ラッセルの『西洋哲学史』は非常な大部の(大部過ぎる?)著作でありながら、読む人がまだ多いのだろうか、特に英語圏ではまだなお評価が高いようで、特に物理学者・アインシュタインが絶賛しているので有名らしい。
実はこのBertrand Russel"A History of Western Philosophy"がAudio BookとしてAmazonのAudible.comで無料公開されている。耳を馴らしておくためにそれを毎日聴いているのだが、人間の知的活動なるものの全体を雄大なスケールで総括する語りは、音声で聴いてこそ説得力が増すものだ。
時代を問わず、国を問わず、人間が物事を考え、議論するときの土台になる《知識》を問題レベルによって三つに分類している見方は、日本人も教養としてもつ方が良いと思う。
一方の知識基盤に《科学》がある。科学的知識は最も確固とした真理として人は認めざるを得ないという認識だ。これと正反対にあるのは信仰、ないし《神学》であって、その基礎には独善(Dogma)がある。公理と言っても可だ。公理を疑えば神学は成り立たない。その公理が真であることを信じようとする心情は「情熱(=Passion)」である、と。三番目に、科学では回答できず、かといって独善的な信仰によるわけでもなく、あくまでも人間の理性で考え合理的議論を通して結論を導きたい問題がある。それが《哲学》に期待されている知的活動である、と。このラッセルの説明は、非常にバランスがとれていて、感動的な(?)部分だ。
ラッセルは、科学でもなく、哲学でもなく、ドグマ的情熱が人間を支配する心性は古代ギリシア文明が形成される往古から連綿と継承されているものであると議論している。
理性ではなく独善を根拠とするのはディオニュソス神信仰に発するもので、哲学者プラトンのイデア(=理念型)にもつながる知的活動である。知的なアリストテレスが大地を指し、プラトンが天を指すラファエロの名画とラッセルの講義は、見事に整合しているわけである。
言葉は、所詮、言葉でしかない。
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