2024年3月10日日曜日

断想: 進歩史観はイマイチという補足です

先日、「進歩史観」なる歴史観について投稿したばかりだが、書きながら「ここまで言うか」という気兼ねを感じて、その時は書くのを控えた下りがあった。このまま忘れてしまうのも残念だから、メモとして残しておきたい。

前の投稿にはこんな下りがあった:

どのような社会的混乱が眼前で進行するとしても、それは高度に進化した社会を実現するための「産みの苦しみ」である、と。こう考えるから「進歩史観」を信奉する人は必然的に極めて「前向き」の人物となる理屈だ。幕末の混迷の最中、『夜が明けるゼヨ~~』と叫んだ幕末の志士・坂本龍馬も、多分、こんな前向きのお人柄であったのだろう。ま、思想は自由だから、ご随意にということだ。

この伝で考えると、古代ローマの共和制廃止も、1930年代のナチス政権の誕生も、これらもすべて「進歩」であった、と。とにかく進歩史観というのは前向きなのである、と。こんなことを書いたわけだ。

しかし、それでも筋金入りの進歩主義論者であれば、「古代ローマ帝国ですケド、共和制を廃止し帝政に移行することによって更に400年以上も国として繁栄しましたよネ」とか、ナチス政権の誕生も「それ自体が進歩であったというより、あれは矛盾との格闘ですヨ。現在のドイツ社会の繁栄こそ矛盾の解消であって、ここにこそ進歩を見出すべきでしょう」とか、とにかく「ものも言いよう」になるのは確実であるわけだ。

「反証可能性」も何もないわけで、何を言っても、上手に辻褄を合わせてくる。


先日書くのを控えたというのは、

それを言うなら、古代エジプト文明はどうです?

紀元前3千年も昔から、多くの王朝が誕生しては繁栄し、衰退を経て滅亡してきた。このエジプト文明史を弁証法的な進歩の歩みとして観るのは可能だ。

しかし、最終的にどうなりました?

古代エジプト文明は完全に消滅した。今もなお復活していない。「進歩の結果として消え去ることもあるのです」と・・・ま、人間もいつか死ぬ。死ぬこともまた進歩の表れなのである。こんな風に強弁してもよいが、普通に考えれば、

消えて亡くなるのは進歩とは言わんでしょう

進歩史観と言われれば未来永劫ずっと一貫して前向きに進歩するものと考えるはずだ。

エジプトばかりではない。古代インダス文明はどうなりました。古代メソポタミア文明はどんな進歩史をたどりました?

インドがイギリスの植民地になったのは「矛盾の解消」であって、一つの進歩である、と。現在の中近東社会は、弁証法的な発展と進歩の歩みとして観るべきなのであると。確かに、サラセン帝国華やかなりし8世紀には大いに繁栄した。その後、オスマントルコ帝国の盛時は16世紀に訪れた。これを矛盾の解消であったと観てもよいかもしれない。が、その繁栄からも矛盾が生じ、より高度な社会へ進化するステージに入ったと見られるはずが、もう400年以上もイスラム教国家は苦悩している。まだなお混乱の最中にある。

産みの苦しみが400年も続くなんてこともありやすか?あっしにゃあチョット長すぎるように思えるんですがネエ・・・

ちょっとおかしい。まあ、キリがないので止めよう。


思うに、進歩史観などよりは、日本の平家物語が伝える《盛者必衰の理》の方がヨッポド信頼できる。

諸行無常の響きあり。《無常観》の方がずっと現実に沿った歴史観である。

個人的にはそう思っている。

夏目漱石は日露戦争前の日本の世相を対象にして

滅びるね

と「偉大なる暗闇・広田先生」に語らせている。永井荷風は明治以降の近代日本の堕落振り、その醜さを常に罵倒した。作家にこんな非難をさせて、本当に「進歩」なるものが日本社会にあったんでしょうかネエ・・・?ちょっと疑問でありんす。進歩したのは、日本社会でなく、西洋の進んだ科学技術を導入したという、ただそれだけの事でござんしょう。

福沢諭吉だけは「進歩」の肝心要のところが分かっていたと思うが、結局、総理大臣自らが「清水の舞台から飛び降りる覚悟」をもって太平洋戦争を選んだ結果、国家もろとも自爆するに至った。福翁の夢も見果てぬ夢と相なった。戦後日本体制については何度か投稿したが、これ以上は語る価値なし、というところだ。

以上、下世話な内容だが、先日の投稿の補足ということで。 

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