2022年6月29日水曜日

ホンノ一言: 「コロナ」も「電力不足」も、「国民運動」しか打つ手を思いつかないですか?

多分、これも「想定外」であったのだろう急激な「世界的資源インフレ」に襲われている中、更に6月にしては異常な酷暑と最近年の慢性的電力不足とがあいまって、日本国内の大都市圏は極めて危険な経済状況に立ち至っている。物価問題だけでも対応が難しいのに、経済産業省は国民に「節電」を呼びかけるのに必死である。また再び「国民へのお願い」である。

この現状を招いた「戦犯」を世間は探しているようだが、詰まるところ、二つの陣営に分かれているようだ。

  1. なぜもっと速やかに原発再稼働を進めてこなかったか?ベース電源として原発を活用する意志を持つなら、もっと速いスピードで電源正常化を進めるべきであった。
  2. なぜもっと速やかに再エネ投資を拡大してこなかったか?福一原発事故を繰り返さないためにも原発ゼロを確かなものにしておけば、太陽光発電だけではなく広範にグリーン投資が行われ、送電網の整備も進んだはずであった。
双方の言い分は、将来の不確実性の上に立った議論でもあり、どちらが正しいかの決着はそもそも難しい。どの選択肢を選んでもリスクが伴うとき、それでも意思決定を行わなければならないとすれば、それは《政治》以外にはないわけであるから、究極的には東日本大震災以後の不徹底は<政治の責任>としか言えないだろう。日本は政治主導と言いながらも、本質的には<官僚丸投げ体質>から脱しておらず、政治家はリスクをとろうとしない。この辺りは戦前期・日本の方がはるかに活力がある ― あり過ぎたかもしれないが。やはりここでも
頑張る現場とダメな上
が当てはまるようでもあり、
ダメな上にはダメな下
に最近はなってきたかのかナア、と。そう感じることも増えてきたわけだ。

さて、小生は本ブログに何度も投稿しているように、原子力エネルギーの活用は20世紀の物理学が人類にもたらした巨大なプレゼントであると考えているので、原発重視が基本的立場だ。だから、20世紀の原発技術から現時点ではどの程度の技術革新が見られているのか、日本人もバランスのとれた知識を持つ方がよいと思っている。これは価値観の問題ではなく、理科教育と科学的教養の問題だ。科学オンチ、技術オンチでは困るわけである。

それにつけても、上のような丁々発止の激論をなぜNHKばかりではなく、民放のニュース解説(というよりワイドショー?)でもメインの話題にせず、今は選挙期間中でもあるのに《政策討論会》を各局、各ローカル局が企画し、有権者が視る前で立候補した政治家たちが堂々と論争するという状況にならないのか?そこが全く不思議である、というより今の政治家の臆病には
失意のあまり涙コボルル
である。問題が指摘されているがアメリカの大統領選挙が羨ましくなるというものだ。

少し考えてみるだけで、
  1. 総電力供給量が不足しているのに、《蓄電池にも使える電気自動車(EV)の普及》はその場しのぎの漫才としても、《製造業の国内回帰》など(真面目な話しで)不可能ではないか。製造業拡大など夢のまた夢。むしろ一層の製造業空洞化を心配すべき状況だ。しかし一方で、グローバル経済の時代が曲がり角を迎え《経済安全保障》が重要になってきたという現実がある。こんな脆弱な電力事情で新たなサプライチェーンを日本国内に再構築できるのか?メドはついているのか?
  2. 再エネ投資は、ザックリと言えば、休耕田活用という名目ではあるが基本的には既存農地を削減するか、でなければ森林、海洋など環境資源を開発するという筋合いになる。気象変動(Climate Change)による水害や崩落、食料資源の国際的制約が懸念される中で、エネルギー供給のためとはいえ、自然環境や農業ポテンシャルを毀損していく方針は合理的か?バブル時代の「ゴルフ場開発」が姿をかえて今度は「再エネ開発」にならないなら幸いだ。国が旗を振ればロクなことがないからネエ・・・群集心理ほど怖いものはない。
マア、こんな論点が次々に出てくるわけであり、とてもじゃないがワイドショーで「ちょっと話してみる」というレベルでは収まらない。総合的かつ多角的に議論するべき重要な政策テーマがここにあるわけだ。

ところが、国政選挙が間近いにもかかわらず、真面目な《政策討論会》がサッパリと企画されない、企画されても話題にならず、関心が持たれない。1枚のパネルに重点政策を箇条書きしただけで、あとは選んでくれ、と。

まったく
ボーっと生きてんじゃネエ!!
チコチャンに喝を入れてもらうべきなのは、政治家なのか、日本のマスコミなのか、それとも日本人全体なのか、よく分からない。

よく分からないが、真に重要な問題を正直に議論しようという人がいない、するべき人が逃げている。ビリー・ジョエルではないが欠けているのは"Honesty"だろう。それも仕方がないと国民の多くが諦めている、そんな今の状況が最大の問題だと言えば確かに最大の問題だ。

経済理論としては「勘違い」ではあったが、暗殺をも怖れず「金解禁」を断行し経済正常化を実現しようとした昭和初期の首相・浜口雄幸と蔵相・井上準之助の『男子の本懐』がまるで別の国の出来事のように感じる。


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