2022年5月1日日曜日

ロシアが「戦争宣言」をするとすれば

ロシアによるウクライナ軍事侵攻は、ロシア側の認識によればあくまでも《特別軍事作戦》であったのが、ここに来て遂に、というかヤッパリというか、《対ウクライナ戦争》として正式に宣言される見通しになって来た、と。

Yahoo!Japanニュースが毎日新聞の記事を転載している:

英国のウォレス国防相は4月28日、ウクライナに侵攻するロシアのプーチン大統領が5月9日の「対独戦勝記念日」に、ロシア軍がウクライナと戦争状態にあると位置付け、軍や市民の大量動員を宣言する可能性に言及した。英ラジオ局LBCの番組で語った。

URL:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6425289

Source:Yahoo!Japanニュース、5月1日8時8分配信

ただ、これに関してBBCや英紙Telegraph、Guardianなどにはまだ現在時刻で報道がないようだ。とはいえ、ロシアによる「戦争宣言」が本当なら、新しい局面に移ると予想される。

【加筆】あとで気が付いたが、こういう記事はThe Telegraphにある:

Vladimir Putin is set to declare all-out war on Ukraine as his military chiefs seek “payback” for their invasion failures, according to Russian sources and Western officials.

Frustrated army chiefs are urging the Russian president to drop the term “special operation” used for the invasion and instead declare war, which would enable mass mobilisation of Russians.

Source:The Telegraph,  29 April 2022  9:18pm

配信は一昨日だが、上の毎日記事にある「28日」との前後関係を考えると同じ事柄を指しているのだろう。

ロシアによる軍事侵攻で初めて投稿したのは2月22日である。 2月24日の「開戦時点」では「ウクライナ必敗 三日間戦争」を予想し、投稿していた。2月26日には「お寒い日本の対ロ外交」を書いている。

その後、SWIFT(国際的銀行間決済システム)からロシアを追放するという制裁が発動されロシアの読み違えが表面化する中で「軍事侵攻=ロシア版文禄慶長の役」にたとえている。2月27日だ。行司役を果たせる国はどこかが分からなくなる中、《戦時中立の原則》について投稿しているが、この頃になって自分なりに今回の紛争を観る視点が定まって来たことが分かる。実際、こんなことを書いている:

当事国がどうアナウンスしているかは置いておくとして、現に「戦争状態」になっている以上、無抵抗のウクライナをロシアが軍事力を行使して占領、支配しようとしていると認識するのは一面的である。実際、ウ側は旺盛な戦意を示し、第3国から軍事支援を受け、かつ国際世論への働きかけを行い、第3国との「連帯」を拡大しようとしている。これらの行為はロシアの攻撃に対する反撃であり、(広義のというより正しく)「戦争行為」であると解釈されるのではないか。

これが3月3日。翌3月4日には

中国流の「春秋の筆法」ではないが、ウクライナに多くの犠牲をもたらしている要素は旧・西側諸国による軍事支援と経済面でのロシア制裁である、と観るのがロジカルな現状説明であろう。つまりウクライナが採っている戦略が自らにはね返っている。そう考えるのが正しい。戦争というのは、そもそもそういうものである。

旧・西側諸国は、ロシア側に余りに過大な犠牲を甘受させることを止め、リスク・コントロールに意を払うべきである。軍事支援と経済制裁をこれ以上レベルアップすることはない、無期限かつ無際限に支援を続けることはない、と。こうした《コミットメント》が鍵となる。当事国の一方の勝利を望む支援であっても《限度》を設けることによって、《ペナルティ》としては十分な役割を果たす。無期限・無際限のペナルティを与えようとする行為は実質的には《参戦》にあたると小生は思う。例えば日中戦争当時、英米両国は中国・国民党と共に実質的には参戦していたと日本は認識していただろう。

と記している。

3月上旬はドイツに対する親露姿勢批判が熱を帯びてきた頃だ。 3月8日には

しかし、SWIFT排除措置の中でロシア産天然ガス輸入は(当面)「お目こぼし」してもらいつつ、「エネルギー政策の再構築」を早くやれとプレッシャを受けている肩身の狭いドイツに、今度はロシア産石油も買うな、と。

これではまるで

ロシアと仲良くしたお前たちドイツが悪い!少しは辛い目にあって反省しろ!!

東アジアの外野から観ていると、旧連合軍がこう言っているのと同じなように思えたりする。なにやら英米にドイツがシバカレテイル、こんな感覚がある。

こう書いている。この後、ドイツは反ロ感情を高める東欧+英米の中で、ますます居心地が悪くなり、「針のむしろ」に座ることになる。

本ブログで「核使用」をとりあげたのは3月10日だ。偶々だが、戦前期・日本であれば、この日は帝国陸軍がロシア陸軍を相手にして奉天会戦に勝利した故事を祝う陸軍記念日であった。そこでこんな風に書いている:

…核兵器を使うなら<戦時>に限定する方が自分の身のためではないかと思われる。

つまり

ウクライナとは<戦争>をしている

ロシアもそう認め、戦争を宣言する。ロシア国民にも告げるというステップが必要だと思うのだ、な。(常識的に、理屈としては)それが核使用の前提になるのではないだろうか。

この頃、ロシアはウクライナに対して「宣戦」をしていないにも拘わらず、核兵器使用がありうるとTVワイドショーで盛んに論じていたが、正直、「こりゃ余りに軽薄だネエ」と感じていたのを思い出す。であるので、認識としては

ところで、《戦争》は、絶対王政時代ならいざしらず、近代"Nation State"においては国民全体として引き受ける国家的行動である。故に、戦争遂行には国民の了解と覚悟が不可欠だ。例えば、アメリカが外国に対し<戦争>を宣言する権限は、最終的には議会が有している。これも同様の理屈だろう。

ということは、ウクライナに対する宣戦布告を改めて行わないとしても、ロシア国民に対するプーチン大統領の何らかの戦争宣言ないし議会に対する宣戦要請があり、ロシア側が予備役を召集し<総動員体制>に移るとすれば、その時点からこそ、ロシアは《対ウクライナ戦争》、あるいは(ひょっとしてそれから派生する)別の戦争を国としても覚悟した、と。従って、それ以降はロシア国家の生存のために<核兵器>の使用が十分ありうる。こう考えるのがロジカルだと思う。

ロシアによる核兵器使用を真剣に予想するべき状況としては、ロシアによる「戦争宣言以降」である。こう考えるのが正当な見方になるのではないか。どうも、情勢はそんな情勢になりつつあるようである。 


以上、振り返った道筋と昨日投稿で書いた次の認識

そもそもロシアがウクライナに対して先制的な軍事侵攻を断行した背景として、ウクライナがNATOに加盟し、ウクライナ国内、特にロシア国境沿いにミサイル基地が設けられ、そこにはアメリカ製核兵器が配備される、こうした危険性を除去しようとしたことが、ロシアによる今回の「特別軍事作戦」の目的であるのは明らかなのだから、もしもロシアが(仮に)核兵器を実際に使用するとすれば、

核兵器の役割に関する新たな政治的境界線を見出す

このための交渉を求めているのだ、という理屈になる。

核兵器は決して使用しない、というのでは戦争は管理できない。そこに既に核兵器はあり、戦争で使われた「前例」があるからだ。

この認識は、今回の戦争の具体的事象にはよらず、「核兵器と平和維持」に関して展開できる一般的なロジックから導かれるものであるから、

平和維持のためには、対ウクライナ軍事支援だけに視野を限定せず、核兵器使用に関する政治的境界線に関して必要な交渉を行うことが不可欠である

 今はこういう結論になるのだと思われる。

「英米の国益」は確かに大事かもしれないが、「世界平和」はそれを超える価値であろう。ともかく、戦争において核兵器を使用した経験を有するのは、ただ一国《アメリカ》だけなのである。


 

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