2023年12月31日日曜日

断想: たかが会計、されど会計ということに尽きるはずだが

本年最後の投稿。

あまり明るい話題ではない。2023年という年は、コロナ禍は一段落し、株価も上がり盛況だったが、何だか意気が上がらない。変な一年であった。日本社会の基本構造に大規模欠陥箇所が確認され、その改造コストが無視できないレベルになると見通されているということか。

その一つ。

政治資金パーティによる裏金作りは、自民党安倍派ばかりではなく、他派閥でも横行していたというのでTVワイドショーでも年の瀬の大型ネタとして重宝されている。

世間の受けがよい意見であるが、小生にはピンと来ず、疑問に思う点を一つ。


ある中小都市の元市長が

キックバックが幾ら以上なら起訴し、それ未満なら起訴しないというのは可笑しいです。不正には変わらないのですから、捜査を徹底し、金額の多寡にかかわらず全員を起訴するべきです。

こう述べたところ、

その通り!もともと私はそう思っていました。不正は不正。額の多少じゃありません。

某レギュラー・コメンテーターが全面的に賛成です、と。

小生、ひっくり返りそうになりました。


同じ理屈を一貫させると

三人以上殺すと死刑になる、と。判例からそんな話があります。しかしネ、これは可笑しい。一人だろうと三人だろうと、殺人は殺人です。三人殺したから死刑なら、一人殺害の場合でも死刑にするのが順当です。一人ならイイという理屈は法律のどこにも書いていません。

こんな意見を述べなけりゃ理屈が通らない。問題が違うという御仁もいるかもしれないが、ロジックは同じだ。

更に、

意に反して人が殺されている事実に故意と過失に違いはありません。少なくとも遺族にとっては同じです。死んだ家族は戻らないんです。危険な速度で走行して、その結果、事故を起こし、人が死んだなら、殺人犯と同じです。死刑です。

そんな主張を展開することになりかねないのではないか?世の中、ひっくり返りますワナ。


そんな主張は誰もしない。刑罰の適用には色々な情状というのがあると誰もが承知しているからだ。一つ一つの不正や犯罪は、一人一人の人間と同じで、人が違えばみな違うものだ。要するに

一律にはいかない。

だから大陸欧州なら予審判事が起訴するかどうかを吟味し、英米なら大陪審か予備審問を行う。日本は予審がないので検察がそれをやっているわけだ。 

起訴法定主義なら予審で裁判の必要を吟味し、起訴便宜主義なら検察が起訴を検討し、起訴すれば裁判になる。刑事訴訟について国際比較でもすれば済む話しだ。今の法制度の検察を批判しても筋違いだと分からないとすれば、それ自体が不可思議。何か別の狙いがあるのだろう。


裁判にかける前に先ず事件を吟味するのは当たり前のことで、誰でも知っている事である。視聴者の方が賢いですゼ。

何度も投稿したが(例えばこれ)、まったくいつになっても、日本というお国は、

頑張る下とダメな上

そんなお国柄だ。

いま日本社会は、TV画面の中の三流専門家(?)を賢い庶民が面白がって視ている。そんな図式になっている……TV画面の向こうに一流の人物はまずいない。一流の人物はTV局の上層部の意向に従わないからだろう。これが邪推でないことを祈る。


まず先に、死刑とは何か、刑罰に死刑を設けるというのは何故か、要するにこういう問題を最初に考えないといけない ― ちなみに、小生は何度も投稿しているように、厳格な死刑廃止論者である。

政治資金も同じことだ。表か裏か、金額が〇〇超であるか否かではなく、政治資金とは何か、どう会計されるべき資金か?ここから固めておけば、後の議論が続く。そもそも、権力の座にいれば、贈収賄に巻き込まれがちで、意図することなく脱税を犯してしまうものなのだ。真の不正も混じるだろう。

会計を厳格にしておくのは、政治を守り、同時に政治にたずさわる「権力者」を守るためである。

全く同じだとは言わないが、国立大学教授が民間企業から研究費を受け入れ、それを黙っていれば、例え私的流用がなくとも「脱税」に認定される(はずだ)。必ず「奨学寄附金」として(企業側の手続きと相応して)学内手続きを済ませておく必要がある。研究資金というからには、当然、使途には制約がある。それでも、色々な事情があるのだろう、潜りで副業をしたり、潜りで金銭、資機材を受け入れたりする不祥事は大学内で発生しうる。

政治活動にも通じる話ではないか。機密費は機密費として認められているからそう計上しておけばいい。

目の前の問題が解答不能な難問に感じる原因は、ほとんどの場合、基礎をしっかり固めていないことにある。



0 件のコメント: