2022年4月30日土曜日

ロシアによる「核兵器使用」の可能性をどう考える?

 いわゆる《米ソ冷戦》はソ連が解体された1991年12月に、というよりその1年前、東西ドイツが統一された1990年10月3日に終結したわけだが、その米ソ冷戦とは《イコール核戦争の恐怖》でもあったことを、現時点でどれ位の人が記憶しているのだろう?

いまウクライナ戦争でプーチン・ロシア大統領が核兵器使用が必要になれば使用すると曖昧ではあるが匂わせている。これは「脅し」であると旧・西側諸国は激しく非難していて、日本国内のマスメディアも(今更ながら)恐怖を煽っているのだが、どの核保有国も決して使わない核兵器を保有しているはずがなく、必要になれば使うというのは、理屈から言えば、当然のことである。

問題は、

核兵器を使用する状況とはどんな状況なのか?

相手国、もしくは敵国が核兵器を使ったとき、(核兵器を持っている)自国はどのように対応するべきか?あるいは、核兵器を持っていないなら、どのように対応するべきか?

相互に核兵器が使用される新しい局面に移ったとき、戦争をどのようにマネージすれば相互的破滅を回避できるのか?

論点は、多分こんな問題から構成されるわけで、この議論なら今から50年以上も昔、<冷戦たけなわ>の頃、既に議論されていたことである。

その一つの代表作がトーマス・シェリングによる軍縮、核兵器に関する議論であって、ゲーム論に新しい地平を切り開いた業績を評価され2005年にノーベル経済学賞を授与された同氏の著作としては日本語訳もある『紛争の戦略』が有名である。初版は1960年に刊行されている。

本稿では、上記『紛争の戦略』巻末の補遺A「核兵器と限定戦争」の要点をメモっておきたい。

シェリングの問題意識は

限定戦争の限定性はどこから来るのか?

何がそうした限定性を安定もしくは不安定にするのか?

そうした戦争が限定的であることを権威付けするものは何か?

限定性を発見し、相互に認識しあうことを促進する状況や行動様式にはどのようなものがあるか?

これらの点が挙げられている。上に整理した論点と大体は重なっている。

そもそも「通常兵器」と「核兵器」の使用について何か法的な区分があるわけではない。

シェリングは

(重要な事は)敵の行動を決める要因は、象徴的には不連続であるこちら側の行為に対して報復しなかったら何を失うことになるかを敵が暗黙のうちにどう考えるか、なのである。

と書いている。だから

(国境や河川、橋梁、幹線など何らかの)政治的境界線は法的強制力を持たずとも停止線としては有効なのである。

たとえ戦争であっても、それは決して完全に対立的なゼロサム・ゲームではなく、コミュニケーションや交渉によって相互に利益が変化する交渉ゲームとしての一面をもつ。交渉ゲームで重要な機能を担うのが《フォーカル・ポイント》である。利益を配分する際に、「まずは2分の1」で分けようと考えたり、「慣例」や「前例」に基づいて交渉したり、自軍と敵軍が配置されるときに先ずは特定河川のこちら側とあちら側に分かれて敵対するというのは、フォーカル・ポイントの一例である。フォーカル・ポイントが全く存在せず、ただ連続する選択肢が無限にある状況の下では、交渉の解を発見する作業が困難になるわけだ。

プーチン大統領が示唆する「核兵器使用」に世界が不安を感じる理由と言うのは、シェリングも言及しているのであって、

技術の向上によって核兵器が多目的に使用される可能性が上昇しているが、このことは、核兵器を全く使用しないという特殊な限定性を除いては、核兵器の使用の限定をわかりやすく定義しようとすることをより困難にしている。

つまり、いったん核兵器を使用した後は、核兵器使用を分かりやすく限定するための境界線が見出しがたく、暗黙の交渉ができず、そのため戦争がエスカレートして、無際限に核戦争が拡大していってしまうのではないか。つまり

ある特定の制限を設けた核兵器の限定的使用を他の使用から「自然に」区別することは不可能に見える。

こういうロジックがあるからだ。つまり、この場合、もはや交渉解を見つけることができず、状況は発散するのではないか、と。これが現時点の懸念の核心だろう。

その戦争があくまでも限定的であると相互に認識可能であるためには、

限定性とは…交渉の過程によって発見されるもの

つまり双方の暗黙のコミュニケーションの中で、質的に区別される、一意性を備えた象徴的な性格をもった行動あるいは標識。これによって戦争は限定的になるわけである。

つまり、

まっさきに導かれる結論は、核兵器と通常兵器との間には(いま)区別が存在し、その区別は戦争を限定的にするプロセスの中で役割を果たしている・・・

という確認が得られるのであって、この認識は現在もなお有効である、ということだ。そして、ロシアによる核兵器使用の可能性が考えられるいま、必要なのは、その新たなフェーズにおいては何が戦争の限定性を保証するか、不連続で質的、かつ明確なフォーカルポイントがありうるか。これが今の問題の核心となる。

この基本的認識に基づいて、シェリングは幾つかの点を強調している。

一つは、

核兵器使用に対する抑制は、(いったん)核兵器が使われた途端に消滅する

ということだ。ここから次の要点が導かれる。

核兵器が初めて使用されたとき、…新たに確立されることになるパターンや先例が何なのか、そこで採用される「核の役割」が何なのかについて関心を向けなければならない。

戦争における核兵器使用の「先例」は史上ただ2回。広島と長崎への原爆投下のみである。その広島と長崎という先例から「核の役割」について政治的境界線の役割を果たせる何らかのパターンを見つけることが出来るだろうか。

将来再び、世界のどこかで発生するかもしれない「限定戦争」を限定的にするために、新たな政治的境界線を人類は発見しなければならない、ということだ。

これを敷衍すると

限定戦争で核兵器が使用された最初の場面においては、二つの事が同時に行われていると解釈するべきだ。

その第一は当初からの目的である限定的な戦争であり、第二は核兵器そのものの役割をめぐる暗黙の交渉ないし駆け引きである。

 仮に、今後訪れるだろう何らかの状況下でロシア軍が核兵器を使用するに至ったとき、旧・西側陣営は今回のウクライナ戦争そのものにどう対応するかという論点を超えて、今後起こりうる戦争において「核兵器」はいかに使用され、いかなる役割を果たすべきなのか、この点について(これまでにない)相互了解を見つける必要に迫られる。

暗黙にせよ、明示的な協議にせよ、その交渉には旧・西側陣営も応じざるを得ず、そもそもロシアがウクライナに対して先制的な軍事侵攻を断行した背景として、ウクライナがNATOに加盟し、ウクライナ国内、特にロシア国境沿いにミサイル基地が設けられ、そこにはアメリカ製核兵器が配備される、こうした危険性を除去しようとしたことが、ロシアによる今回の「特別軍事作戦」の目的であるのは明らかなのだから、もしもロシアが(仮に)核兵器を実際に使用するとすれば、

核兵器の役割に関する新たな政治的境界線を見出す

このための交渉を求めているのだ、という理屈になる。


核兵器は決して使用しない、というのでは戦争は管理できない。そこに既に核兵器はあり、戦争で使われた「前例」があるからだ。

これこそロシアがアメリカに対して求めている核心であるとすれば、この問題に関してアメリカが交渉に応じるとロシアが理解しないときは、ロシアはアメリカに交渉の意図はないと解釈し、核兵器を実際に使用して一つの「使用例」を創出するだろうという憶測は、確かに憶測としては合理的根拠がある。そして、確かにそれは使用例となり、今後将来にかけて戦争を管理し、(逆説的ではあるが)平和を維持することに役立つ一つの標識になるに違いない。

マ、小生はバイデンと言う大統領は相当の《三流政治家》であるという印象をもっているので、アメリカがキチンと対露対応を出来るのかどうか、いささか不安であるのが正直なところだ。

ま、これを今日のまとめの結論としておくか。


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