、日本は、日本人は国際法を尊重するべきだ、というこのこと自体は当然の義務かもしれないが、それは「日本の民主主義」といかにして両立しているのか?

勉強不足かもしれないが、この疑問は何年も解明されていない。

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