2022年5月5日木曜日

断想: 経済の低調は経済政策の混迷に原因があるのか?

マクロの経済成長は、「政府の政策がどうである、こうである」というよりは、基本的にはその国の民間企業が導入する新技術、商品開発、教育投資を通じた人的資源の質の向上によってもたらされるものである、というのがオーソドックスな経済理論の帰結であって、これは(政治家や政治評論家が何と言おうとも)経済学全体の中では最も固い結論の一つであると小生も確信している。

その(広い意味での)技術進歩だが、いわゆる《全要素生産性向上率》で測定されるのだが、経済成長を決めるこの最大のキーポイントがどのように決まって来るかが、実はまだよくわかっていないのだ。これはもう例えばクルーグマンが『経済政策を売り歩く人々』で書いている通りなのだが、ただ日本については

政府が、というより日本社会の姿勢が経済政策を相当強く制限している。だから、海外で実現できることが出来ていない。

そう考えるようになっている。この点は、最近でも何度か投稿済みだ(例えばこれこれ)。もうそろそろ、明治以来の、というより旧式の重商主義的な

経常収支黒字国=貿易強国=経済強国

という思い込みは卒業してはどうか、と。経済政策の戦略的目標を時代に合った新しいものに変えるべき段階に進んできた。ますますそう思っている。

そもそも現時点の日本経済は、というより日本社会、日本人の感性は全体として、国内では消費を我慢して、余裕は海外の顧客に"Made in Japan"を可能な限り輸出して儲ける、外貨を稼ぐ、と。そういう発展段階から一歩先のステージにもう進んでしまっている。<グローバル>とは言えないまでも、<広域経済圏>の中の日本のポジションを決める段階に来ている。この新しい現実を常識にしなければ政府は何も出来ない。いつ気が付くのかネエ・・・そういうわけである。

いや、政府はもう気が付いているはずだ。

で、こんな感想はごく最近になって、とみに強まって来たのかと思い、これまでの投稿を振り返ってみると、決してそうではなかった。結構、昔から同じことは書いてきているのだ。

例えば、シュンペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』を再読した時はこんな覚え書きを書いている:

第一に、資本主義社会では、政治に関心のない大多数が、少数者に政治をまかせるようになる。それは「公」に奉仕する社会的階層を市民(=ブルジョワジー)が侵食し、解体するからなのだな。これ即ち民主化プロセスであり、日本で1980年前後まで進んだ「一億総中流化」現象と似通っている一面もある。言い換えると、社会の単一階層化だ。そうした単一化の中で、人々の生き方やモラル、人生の目的は、ますますビジネスに集中し、個人的成功を誰もが求めるようになり、国益に寄与する動機や意識はますます弱まる。これは必然だという目線である。

第二に、専門家は社会を有益な方向には導かない。匿名集団による<世論>が専門家の提案を規定する、というのが理由だ。これと逆の見方であると思うのだが、専門家は、Social Interestの拡大を直接の目的とするわけではなく、専門家である自分にとってのSpecial Interestを求めるものであるという指摘がある点は、先日の投稿でも紹介した。いずれにしても、ケインズ流の「ハーベイロードの前提」、プラトンの「哲人政治」等々、古来より有識者による寡頭制共和主義を支持する向きがインテリには多い。しかし、それはうまく機能しないのだ、という認識である。

三つ目は、民主主義とは<物事の決め方>であって、それ自体が目的であるわけではない。この社会哲学だ。シュンペーターは、第一次世界大戦での敗北後、解体消滅したハプスブルク家オーストリア・ハンガリー帝国を愛していた。「帝国」という政治行政制度が、時代遅れで適切な意思決定を妨げるものであるという心配から、様々の改革案を幾度も帝国政府に上奏したと言われる。単に「人々による統治」というだけでは、民主主義であることを意味しない。ということは、人々による統治は、民主主義の必要条件ではあるが、十分条件ではないと解釈する。

それより更に昔に遡る以下の感想など、まったく同じ線にあるわけだ:

小生の感覚が文字通りに「コペルニクス的転回」をしたのは、ある個性の強い議員が大臣になって、組織全体がその大臣に振り回されてしまったときである。

"Civil Servant"(=公僕)であったはずが、実は"Minister's Servant”(=大臣の使用人)であるに過ぎなかった現実が露呈したわけである。

君たちが実証的分析の結果だと称する結果も、その結果に基づく提案も、国民が認めなければ意味がないのだ。実行など不可能だ。それが民主主義なんだヨ。

このブログで何度か引用している言葉はこの時のことだ。

実に若い時分から、同じ感想をもってウジウジとやって来たわけである。これはもう「業(ゴウ)」というものだネエ。いやあ、これでよく鬱症にならずに済んだネエ、という所だが、小生は悪い意味でへそ曲がりかつ偏屈で、だから寧ろ周囲の「無理解」とか、「孤立」とか、「コミュニケーション・ギャップ」には不安を感じない強い免疫があったということなのだろう。

ただ、小生はよくても、現時点の経済政策の不適切は10年、20年を経てから、愚息が社会の最前線に立つ頃になって、解決し難い《日本病の深刻化》になって問題が拡大するはずである。その時点ではもうソフト・ランディングは困難になっているだろう。それが不憫と言えば不憫である。

ちょうどそれは大正デモクラシーの頃、民主主義導入が本格化する時代に、実は日本の安全保障、国際外交戦略、経済政策で、数々の不適切な手を選んだ結果として、10数年後の昭和初期に政治的な閉塞を迎えてしまった。山縣有朋や伊藤博文は明治を通して長生きできたが、次の世代である原敬は暗殺され、加藤高明も短命であった点も不運だった。山本権兵衛が組閣後にシーメンス事件に巻き込まれ海軍から追放される憂き目にあったのも後々を考えれば実に痛い痛恨の不祥事であった。結局、戦前期の日本は「政党と普通選挙」という政治システムでは問題を解決できず、その最終的結果は日本人全体が「敗戦」という形で引き受けることになったわけだ。

どうもこんな歴史的経緯に目が向いてしまう。

民主主義の日本では、結局、日本人全体が選ぶ政策が、日本人全体にその結果をもたらす。<国民主権>とはそういうものだ。それ以外のロジックはない。民主的な政府に社会は変えられない。 

クルーグマンも、1970年代に入ってアメリカの生産性上昇率がなぜ急に低下したのかといえば、新技術の浸透の遅れ、新しい世代の質の低下といった政府にはどうにもならない運命論的な説明の仕方もあれば、政府が(というより保守派政治家が)採った政策が主因であるという説明も出来ると述べている。 

どちらかと言えば、現在、政府が採るべき政策を採れないでいる原因は、政府の怠慢というよりは、クルーグマンのいう運命論的な理解の仕方に共感をもっている。

結論としては

日本経済の低調の原因は、政府の経済政策の混迷にある、という理解の仕方は浅い。日本の民主主義の下では避けがたい結果である。

これが今日の結論だ — 時間が経てばまた見方が変わるかもしれない。


 



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