2024年1月12日金曜日

ホンノ一言:過疎地の面倒は見切れない……では、こうしてはどう?

能登半島大地震は季節、地勢などの要因で救助が困難を極めている様子だ。自然災害では、どうしても対応が後出し的になるのは仕方がないが、「激甚災害」にも指定され、今後ずっと相当の予算が措置されるのは確実だ。税で復旧を負担ということだ。

もし今回の大地震が首都圏、近畿圏など人口集中地区を襲っていれば犠牲者の数は一桁(か二桁?)違っていたかもしれない。言い方は悪いが、能登半島のように(相対的に)人口希薄な地域が被災地になったのは寧ろ「不幸中の幸い」であったかもしれない。

ところが、そうなればそうなったで、ネットにはこんな意見も出てくるのだから、人間が暮らす浮世というのは誠に嫌なものである。少し長くなるが、抜粋のうえ引用させて頂こう:

 問題は、例えば岸田政権が原案のまま1兆円ほどの能登半島地震の復興・再建プランを可決したとして、このような放っておいたらなくなる集落までも復興の対象とするべきなのかという議論が出てくる点です。(中略) 

「今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行う(促す)べきだ」と米山隆一さん問題提起したように、国民の権利選択の結果、勤労人口が過疎地域での就業を放棄して都市部に移り、猛烈な人口減少と高齢化が進んでいるのは間違いのないことです。持続可能性が絶望的な地域や集落に公費を入れて復興させる必要があるのかということは、議論しなければならない点の一つです。(中略)

 もう一つは、これらの人口減少の事実をきちんと受け止めたうえで、国家が政策として人口減少による日本社会全体の縮退をどうコントロールするのかという話にもつながっていきます。(中略)

 日本の“名宰相”とも謳われる田中角栄は、「山間部の60戸しかない集落では、病人が出たら戸板で運ばなければならない。そういう人たちのために12億円かけてでもトンネルをつくることが政治の役割だ」と喝破しました。

 ただ、2C1Pacific氏も記載しているように、1億人の人口のうち高齢化率が1割程度であった70年代の日本と現在とでは、住民が求める生活の水準がそもそも異なります。(中略)

 もちろん、このような議論が行き過ぎれば人口減少の地方は姥捨て山なのかとか、今後激増が予想される未婚で貧困の高齢者に対する安易な安楽死議論のような極論もどんどん出てきてしまうことでしょう。

 必要なことは、先にも述べた通り、人口減少で地方社会・経済の衰退は誰かが何をしようとも押しとどめることはできないのだから、せめて勤労世帯も高齢者も、あるいは都市生活者も地方在住も共倒れにならないように、衰退をきちんとコントロールしながら最善の経済縮小・撤退戦を日本経済は政策的に図っていかなければならないということに他なりません。

Source: JBpress

Date: 2024.1.11

Author: 山本一郎

URL:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78858

1億人の日本人が仮に5千万人にまで半減した時に、日本国を経営することはそもそも可能だろうか?こういう問いかけである。面倒を見切れないという時点がやがて来るでしょうヨ、というリアルな意見である。


ただ、思うのだが、日本の人口が余りに減少して、日本人では日本の国土が過剰になり、移民受け入れも嫌だし、持て余すということならば、仕方がない。インドネシアなり、フィリピンなり、インドなり元気な現・新興国は多いし、アメリカも活力があるのだから

過疎地を(割譲ではなく)売却してカネに替えれば宜しいのでは?

是非売ってくれと手を挙げる国は多いと思いますゼ…… 儲かりますゼ…だって、あなた、要するにカネが回るかどうかが心配なんですヨネ? 

土地、余るんでしょ?家、余るんでしょ?使わないんでしょ?

人、いなくなるんでしょ? 

領土を諦めるしか手はないじゃありませんか。

まあ、文字通り、

売り家と 唐様で書く 三代目

こういうことだナア。名誉なことではないが、背に腹はかえられないでしょう。

大体、広すぎて面倒見切れず放置して「広すぎる」国土を荒廃地にするなんて、人類社会に対しても極めて無責任な行為である。ヒトが減って、知恵もなく、カネもなくなれば売った方がいい。

世界に通じる《スキル》さえあれば、どこに住もうがいいでしょう。農業なんざ止した方がイイ。時代遅れでサア。カネがありゃあ、食うに困りはしませんて。スキルと能力が大事ですヨ。どこだって生きて行ける。日本にこだわる必要なんてありゃしませんゼ。領土に拘るなんてバカだ。外国に移住する方が儲かりまさあ。過疎地で暮らすなんてバカのするこった……

そう思うのだが、どんなものでしょう?


…… 正に亡国の兆しですワナ。

ちなみに明治初め、明治6年の時点で日本の総人口は3340万人であったそうだ(これを参照)。

日清・日露戦争は現在の日本の半分未満の人口で戦っている ― 少子高齢社会ではなかったので時代の雰囲気は今とは別の国のようであったろう。が、明治初めの乳児死亡率は1000人当たり250人に達していた(現在は1000人当たり4~5人)ことを想えば、その当時もまた心配と哀しみには事欠かなかった、と言えるだろう。

人が減るから地方経営も大変です、ひょっとして不可能かもしれませんというのは、日本の長い歴史からみれば、

もう泣きを入れるのかい?

先祖から呆れられるだけではあるまいか?現世代を特徴づける「精神的老化」だと思いますがネエ。

つまらぬ感想ですが覚え書きということで。

【加筆修正】2024-01-18、19

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