昨日のNYダウ、前日比▲1164.52ドルという急落を演じた。「インフレによるコスト上昇から利益が圧迫される」という弱気の見通しが強まったというのが理由だ。
これは(完全に間違いではないが)今の経済状況を正しくとらえてはいない。
インフレは一般的な物価上昇だ。だから、利益もまた金額としては増えるし、配当も増える。インフレを懸念して株価が下がるというのは理屈に合わない。
実際、(賃金も含めて)全ての価格が2倍になれば、何が割安、何が割高という相対価格は不変だから、生産現場で資源の再配分、雇用のシフト、調整はまったく必要ない。そしてこの時、確かにコストは2倍に上がるが、売り上げ収入も2倍に増えるので、結果として利益も2倍に増える。消費者も2倍に上がった商品を2倍増えた収入で買うので痛くもなんともない。物価が上がっても相対価格が一定なら実質的には同じだ、というのはいわゆる「ゼロ次同次性」のことで、経済学でも最も固い結論の中の一つだ。この系の中に先日投稿した対ロシア制裁の一環であるSWIFT排除の効果があるわけで、《貨幣ヴェール観》という見方にもなる。
要するに、「インフレだから企業利益が減る」と考えるのは、間違いである。実際、過去においてもインフレが高進すると、株価もあとで上がって来たものだ。
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いま起きているのは、インフレというより価格体系の激変であって、農産物、資源価格の急騰に尽きている。この<一次産品の急騰>は1970年代初めにも発生したことで、73年の第一次石油危機は資源価格急騰という売り手市場の中でOPECが行使した価格戦略に端を発したものである。
今は足元で<一次産品の急騰>が進んでいるわけで、これはマネーではなく、リアルな原因があってのことだ。
国内賃金が一定であっても輸入財の価格が急上昇することはある。海外に原因があればそうなる。国内の政策とは関係がない。このとき、同じ数量を輸入して、同じ生産をするとしても、より多くのマネーが国外に流出する。雇用が同じなら利益が減る。故に、労働所得と資本所得の和である名目国民所得は減る。だから名目GDPも減る。実質的な生産水準が同じでも名目は減る。従って、名目GDP÷実質GDPで算出されるGDPデフレーターが低下する。実際には、賃金も切り下げられ、利益も賃金も低下するデフレが輸入国では進行するだろう。
つまり輸入財の価格上昇を受け入れる一方、価格転嫁を一切しない場合、輸入インフレとホームメイド・デフレが進む。これが理屈である。
【後で補足】輸入商品は通関して輸入に計上されたあと、いったん流通在庫品増加(=在庫投資)として同時にカウントされる。もし輸入品の価格が上昇すれば、金額が増えた分、在庫投資も増えるのでこの時点では差引ゼロで、名目GDPは変わらない。そのあと、在庫品は国内の最終需要、もしくは企業による中間消費に向けて出荷される。もし輸入品の価格上昇に見合うだけ販売価格に転嫁されれば、結局のところ、在庫が減る分だけ国内需要が増えて、名目GDPは変わらない。この段階で輸入価格上昇の転嫁がまったくできなければ、上に書いたように国内輸入業者の利益が減るので、国民所得低下、名目GDP低下につながる。つまり、輸入品価格上昇に見合う分だけ、国内販売価格が上がる場合は名目GDPは不変であり、数量一定とすれば実質GDPも変わらない。したがってGDPデフレーターは横ばいとなる。GDPデフレーターが横ばいというのは、国内の名目賃金、名目利益が変わらない状態を指している。しかしながら、GDPデフレーターが横ばいでも、輸入された農産物、資源を中心に卸売物価指数(WPI)は上がる。つまりインフレである。インフレではあるが、これは輸入インフレであって、ホームメイド・インフレにはなっていないわけだ。もし輸入品価格上昇をまったく転嫁できなければ、ホームメイド・デフレになる。これが基本的なロジックである。
ホームメイドデフレは抑止する方がベターだ。そうでなければ、債務金額は不変のためデット・デフレーションが深刻化する。
そうかと言って、輸入インフレによる実質所得低下を埋め合わせようと、賃上げを求めたり、上がる賃金で利益が減るのを埋め合わせるために輸入品価格上昇分を超えて販売価格を引き上げたりすれば、これは<真正インフレ>であって、そのまま<ホームメイド・インフレ>につながる結果になる。
であるから、一次産品価格急騰という輸入インフレに襲われる際には<名目賃金水準一定>、<労働分配率一定>を守ることが目安としてはオーソドックスな政策目標だ。実際に1970年代終盤の第二次石油危機では日本は賃上げ要求を自粛して見事に対応した。第一次石油危機における賃金大幅引上げの失敗に学習したから出来たことだ。
一次産品価格急騰による輸入インフレに対して、価格転嫁と賃上げを進めるという政府の声掛けは、《ホームメイド・インフレの呼びかけ》であり、これはデフレ体質が染みついた日本経済を対象とする特殊なケースにだけ当てはまる特異な経済政策である。
リアルな原因からもたらされる相対価格変動は受け入れるしか選択肢はなく、その影響を金融政策というマネーの調整で全面的に解消することは出来ない。
具体的には、コロナ後のサプライチェーン混乱を別として
- ロシア=ウクライナ戦争によって、ウクライナの農産物が(ほぼ)壊滅的な打撃を受けつつある。
- 対ロ制裁とロシア、ウクライナ両国の経済戦略によって、石油、ガス供給量に制約が強められつつある。
- 中国のゼロコロナ政策死守によってサプライチェーンの停滞が続きつつある。
すべて現在進行形の供給制約が働いている。供給が制約された一部商品がその他商品に対して相対的に割高になるのは当然だ。
割高になった商品が、必需財としての特性を持っていて、価格非弾力的であれば、需要金額は増える。その分、他財を購入できる金額が削減される。購買力が需要国から供給国に移動する。需要国内の購買力が合計として減少する。農産物、資源の輸入国からは所得が流出し、供給国に流入する。そんな調整が今後進むと予想されるわけである。
理屈はこういうことだ。つまり、購買力が資源の産出国から購入国へ還流してこない限り、購入国の景気は必ず悪化する。
購入国の経常収支は悪化するが、産出国に流れたカネを還流させるだけの魅力的な産業、金融市場があれば、打撃を克服することが出来る。
一次産品価格急騰という<資源インフレ>は、同じ先進国(≒資源購入国)を優れた政策実施国と劣った政策実施国に選別して、分離する機能を果たすことが多い。
願わくは、日本が<勝ち組>に残ってほしいものだ。
話しを戻そう・・・
つまり、事の本質はインフレが心配なのではなく、
一次産品価格を中心とするインフレ高進によって企業利益が圧迫されるというのはその通りだが、売り上げや利益金額が減るかどうかは金融政策次第だ。FRBがインフレ抑制に過剰に重点を置き、そのために企業利益が過剰に減る。政策ミスによる"Overkill"が起きる可能性がある。それが心配だ。
心配の種はこれかもしれない。つまり、アメリカの金融政策当局であるFRBの手腕に全幅の信頼が置かれていない。だから株価が急落した。ひょっとすると、こういうことであろうと(小生は)観ているところだ。
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実は、こんな報道もある:
Germany has been forced to pump in extra gas from Norway and the Netherlands after Ukraine shut a key pipeline bringing Russian fuel to Europe for the first time since Vladimir Putin's invasion began.
The closure of the Sokhranivka transit hub in the Luhansk region, near Ukraine’s eastern border, caused onward gas flows into Weidhaus, Bavaria, to drop by a quarter, German authorities said.
Robert Habeck, Germany’s economy minister, insisted that overall supplies remained “stable” on Wednesday, with the country still getting most of its gas directly from Russia via the Nord Stream 1 pipeline.
URL:https://www.telegraph.co.uk/business/2022/05/12/germany-gas-supply-drops-ukraine-shuts-pipes-russia/
Source:The Telegraph、 12 May 2022 • 6:00am
ウクライナ東部を経由してドイツに通じているガス・パイプラインがある。そのチャネルを通るガス供給が既に25パーセントほど削減されている、ということだ。ただ、これはウクライナの政治的意志による措置ではない(だろう)ということも、上の記事では言及されている。
しかし、記事後半では
Ukraine has been urging the EU to stop purchasing Russian gas, even though it earns billions of euros from Gazprom in transit fees.
A long term closure would leave countries reliant on Russian gas with three options - reduce usage, for example by rationing supply to heavy industry and households; attempt the difficult task of shipping in more gas from other parts in the world to a limited number of terminals at a time of high demand; or give Ukraine more military, financial and diplomatic aid in an effort to persuade it to turn the taps back on.
こんな風に述べられており、ウクライナはトランジット料金収入を犠牲にしてでもロシアからガスを購入するのをストップせよとヨーロッパ諸国に要請し続けている。
結局、ヨーロッパは
- (当面のガス供給を諦めて)ガスの数量割り当て制を導入する。
- 次の需要期までに他の供給国に切り替える準備をする。
- ウクライナに対する軍事支援、金融支援、外交支援によってガス供給の保証を得る。
この三択だろうというわけだ。
そこで、EUはエネルギーの脱ロシアを実現するため2027年(5年後)までに28兆円の投資を計画しているとの報道があった。
欧州連合(EU)は18日、化石燃料の脱ロシア依存を2027年に達成する計画案を発表した。天然ガスの調達先の多様化や、再生可能エネルギーの導入を加速する。官民あわせて2100億ユーロ(約28兆円)の投資を想定する。住宅を含む新築の建物に太陽光パネルの設置を義務づける方針も打ち出した。
Source:朝日新聞デジタル、 ベルリン=青田秀樹 2022年5月19日 6時06分
EUは(長期的には)他にエネルギー源を確保する路線を選んだようだ。 ま、現状を考えれば当然かもしれないが、ノンビリした話ではある。
この投資コストは、(欧州にとっては)従来の経済的厚生を維持するために必要な支払いであり、いわば<災害復旧費>のような支出である。安価なパイプラインから高額なLNG(液化天然ガス)に切り替えることでドイツにとってはエネルギー・コストが上がる。その分、ドイツの所得が流出する。これらもまた、ロシア=ウクライナ戦争によるリアルな損失なのである。
戦争の一時停戦後にウクライナの<復興工事>が進められるだろう。当然、カネが要る。脱ロシアで手一杯なヨーロッパにウクライナ復興に経済支援する余力があるのかどうか全く不明だ。これまた<災害復旧事業>に類似した費用なのである。
つまり、旧・西側諸国は経済的に疲弊する見通しである。それはインフレが原因ではない。コロナ・パンデミック直後に世界を襲ったロシア=ウクライナ戦争と、戦争と対峙するために続けつつある対ロシア制裁。これらのリアルな要因によって発生した経済的コストをいま払いつつあるわけで、それが企業経営の業績に現れてくるのではないかと懸念している。だから株価は下がるのだと考える方が理に適っている。ズバリ言えば、政治的イデオロギーが経済メカニズムを踏みにじりつつある。その危険を懸念して投資家が神経過敏になっている。どうもそう思われるのだ、な。
では、なぜ政治が経済を犠牲にして世は政治家を非難しないのかと言えば、やはりコロナ禍3年間で政府権力が強まってきている、うまくやったという政治指導者の"euphoria"(高揚感)が高まっている、反対にうまく行かなかったという"melancholia"(憂鬱感)があって、挽回の好機を探している、世間もそれを受け入れたり、待望したりしている、そんな世の流れがある。それで、何だか<政治優先>の流れが出てきている。これも、広い意味では、コロナがもたらした社会的後遺症であると小生は思っているのだ、な。困ったものだ・・・。
マ、話を戻すとすると、単にインフレが心配で株価が下がるのであれば、インフレ率がピークアウトすれば、株価は回復・反騰する理屈だ。しかし、そんな因果関係はない。
リアルな事業機会が再び戻ってくるか?経済成長が再稼働するかどうか?人々の暮らしよりイデオロギーが大事だといつまで人々は騙されるのか?要点はこれであって、インフレやFRBが物事を決めているわけではない。
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