この正月には同じ市内に住む上の愚息が一泊して帰って行った。下の愚息夫婦とは年の瀬にランチを一緒にしたので年末年始は嫁の実家で過ごすはずだ — 愚息は大晦日に宿直があるとかで詳細な予定は知らないが。
まあ、倅達たちとも長い付き合いになった。独立するまで同じ屋根の下で暮らしていた時分とはたまに会っても気分が違う。
将来、小生の方が先に逝くのは自然な順序だ。その後は、小生が「うつそみ」としては存在しない世界になる。
最近、憶測することが多いのだが、人生の最期を迎えるとき、ドラマのように『満足して世を去りました』などという状態はありうるのだろうか?
送る側としては
満足して逝ったと思います
と、参会者には挨拶したいものである。
小生も、ずいぶん昔になったが、父を送ったことがある。これまでにも何度か投稿しているが、父は成功を目指して取り組んだプロジェクトに失敗し、比較的若い年齢で世を去ったから、その時は『満足して逝ったと思います』などとは話しようがなかった。
ただ、最近になって気持ちが変わって来た。
リスクを承知で引き受け、あの時代には珍しいほど欧米を隈なく巡って海外調査をし、それが実施段階に入ってから提携先の労使紛争に巻き込まれ、事業が軌道に乗らない苦悩から体調を壊し、やがて担当からも外れ、最後には事業そのものも頓挫したわけなのだから、文字通り父の人生訓であった
人事を尽くして天命をまつ
を身をもって実践したとも言える。漢楚興亡の項羽ではないが、
これ天のわれを亡ぼすなり、戦の罪にあらず
満足するまで、というか刀折れ矢尽きるまで戦った人間は、自らの敗北を天命として受け入れるはずであり、であれば父も無念であったというよりは、やっぱり結果には満足だったのではないか、と。だから『父も満足であったと思います』と、どうしてあの時に挨拶できなかったかナア、と今では思うようになった。
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ただ、満足して逝くという気持ちには、小生はついになれないだろうナアとは思っている。
大体、矛盾だらけの現世で煩悩にまみれた人生の最後に《満足》などを感じるはずがない。感じるとすれば《安堵》であるか、《解放感》であるに違いない。
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少し前にも書いたが、『源氏物語』は全体としては恋愛物語であるが、肝心の主人公は5分の4の辺りで死んでしまい、後は孫の世代が活動する『宇治十帖』で、これは典型的な三角関係の悲恋の話しであり、主役の人物たちの無責任さが際立つ筋立てだ。
が、平安盛期の当時、男性達は漢詩・漢文・歴史の勉学に明け暮れ、同時代の藤原公任は『和漢朗詠集』を編纂している。そんな中、女流作家の日記文学が現れていたものの、『源氏物語』が描いている情景描写はいま読んでも露骨で他の作品とは異質であると感じる。異なる人物の心理は人物ごとの意識から描かれていて、登場する人物の数だけの世界があるので、互いに分かりあえることはない。家族には支えられているが本質的に孤独である。
だからこそ、男女を問わず中年を過ぎた後は《出家》を願い、家族・友人と離れて隠遁生活を送ることを願いとするのだと思われる。
現代流の言い方をすれば、深い教養をもったエリートが書いた高級なポルノ小説に近い読まれ方をしたのではないかナアと。そんな想像をしているのだ。もし宇能鴻一郎か川上宗薫が作中に詩を挿入しながら、同じ人物群の性愛、家族愛、自己愛を大河小説として書き続けていたとすれば、『源氏物語』と似たような文学作品になったかもしれない。谷崎潤一郎が現代語訳などには手を出さず、自ら『現代版源氏物語』を創作していれば、日本文学の至宝が生まれたかもしれない。
そして、そんな作品の主役は、煩悩に苦しむこの世の人生に満足するはずもなく、最後には解放され、安堵して逝くに違いない。平安盛期に浄土信仰が浸透したのは当然である。法然上人による阿弥陀信仰と専修念仏思想がやがて生まれる素地は平安盛期に既にある。そう思っているのだ、な。
千年も前の時代を前提としているが、それでも共感可能であるのは我ながら驚きに値すると感じる。この辺りは、化学を専攻し唯物主義的であった父とはまったく違っている。
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