レコード・チャイナというサイトがある。以前はよく見ていたが、最近はとんとご無沙汰していたので久しぶりにのぞいて見た。と、デザイン、コンテンツとも一新されていたので驚いた。
中にこんな記事があった:
2024年1月14日、中国中央テレビ(CCTV)の微博アカウント「央視財経」は、パナソニックの子会社がデータ偽装などの不正を数十年にわたり行っていたことが発覚したと報じた。
記事は、日本の著名メーカー・パナソニックのグループ会社であるパナソニックインダストリーが12日、製品の品質認証を申請する際にデータの偽装などの不正行為に及んでいたことを認めたと紹介。不正は1980年代までさかのぼることができ、対象製品は52種類、影響を受ける顧客企業は世界で約400社に上るとみられる一方で、中国市場への影響については確認できていないとした。
Source: レコードチャイナ
Date: 2024年1月15日(月) 12時0分
URL:https://www.recordchina.co.jp/b926939-s25-c20-d0193.html
記事のタイトルは『パナソニックHD子会社が不正、中国ネット「これはもう日本製造業の体系的な問題」』となっている。
いや、いや、中国からこんな論評が加えられるようになったンだねえと、うたた感慨を禁じ得ないのはこのことだと思った。
これは事実かと思って検索してみると果たして
パナソニックホールディングス(HD)子会社のパナソニックインダストリー(大阪府門真市)は12日、自動車や家電に使われる電子部品向け材料の認証取得に際し、数値改ざんなどの不正があったと発表した。対象は国内外7工場で生産された52種類の製品で、古いものは1980年代から不正があった。
Source:Yahoo! ニュース
Original:読売新聞
Date:1/12(金) 16:21配信
国内でもチャンと報道されている。見落としていたのだ、な。
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トヨタの子会社ダイハツが続けていた認証不正行為とこのパナソニックの一件が「同根」の企業行動なのかどうか定かではない。が、他にも日本企業の内部で隠蔽されている不祥事は色々あってもおかしくはないなあ、と邪推してしまう。
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他方で、日本企業の労働分配率は歴史的な低水準にまで低下している。例えば一昨年になるから少し古いが日本経済新聞では31年ぶりの低調と形容している。
Source: 日本経済新聞Date:2022年10月30日 2:00
上の図をみると、バブル崩壊から金融パニックまでの混乱期に顕在化した「三つの過剰」、即ち「過剰設備」、「過剰雇用」、「過剰債務」を何とか解消しようと、特にその一環として厳しい人件費節減を続けてきた「日本企業の20年」が彷彿として浮かび上がるようである。過剰雇用の解消と雇用の確保を両立させるために賃金抑制、正規社員から非正規社員への置き換えを労働組合が受け入れたのである。
上がらない、というより「上げられない」販売価格の下で、増えない、というより「増やせない」販売数量を敢えて増やすための《攻撃的安値戦略》を余儀なくされて、1社あたりの売上高は微増、というよりボックス圏内を続けてきた。折しも、海外進出(=海外逃避?)と並行する形で発言力を高めてきた外国人投資家の要望に応えようとすれば、配当原資の確保が第一義となった。それには先ず「粗利」を確保する。「原価」を抑える。こういう思考になる。
そのためには良いモノを高く売るのが本筋だ。これは経営戦略の基本的な命題である。実際、欧米企業はそうやっている。しかし、良いモノを開発するにはカネが要る。日本企業にとって不運だったのは、グローバル化と三つの過剰に同時に襲われたことである。商品開発の余裕がなくなれば差別化するに十分な良いモノは作れない。コモディティ化が進めば超過利潤が消失する。コモディティ化した市場ではコスト優位性が勝敗を分ける。これもビジネススクールならどこでも教えている。
コスト優位性を築くうえで雇用確保は常に足かせとなり賃金引下げ圧力が働いた。賃金を守るために「合理化」が進んだ。
「合理化は時に簡略化を意味した」、「現場の無理は次第に重なっていった」。こんな状況判断が的を射ていないのなら幸いだ。
今回のパナソニックの不祥事も、ダイハツの不祥事も、起きるべくして起きた不祥事である。何だかそんな風にも感じるのだ、な。
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この20年間、日本のサラリーマンが置かれてきた状況を振り返ると、19世紀前半のイギリスで活躍した経済学者リカードが眺めていた経済社会をイメージしてしまう。
リカードが生きたイギリスでは、農業保護を目的に穀物輸入規制が続けられていた。そのため高コストの英国産小麦を選ばざるを得ず食品価格は高止まりする。労働者の賃金も高めに維持される。企業間の競争は激しく、生産拡大から商品価格が低下する。ところが、土地所有権に基づく地代は、一等地から二等地へと差額地代のロジックに従って、上がっていく。そのため企業利潤が圧迫され、経済成長を抑えるだけではなく、所得分配も不公正なものとなる。
そこでリカードは穀物輸入自由化を主張したわけだ。ところが、これによって賃金は低下する。というのは、人口増加から労働供給が増えるからである。賃金は生存費レベルに収束していく。これがリカードだけではなくマルクスも見た暗鬱な世界である。
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現代はマルサス的な人口増加でなく人口減少が心配されているところが正反対である。故に、リカード的な社会が再来することはない。
とはいえ、企業という生産現場で労働分配率が低下するというメカニズムは働いて来た。
企業活動に不可欠の要素を「生産要素」という。活用される生産要素は「要素報酬」を受け取る。その生産要素だが、これからの世界は知識が価値をもつ《知価社会》であるはずだ。知識もまた知的財産という形で私的所有権が守られている。
19世紀イギリスの土地所有権を、21世紀の世界の知的財産権とみれば、着ている衣裳は違っているものの、進行している経済現象は似たようなものではないか、と。
最近はそんな暗澹とした気分になる。
ちなみに、リカードが問題とした「分配問題」は19世紀という時代が進むにつれて一層先鋭化し、不平等化の進行はマルクスの『共産党宣言』(1848年)、『資本論』(1867年)を超えて更に進み、第一次世界大戦直前まで続いた。所得分配は、経済現象であって、平等化にも不平等化にも経済学的原因がある。その修正や改善に、一つの国の政府が実施する政策がどこまで有効なのか。小生は、日本政府が実施する(というか、実施できる?)政策の効果は、何であれ限定的なものではないかと考えている。
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