2022年5月7日土曜日

一言メモ: 直接関係国より日本の方がウクライナ支援に傾いている?

「 ロシア=ウクライナ戦争」は(多分)長期化するものと大多数の人は考え始めている(ようだ)。

そんな中で、日本国内ではTVを主なメディアとして、数を数えたことはないが、全放送局を合計すれば20本を超える(かもしれない)ニュース解説番組、ワイドショーで、毎日「戦況報告」を流しているという状況だ。そして、その番組内では、「ウクライナ支援姿勢が正しい」という大前提で解説方針が固まっており、正しい方針に異論を提出する意見は自動的に「間違っている」と指摘され、批判の対象になるという雰囲気だ。日本はウクライナに軍事支援、武器供与はせず、歴史的にもロシアとは疎遠、ウクライナとは親密、という外交関係にずっとあったわけでもないので、非常に不思議なのだが、最近の日本はどこか《欧米の意をくんで(=忖度して)》、ここは一番、ロシアを叩いて、ウクライナを助ける、と。そんな心理がいま日本社会を支配しているように見える。何だか、ロシアなら罵詈雑言を浴びせてもイイんだと、そんな集団心理が蔓延しているのかもしれない。

もう熱に浮かされるというか、ある意味「国民病」だネエ・・・

と思ったりもする。

日本経済新聞はFinancial Timesの掲載記事を和訳して載せるようになっている。たとえば、

キューバ危機後、「相互確証破壊」という概念が浸透した(編集注、米ソの間で相手から大規模な核攻撃を受けても、破壊を免れた核戦力で確実に報復することになるため、2国間で核戦争を含む軍事衝突は理論上、発生しえないという考え方)。ただ、これは双方の間で相手の手順や思考を明確に理解するためのパイプを維持していることが前提だった。

しかし、そのために構築された情報共有の手段のほとんどはこの10年で破棄された。プーチン氏は冷戦時代からのプロトコル(手順)を封印し、米国のカウンターパートに会いたがるロシアの核科学者らをスパイだと非難さえする始末だ。このため、世界の核弾頭の約9割を保有する米ロは、70年代や80年代に比べ互いが相手に対して発するサインについてほぼ何もわからなくなってしまっている。この状況はあまりにもまずい。

Source:日本経済新聞、 2022年5月6日 0:00

Original:2022年4月29日付 英フィナンシャル・タイムズ紙

こんな危機意識からか

プーチン氏の核の使用も辞さない構えの発言を巡る議論が一般の人にどう捉えられているかといえば、まさに「事態の意味する本質をよく理解している人は沈黙を貫く一方、よくわかっていない人ほどあれこれ発言している」という現状に集約されるだろう。

まあ、いまの世間の大騒ぎを《空騒ぎ》のようなものだと例えている。

そうかあ・・・イギリスの世間もそんな雰囲気でござんすか?

まあ、イギリス人は、最初に疑ってから人の話を聞く傾向があると言われる。同じ島国でも日本人は人の話を一先ず信じる傾向がある(ところがある)。「もしこの通りなら・・・」と一先ず聞いておくわけだ。イギリスですら「空騒ぎ」なのだから、日本においてヲヤ、だねえと考えないでもない。

危ないナア・・・と思う。

そもそも今回の「戦争」。前にも投稿したことがあるが、本質は

ロシアのプーチンと、アメリカのバイデンの、面子のつぶしあい合戦

こんな風に、小生は割り切っている。 そして、こうも付け加えている。

そうそう・・・ウクライナのゼレンスキー大統領。狂言回しの役回りだ。彼もまたホンネで何を考えているか分からない御仁だ。それと常に見え隠れする《イギリス》という世界歴史の黒子役、今回も仕事をしているナアという印象だ。

日本国内の政治家の胸の内は分からないが、片方のバイデン政権の思惑に全面的に協力している日本のマスコミは視ていてホントに滑稽である。そう思う2022年の3月である。

うちのカミさん、最初からゼレンスキー大統領はどこか決定的に「無責任」で、信用できない男と嫌っていて、最近では顔も見たくない様子なのである。小生も、どこか共感できるところはあるのだ、な。

そして、この一抹の「胡散臭さ」、というか「危ない感覚」は、小生だけに限るわけではないようだ — テレビに出たいために戦争をやっているというロシア側の批判は論外としても。

 上で「信用できない」と書いたが、実は「この男、大丈夫か?」という感覚は、当事者と言ってもいいアメリカのメディアも持っているようで、The New York Timesに定期的に寄稿するコラムニストであるトーマス・フリードマンは、こう述べている:

Have no illusions, President Volodymyr Zelensky of Ukraine has been trying to do the same thing from the start — to make Ukraine an immediate member of NATO or get Washington to forge a bilateral security pact with Kyiv. I am in awe of Zelensky’s heroism and leadership.

Source:NYT,  May 6, 2022

ウクライナのゼ大統領、なるほど<英雄的なリーダ―シップ>には感服もするが、同時に怖さも感じないではない、と。

現状判断はとても楽観視できるようなものではなく、

If you just followed news reports on Ukraine, you might think that the war has settled into a long, grinding and somewhat boring slog. You would be wrong.

Things are actually getting more dangerous by the day.

長期化予測で高みの見物を決め込むどころではなく、日に日に危険になりつつある、と。フリードマンは外交・国際関係に詳しく ピューリッツァー賞の受賞歴もある一流のジャーナリストだ。

But I’m an American citizen, and I want us to be careful. Ukraine was, and still is, a country marbled with corruption. That doesn’t mean we should not be helping it. I am glad we are. I insist we do. But my sense is that the Biden team is walking much more of a tightrope with Zelensky than it would appear to the eye ...

フリードマンが語る

しかし、私はアメリ人だ。願わくば、私たちは注意深くあれ、ということだ。・・・アメリカはゼレンスキーと一緒に表面上そう見えるよりははるかに危険な綱渡りをしている。

ウクライナで暮らす「無辜の非戦闘員」がロシア軍に殺害されている事態は何としても止めるべきである。ウクライナ国民を支援するべきである。しかし、ゼレンスキー大統領の「冒険的方針」にどこまで付き合えばイイのか? ウクライナ支援の急先鋒であるアメリカですら、こんな意見が出てきている。

ごくごく自然な感性(="sense")だ。小生も同感だ。

この「アメリカ人(American citizen)」を「日本人(Japanese citizen)」に代えた言葉が、最近、日本のマスメディアから発信されたことがあるだろうか?アメリカ人が言えることなら、外野(とまでは言えないか)である日本人ならもっと容易に言えるべきであろう。ところが・・・

ロシアとウクライナ、どっちもどっち、です

と、当たり前の現状認識を、ウクライナではなく、この日本で、日本人が発言するだけで、国内の日本語空間の中で(英語空間ならまだ分かるが)批判の対象となり、炎上するという現象が見られた。

これをみて、TVのスタジオも世間に《忖度》をするようになったのだろう。こうして、ますます日本国内の言論は一面的になり、一方に偏る。


<世界政府>は存在しない。もちろん<国際的司法権力>もない。ありのままの世界では武装国家が多数分立している。武力は使うことがあるから持つのであって、決して使わないなら高額のカネを払って武装などする理由がない。武装国家の間で起きた武力衝突に、一国限りの刑事裁判の理屈を当てはめて、<加害国=ロシア、被害国=ウクライナ>と論じてみても、真っ当な結論など出てくるはずはなく、この位の筋道なら中学生でも理解できるだろう。

特定の見方を国民で共有しようとする狙いが最初から伝わってくる報道の、というより日本社会の傾向は、決して美点ではなく、治すべき欠点であると小生は思っているし、にも拘わらず、おかしいとは思わず、何が正解であるかにこだわり、中学生でも理解できるはずのディベートを避けようとするのは、知的退廃、というか知的劣化だと思う。

「ロシアは正しい」と言いくるめられていると言って、ロシアを嗤うことはできない。


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