《データ・ファースト》の経営が望まれているという。統計でメシを食ってきた小生には嬉しい事だ。言わんとすることは小生も大賛成である。将棋や碁と同じで、<定石>が正しいことは過去のデータをみれば分かる事である。
しかし
データ・ファーストで行きましょう。エビデンスに基づいて経営判断しましょう。
確かにご尤もだが、日本国内に限ると
データに基づけば、ここは慎重に判断するのが一番です。
今はこんな結論になるのは明らかではないだろうか?
利益重視、差別化重視で高めの価格設定を選んでも、競合企業が過剰設備の低稼働率に悩んでいれば、利益重視の戦略の裏をかいて、攻撃的安値戦略で顧客を奪いに来る。そんなことの繰り返しではなかったのだろうか?だから、データを重視すれば、いつでも値下げ競争に応じられる体制をとっておく。こう考えるのではないだろうか。
ただでさえ、日本国内では企業の開業率、廃業率が先進国の中で際立って低い(資料は例えばこれ)。
古いモノが残っていくという安定性は、それだけ伝統を尊重するからでもあるが、いまはそのマイナス面が現れていて、経済界の新陳代謝が滞っているのが日本経済の問題のコアなのである。デフレ・トレンドはその結果の一つだ。新規の成長分野に挑戦せず、創業者利益を目指さず、本業を重んじ、不毛の過当競争を続けてきたと言えば言い過ぎになるだろうか?
過去のデータに拘っていては、創造的破壊を起せないのではないか?
そんな気が何だかするのだが。
同じデータでもまだ相対的に活力のあるアメリカのデータを参照するのならよいが、日本とアメリカでは制度、慣行、規制、経営者気質、国民性など、企業をとりまく環境が余りにも違う。
せめて制度や規制だけ、競争を尊ぶ気質だけでも日米横並びにすればよいが、「コロナ対策」一つとっても、
日本は外国とは違う。
という感情が日本社会で共有されている。
データ・ファーストを強調するのは、足元の日本経済には適合しないのではないか。むしろ、破壊を怖れるな。データよりアニマル・スピリットを持て。必要とされているのは、日本に必要なのは、こちらではないだろうか。
データが足らないのではない。分析スキルが足らないのではない。能力が足らないのではない。足らないのはスピリットだ。
そう感じてしまうのだが。
下に向かって《精神力》を強調するのは無能なトップの証拠である。しかし、目標達成に努力している中で、精神力のあるなしは勝敗を分ける鍵になる。これは誰もが知っている事ではないだろうか。
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