2023年12月3日日曜日

断想: 世代対立……、政治の失敗。と同時に(またまた)メディアの失敗でもあるのかも

中国共産党が最近強調している政治理念の中に《共同富裕社会》というのがある。

そもそも共産主義理念は、資本主義の私益追及原理を否定して、社会的平等を実現することにより、従属的立場を強いられてきた人民を解放するというものだから、富裕層を解体し、資産再分配を目指すという路線は実に当たり前の方針であって、現代日本社会を支配する常識の視点から、中国はメチャクチャな事をやっていると批判するのは、《主義》というものが分かっていない証拠である。

今は遠い昔になったが文化大革命中のスローガンに《老中青三結合》というのもあった。老年層、中年層、青年層からバランスよく指導陣に抜擢して政治を運営するというものだ。

中国は憲法において(封建主義と)資本主義を否定すると規定しているから、原理として分権よりは集権、分断よりは結合(=共同)を目指すのが、至極当たり前である。更に、中国は(歴史を通して)「指導者」がハッキリしている社会であるから、こうした《裁量的な抜擢》という人事が出来る ― 日本でも出来ないわけではないが。

かたや最近の日本の「世論」なのだが、日本人の一般的感覚として資本主義の理念には肯定的なのだろうか、否定的なのだろうか?

「自己責任」という言葉に対する反発や、規制緩和・自由化などいわゆる「新自由主義」的政策へのアレルギーをみると、日本人は福祉国家を目指してほしいと願っているようだ。新・自由主義とは、資本主義の基盤である市場競争と民間重視に忠実であろうという「原理・資本主義」とも言えるような理念だから、資本主義をそもそも肯定する人は新自由主義を頭から否定はしないものである。だから小生は、日本人はホンネのところでは「資本主義」があまり好きではないのだと考えている。この点は、現代日本人と明治維新直後の文明開化期に育った日本人とで、同じ国の国民かと思えるほどに違っている。そう感じるのだ。

ところが、高福祉・高負担という福祉国家を目指そうとするとき、「何と」というべきか、「やはり」というべきか、《増税拒否》の世論が噴出する。

自由を重視する「小さな政府」も社会的な負担と給付を実現する「大きな政府」のどちらにもアレルギーを感じているように見える。

そこから導かれる結論はただ一つで

現状維持、つまり今までどおり。変える必要はない。

こんな《現状保守主義》が、(結果としては)日本人が、全体としては、選んでいる路線である。こう考えざるを得ない。

しかるに、多くの数値的シミュレーションから明らかなように

現状を維持するのは不可能である

こうした現状があって、日本人の大多数が願っている路線は放棄せざるを得ない。最も強く願望する選択肢は選択できないという厳しい現実に直面している。基本的ロジックはこうだろうと思っているのだ、な。


まるで平和を願いながら、戦争を選ばざるを得ないという状況にも似ている。

小さい政府路線は拒否する。高福祉・高負担という福祉国家理念も拒否する。現状の持続は不可能である。

だから、日本人はいま《閉塞感》を感じているのである。

その現代日本社会の足元で増えている《世論》だが、この1,2年で目立ってきたのが

世代対立を煽る感情的意見

こんな風に今の世相を観ている。

世代対立から導かれる路線は、「世代的分権」、つまり「世代ごとの自助原理」である。近代を支えてきた《自助の原理 》がここでも出てくるわけだ。自分の始末は自分でつける。自分たちの始末は自分たちでつけるという考え方である。理念としては資本主義社会の哲学に近い。しかし、これは、上にも述べた通り、「本当は資本主義を嫌っているのではないか」と疑われる日本人のメンタリティとは矛盾した理念だと感じるのだ。

このような世代ごとの分権主義というか、世代自助の感情は、かつての文化大革命期・中国の運動スローガンであった「老中青三結合」とは真逆である。文化大革命の発端となった毛沢東の復権願望を考慮すると、「老中青三結合」は実に都合の良い原理であったわけだが、そもそも中国社会の旧慣・伝統が老人支配を善しとする側面をもっていたとも思われる。しかし、現代日本社会が今更ながら「老・壮・青の協同社会」を唱えても、世間の風潮とは余りに乖離している気がする。

ここにも日本社会の閉塞感が目に見えるようだ。

日本社会は中国とは違う。と同時に、西洋社会とも本質的違いがある。


シルバー民主主義の視点に立てば負担率上昇・給付額維持という路線を放棄するはずはない。が、負担率上昇を受け入れるには「自助の原理」とは異なる「老中青三結合」の理念に沿うことが不可欠だ。そんな結合の理念に沿う政策は必ずあるはずなのだ ― もちろん可能な範囲の中の最良という意味だが。

要は、経済的には出来るはずの世代間協同政策が政治的に出来ずにいるということが問題の本質であるに違いない。


そんな中で、世代対立の感情が形成されるとすれば、それは現代日本の民主主義の原理とは矛盾している。統合の感情とは正反対の分断への感情が形成されているのは、政治的には望ましい方針が国民感情によって否定されているということだから、これは《政治の失敗》であるわけだ。と同時に、何を読者・視聴者に伝えるべきかという選択の失敗、つまり日本社会の公益を毀損しているという点では、《メディアの失敗》と言えるかもしれない。


民主主義・政治的選択・国民感情が互いに矛盾しているというのは、いま日本が大きな問題に直面しているということだ。が、問題を解決できる政治的指導者を欠いている。第一次大戦に敗北したあとのドイツ・ワイマール体制の不安定な政情を連想するとすれば不吉だが、

敗戦後に成立した理想主義的な政治体制

という点で、戦後日本とワイマール・ドイツは似ている。

何だか不吉な連想である。

実際、岸田内閣の迷走ぶりをみていると多くの人は不安に駆られるだろう。かなり前の投稿で書いているが、

要するに、子育て支援のコストを社会保険料でまかなう方向は最後には潰れると予想される。

(中略)

その無理を覚悟してもなお踏み切ることが必要である、というこの一点が最後に残った政治的ステップだ。この辺については少し前に投稿した。さもなくば、コロナ感染拡大後の給付金で所得制限を付けるか付けないかで迷走した時と同じ、岸田首相の決断力不足が(またも)視える化されるというものだろう。

迷走しているテーマは上の投稿とは異なるが、迷走しがちな内閣は、時間が経過すれば、予測通りに迷走するということなのか。 


【加筆修正】2023-12-04、12-05





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