2023年12月11日月曜日

覚え書き: 大谷選手移籍をめぐる盛り上がりをみて

日本人プロスポーツ選手が世界トップクラスの年俸を達成するというのは日本人にも励みになる話しだ。もちろんエンゼルスからドジャースへの移籍が決まったMLBの大谷翔平選手のことだ。

Winter Meetingが開催されてから日本国内のマスコミの「ハシャギ振り」は異常とも思われた。どのチームに移籍するだろうかということで、多くのOB、野球通(≒専門家?)が日替わりでTV画面に登場しては、マチマチ、バラバラの予想を語り、その予想には確かな根拠があるのだ、と。その根拠を語ってもらうのが視聴率獲得の定石であった事は理解できる。

ところが、ドジャース移籍が決まった後、今度は大谷選手がドジャースを選んだ「三つの決定的理由」、「五つの決定的理由」などと話し始めた。ところが「決定的理由」とは言っても、大谷選手自らが語っているわけではなく、本人の声はまだ伝わって来てはいない。

ということは、メディア各社が勝手に「ドジャースを選んだ決定的理由」と言っているだけの話しだ。

小生、へそ曲がりだものだから、

ドジャースを選んだ決定的理由があったなら、なぜ移籍先はドジャース以外にはないと、一貫して話さなかったのか?いまになって「決定的理由」があるなどと言うのは矛盾しているでしょう?

そう思いますネエ・・・。

そもそも、分からなかったんでしょ?分からないのに情報が出て来ないって、アメリカの記者たちも不満だって。そう伝わってましたゼ。分からなかったのが、今回決まって、やっと明らかになった。スッキリした。しかし、まだ本人の声は聞こえてこないんでしょ?じゃあ、選択の理由なんて今も分からないってことじゃないですか?

そう言いたくなっちまいます。


駄目だと言っているわけではない。

けど、何と言いましょうかネエ・・・


マア、日本社会の(と限った話でもないだろうが)傾向として以前から漠然とだが感じるのだが

率直さが足りない。Honestyが足りない。正直じゃない。

礼儀は正しいが、今ひとつ率直じゃなく、体裁を気にして他人行儀で、不正直だ。日本人の国際的イメージはこんな風な線で一致しているような気がするのだが、マスコミにもそんな日本人の国民性が反映されているような感覚を覚えるのは、小生だけだろうか?

Billy JoelのHonestyは小生の大好きな曲だ。そこでも

Honesty is such a lonely word.

Everyone is so untrue.

何度もそう歌っている。だから日本社会だけの話ではない。が、それでも正直であることを心から願望している。そんな思いが溢れている。日本にも『素直になろうよ』という歌はある。嘘を嫌う感情は万国共通なのだ。

しかし、率直を愛し、正直を評価する側面は、西洋社会ほど個人主義が根付いていない分、日本社会では弱いものになっている可能性はある。

社会が個人を縛る感覚が強い分、個人による正直や率直が社会的バッシングを招いてしまう。それを社会の側が止められない。社会が上だ。個人が下だ。あるでしょう?こんな一面が。その分、日本社会の集団行動としては、Honestyが裏に隠れ、率直な真意のありかが見え難くなってしまうのである。

特に最近はひどい。プラスの面ではなく、マイナスの面が顕在化している。こんな感覚です。


それにしても、思いつくことを漫談風に続けるのだが・・・

昭和の香りを色濃く残したシニア層が社会の最前線から引退し、昭和末期から平成生まれの現役層が日本社会の中核を占めつつある。

ところが日本社会は昭和の名残を捨てて自由闊達になるかと思いきや、その反対で近年ますます社会的な同調圧力が強まり、それでいながら反対運動もなく、抗議の声も上がらない。むしろ率直な個人の表現は「水を差すもの」と非難されて抑えられる。「個性的」な人物がその言動で大炎上する例が目立って増えてきた。

この世相をどうみればいいのか?小生にとっては「七不思議」である。


少なくとも団塊の世代までは、彼らはその青春時代において極めて自己主張が強く、反権力的で、世間の大勢と常識を侮蔑し、高校から大学にかけては校舎を壊しまくり、就職してからは、時に暴走ともいえる営業を続け、先輩世代を振り回したものである。

団塊の世代、即ち《暴走の世代》と小生は思っている。日大闘争を契機に頭角を現した田中・日大前理事長などは(団塊の世代の少し上だが)極めて「昭和的」である。

彼らの同年齢の頃と比較すると平成世代は(異論はあるだろうが、実は)非暴力的である。それは良いのだが、平成世代の人々は政治や社会というものに斜に構える雰囲気がある。世間の大勢には順応し、強者には従う。そんな所がある。そうかと思えば、目立ち過ぎる個性的な人物に集団的バッシングを加えるところもある ― あくまで印象論だが、昭和世代の暴力行為は、権力闘争的で、血腥く、爆発的である。そんな破壊的暴力行為は世代交代の中で下火になった。

昭和世代に対して平成世代はどう総括されるのだろうか?

ま、大谷翔平選手は記憶に残るだろう。彼はスポーツ界に現れた一人の天才である。では、平成世代は集団としてどんな気風(=エートス)を持っているのか?そんな問いを発したいのだ、な。


ひょっとしたら、日本社会の停滞には人的な原因があって、実は若手現役世代の精神的老化も現象として認め得るのではないか?小生の愚息の世代は、偏屈な小生と比べても、非活動的で非野心的である。クラーク博士の"Boys, be ambitious!"と真逆の方向に歩いているようにも観える。本当は十分な資金を形成した後は出家でもしたいのじゃあないか。そんな気風(=エートス)が染み通っているのじゃあないか、21世紀中盤にかけての日本人は?だとすれば、衰退するイギリスで半世紀も前にうまれたBeatlesの"Let it be"と同じ気分である。

ひょっとして、メディアはメディアで、各社とも若手が過渡に社の方針に順応しているのではないか?いわゆる「武闘派」も「理論派」もいなくなった。どの業界も似たようなものではないか?現在の社内事情は知らないが、そんな推測がないわけではない。


ま、最後は《嫌な奴》になってしまったが、これまたHonestyの発露ということで。


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