2022年12月15日木曜日

一言メモ: 防衛費倍増論議と日露戦争前の夏目漱石宅の家計について

国際公約、というより対米公約にも近いような「防衛費倍増方針」。案の定、年末にさしかかり大揺れに揺れている。

小生は何度も書いているが、相当のへそ曲がりなので、「防衛費」という呼称そのものに臭気紛々たる「偽善者臭」を覚え、ずっと前から嫌悪感を感じている。

防衛費で調達する中身は、つまりは「軍事費」である。防衛費ではなく「軍事費」でしょ、と。「正直にそう呼んだらイイのに」と昔からずっと感じている。

マ、そう呼べない理由は分かっている。憲法上、日本には「軍」がいないからだ。軍がないので「軍事費」も言葉の定義上、計上できない。まったく理屈をこねるのもホドホドにしたほうがイイ。「プーチンの戦争」がロシアでは「特別軍事作戦」と呼ばれているのとドチコチである。

『わかるこの理屈?』と誰かに聞いたみたいのだが、余りに露骨で場を白けさせてしまいそうで一度も話題にしたことがない。が、小中学生に話しても訳が分からんだろうナアと思っている。「軍事費」と「防衛費」は違うんだよ、これ大事なんだよ、と言ってもネエ・・・ということだ。

「戦争」を「戦争」と率直に呼ぶのは良心の第一歩であろう。「軍事費」を「軍事費」だと認識し、そう呼ぶのも良心の第一歩だ。交通事故を起こせば「事故」であって「運転ミス」だと胡麻化してはいけない。


軍事費が倍増されるとする。他の歳出を削減して予算総額では概ね同規模であれば、それはそれで既にビルトインされた歳出があるので調整は困難を極めるだろうが、それが出来るとと仮定すればマクロのバランスはとれる。ここでは、調整ができず軍事費増加分だけ予算が増える結果になると前提して、その経済的波及をどのように見込むかをメモしておこう:

  1. 総供給と総需要のマクロ・バランスを考えると、総需要は軍事費が増加する分、増加する。故に、総供給が同額だけ増えなければならない。総供給は国内生産(=GDP)と海外生産物の輸入の二つから構成される。
  2. ところで、現在の日本経済は一部で人出不足が顕著ではあるが、名目GDP比で0.5%ないし2.5%程度のGDPギャップがある。金額にすると、4兆円から15兆円といったオーダーである ― 数字の差は政府と日銀と推計主体の違いによる。
  3. GDPギャップ内であれば国内供給を増やして軍事費増額に対応できる。が、これを超える分は需要超過になる。その超過分は輸入増加で調達するか、インフレで吸収されるかだ。というより、そもそも日本の防衛産業は弱体なので防衛関連品目の多くを(主にアメリカから)輸入している ― 高額なミサイル、航空機などはその典型である。
  4. 軍事費増額で完全雇用の壁に突き当たり、国内需要を圧迫すると、インフレを招くのに加えて、国内金利を上昇させ、民間設備投資を抑え、結果として経済成長を阻害する。他方、輸入が増加すれば、供給は確保されるが、貿易収支・経常収支を悪化させる。経常収支悪化は円安要因であるが、国内金利上昇は円高要因であるので、最終結果として円安に振れるか、円高になるかは不確定だ。
  5. いずれにせよ、軍事費増加は日本全体の貯蓄投資差額を投資超過の方向へ悪化させる。これ自体は貯蓄超過体質の日本にとっては悪くはない。が、経常収支は悪化する。今の日本の防衛産業の現状をみれば、ほぼ確実に国際収支を悪化させるはずだ。
  6. 最近、国際商品市況の高騰などから経常収支の赤字月が時折発生している。更にそれが悪化すると、日本の経常収支は概ね均衡圏内に止まるようになるのではないかと予想する。<経常黒字日本>は過去の話になる可能性が高い。
  7. 他方、日本では今後にかけて多額のIT投資、DX投資など生産性向上へ向けて民間投資を増やさなければならない。足元の民間投資増加はその兆しであるかもしれない。とすると、経常収支赤字が定着する可能性がある。高齢化の進行と家計貯蓄の減少も経常収支赤字拡大の要因だ。それでなくとも軍備拡大と国際収支赤字は経済危機に至る王道なのである。
  8. 国際収支赤字に悩んでいた頃の記憶は日本人から薄れている。それが現実に再び赤字傾向になると、英米と同じ道とはいえ、日本社会はアタフタするに違いない。『いつまでも あると思うな 親とカネ』。念頭に置いておくべきだ。
  9. 経常赤字下でマクロ・バランスをとるためには、対外資産を取り崩すか、海外の対日投資を増やすかの二つの道があるだけだ。しかし、対外資産には残高の限界がある。なので、経常赤字体質を可能にするのは資本収支黒字を定着させる道が唯一の選択肢だ。
  10. 経常赤字・資本黒字を長期的に続けるのは一つの戦略ではある。日本も目指すべきだと(個人的に)考えているが、国際通貨ドルを持っているアメリカなら可能だが、今日のイギリスが同じことをしようとして酷い失敗を演じた事も忘れてはならない。何も変えたくない国民心理が原因になっている「日本病」を本気で治療する切所に直面するであろう。戦時でもなく、平時において、財政危機、為替危機、国際収支危機に陥れば『無能な日本政府』という評価、というより事実「無能」であるわけなのだが、そんな評価が世界に定着するに違いない。いわゆる<日本のギリシア化>である。
  11. 故に、軍事費倍増の負担に日本経済が耐えられるかどうかについては、あまり甘く考えない方がよい。最悪の場合、生産性が向上しない中で、経常収支赤字が定着し、円暴落、国債相場暴落、株価暴落という悪夢がひき起こされる可能性もゼロではない。
  12. その悪夢を避けるには、軍事費倍増の一方で増税を断行し、財政規律の維持に目を配る姿勢を見せるのは、手堅い定石であるとも言える。増税によって消費が抑制されるが対外赤字を抑えるには仕方がない。と言って、その姿勢を過剰に示すと、マクロ経済バランスは保たれるものの、民間投資までをも圧迫してしまい、経済成長が停滞、民間部門の生産性向上が停滞する。そうなると、ソ連末期のように過大な軍備費の重みに耐えかねて国民経済が潰れてしまうことになる。
  13. 以上を考えると、民間部門をなるべく圧迫しない方策を併せて実施しながら、増税を進め健全財政にも配慮するという政策が最も穏当なところだ。企業部門の内部留保が巨額に膨らんでいることに目を向け、対家計増税を最小限にとどめる一方で、企業負担を高めるのと同時に投資減税も並行して進めることが必要だ。
  14. 軍備拡大と国内産業の成長戦略とが両立するように、日本版軍産複合体を育成する政策も不可欠だ。最も下手な政策は、増税で消費を抑えつつ、調達はほとんどアメリカからの輸入となり、結果として経済成長どころか国際収支は悪化、かつマイナス成長になるというケースだ。これでは『日本国の政治家としては失格』と言われても仕方がないというものだ。こうならないことを祈るばかりだ。
まあ、こんな大筋で物事が進んでいくのではないかと予測している。

軍事費増額の経済的帰結は経済学を勉強した者にとってはそれほど難しい設問ではない。みな似たような見通しをしているに違いない。


それにしても、こんな報道を聞いていると、江藤淳『漱石とその時代』のある下りを思い出してしまう。第2部。旧制・五高の教頭心得に昇進していた夏目漱石が文部省から英国留学を命じられ留守を守る家族のやりくりが述べられている第3章の中の一部である:
年額300円の留守宅手当は月割りにすると25円にしかならず、さらにそこから1割の建艦費2円50銭を差っ引かれると手取りは22円50銭にとどまった。これに加えて、年額3円の所得税があるので、実際の月収は22円25銭にすぎぬことになる。

わざわざ年収を月割りで計算しているが、年収300円に対して、所得税が3円、 建艦費が所得税の10倍である30円というわけである。現代日本の常識からみると、かなりの驚きではないだろうか?

所得税3円、建艦費30円!

夏目漱石まで軍艦建造に協力していたのだ。

上で「建艦費」というのは「製艦費」のことである。ネットで調べてみると、

製艦費は軍備保持のために明治天皇が内延費と官僚らの俸給の一部を軍艦製造費に充てるという勅命に使われた言葉です。

というもので、具体的には

〇『議会制度百年史 資料編』 衆議院 参議院/編集 大蔵省印刷局 1990年

  p.578 「第4回帝国議会(通常会)」の項あり
  明治二十六年(一八九三)2・10
  「天皇、軍備の充実を国家の急務とし、六年間内廷費を節約し、文武官僚の俸給の十分の一を納付させ、製艦費に充てる旨の詔勅を賜う」との記載あり。

という解説がある。

URL:https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000305313

Source:  レファレンス協同データベース

日清戦争から日露戦争にかけて日本が達成するべき政策課題は《海軍力増強》であった。そのために、明治天皇は皇室から資金を提供すると同時に、官僚に支給する俸給から10%を軍艦建造協力金として天引きするよう指示したのである。

もちろん、いざ日露戦争が勃発した後の《戦費》を外債によったことは、高橋是清やユダヤ系金融資本家ジェイコブ・シフの名とともに有名な歴史の一コマになっている。

明治政府は権威的で、現代の日本人の目には非民主主義的ではあったろうが、選択した政策は雄々しく、立派で、王道を行っていたと、改めて思う。


それにしても所得税支払額の10倍の金額を軍艦建造協力金として差し出すとは…といっても、所得税は明治20年になって導入されたばかりの新税であり、漱石が英国に留学した明治33年(1900年)当時、課税対象は年収300円以上の所得がある世帯のみであり、漱石は辛うじて最低限に引っかかり税率1%が適用されたわけだった。ちなみにその当時の所得税も累進税率とはいえ、最高税率3%が適用されるのは年収3万円以上世帯であり、納税世帯は全世帯の内の1.5%であるから、所得税を納めていること自体が「エリートの証明」でもあった。今流の言葉で言えば

夏目漱石は「上級国民」であった

と言われる社会的地位にいたのかもしれない ― 境遇はとてもそう思うものではなかったが。それにつけてもこう書いてみると、やはり「品がなくて、下らないナ」と思ってしまう語法である。

所得税云々はメモ代わりに付け加えておいたのだが、江藤淳の記述を読む限り、地方税もなく、年金・医療の社会保険料もない。社会保険料がないのは制度自体がないので当然だが、地方税は納めなくともよかったのか?まあ、中央集権で地方自治ではなかったので地方税はなくともよいのだということかもしれないが、財政史が専門ではないので、詳細は調べてみないと不明である。

それにつけても思うのは、

日本の上層部は、ホント、憲法の条文を守ろうという姿勢が希薄なんだネエ

改めてそんな印象をもちます。与党も野党も《護憲》なんてスピリットはない。

このことは今月初めに投稿したことがある:

気分としては自分もまったく同じですけど、今の憲法でそれが出来るんですか?やるならやるで、先に憲法を書き直しておかないと、全体がウソになりますゼ・・・

それがいつの間にか『反撃する権利?そんなのあるに決まってるでしょ!』と言わんばかりの論調になってきた。メディアは何も言わない。「集団的自衛権」ではあれほどまで大揉めにもめて大層な論議になったのである。2014年のことである。まだ8年しか経っていない。その時の「集団的自衛権」こそ小生は当たり前のことだと思っていた。それが今は「敵基地を先制攻撃しても憲法上認められるのだ」と、それは「反撃」なのだと、反撃は「自衛」なのだと。小生には「自衛」ではあるが、普通の意味で「戦争」であるように思われる。『そうなんですか!日本国憲法は普通に戦争をすることを禁じていたわけではなかったのか。いやあ法学部を出たわけではないので知りませんでした』、と。それで、マスコミも野党も憲法学者も静まり返っているのか、と。

日本社会は異様である。そう感じる。

まあ、アメリカはウェルカムだろう。アメリカの国益には適うからだ。

アメリカが認める日本の軍事行動は、戦争ではなく、日本国憲法とは矛盾しないのだ。

そんな戦後日本体制の本質中の本質がかいまみえるような気がするネエ ― まあ、現行憲法はアメリカが作ったようなものであるから、自然なあり方でもあるわけだ。日本の最高裁でも国会でもなく、アメリカが「合憲」だと言えば「合憲だ」ということか・・・これも仕方がないナア。これが《戦後日本体制》と言われればそうなのかもしれない。『かもしれない、じゃあない、そうなんだ』と言われそうだが。

しかし

そうしたいってのは分かるけどネ、やっぱり理屈が通らないと思うけどナア

と、首をかしげる小生は根っからの《KY》であるのだろう。

が、いまの世間をみていると逆に『こんな時代になっても何も言わないのが賢いってことなら、イヤイヤ、まだKYの方がスッキリすらあ・・・』と斜交いに構えたくなります。

いよいよ偏屈になって来たのかもしれない。これまた《ジェネレーション・ギャップ》というべきか。

【加筆】2022-12-16、12‐17




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