歴史観には多種多様なものがある。「唯物史観」や「陰謀史観」という用語はよく知られている(と思う)。が、現代世界で多くの人が暗黙の裡に肯定している歴史観はというと、《進歩史観》になるのではないだろうか?
過去から未来に向かう時間軸に沿って、世界は段々と進歩してより良い社会になるはずだ、と。そんな意識を多くの人が持っていると思う。
法制、暮らし、文化等々、この世界は常に移り変わっている。今まで良しとされていたことが、世間の急な変化で今後は駄目だとされる。こんな例は数多あるのが最近年の社会だ。
一見すると、世の中はこんな風に進歩するンだよね、と。こういう風に感じる人は多い。
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ではあるが、実はこんなことも経験した。
勤務先の大学の将来構想委員会なる会議に、ある期間、出席していたことがある。研究教育の将来像について審議するのだが、ある年、学部の助手を「公募手続き」を経ずして、研究業績を評価したうえで、そのまま准教授に昇格させる人事を容認しようという提案がなされたことがあった。
学長、副学長等執行部による提案であったにも拘わらず、委員会の投票で否決されたのだが、その理由として文科省の要望には従わないという「反・中央感情」だけにはとどまらず、
これまで認められてきた制度をなぜ否定し新しい制度に変えるのか?
いわば《変えるという姿勢自体》に対して否定的な教員が多数を占めていたのである ― ちなみに、小生自身は変更に賛成していたが、こんな守旧的で頑固な人物は、たとえ意見の違いがあっても、大変好きである。
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思うに、日本経済は「失われた30年」と言われるほど、長い期間ずっと停滞しており、停滞から脱して成長軌道に戻るには、各分野で構造改革を進める必要が指摘されている。ところが、いざ改革を進めようとすると、社会の多数から改革そのものに対して強い拒否が出てくる。小生が勤務先で経験した守旧的な反対とよく似ているのだ、な。そうして、強く反対している人がいるのに何故変えるのか、という結果になる。
実は、このような変えること自体に対する批判は、極めて儒教的な感情である。
儒教では理想社会を古代・周王朝の盛時に置き、それ以降は時代が下るにつれて腐敗、堕落が進み、間違った社会になってきたという歴史観をもつ。極めて保守的である。何かを変えることは腐敗、堕落の現れだという理屈になる。であれば、伝統として継承された制度や理念は改変不可。改革は、一部の人々の邪念による利己的企てであるとして、容認しない。連綿と受け継いできた国家の制度は礼式そのものであり守る。そんな気風が形成される。
儒教の創始者である孔子が生きた時代は、周王朝が衰退して列強が相争う春秋戦国時代になっていた。戦争が絶えない戦国の世に生きれば、誰もが平和を望むものである。世は次第に堕落してきた、私利私欲の追求ばかりをやっている、という歴史観をもつとしても、それは自然な出発点であったろう。
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これに対して、現代日本社会で流行している、というより無意識に前提されている歴史観が《進歩史観》であるのは、もはや自明であると思う。
世界は常に進歩するものである。世界の歴史は過去から現在まで進歩してきた歩みそのものである。
確かに科学技術は発展してきた。進歩史観は、科学技術にとどまらず、法制度、人権尊重、倫理など社会全体としてもより進んだ社会に進化していくはずである。こう観るのが進歩史観である。
半月前にも投稿したが、進歩史観によれば理想社会は過去ではなく未来にある。その輝ける未来に向かって、社会は変わっていかなければならない。そのために私たちは努力しなければならない。道理に合わない諸制度は変革していく必要がある。変化すること、即ち進化であり、進化即ち善なのだ。こういう価値判断になる。
こうした《進歩史観》の根底には、独人・ヘーゲルの哲学があることは、ホボゝ周知のことであろう。
言うまでもなく、ヘーゲル哲学の基礎には弁証法がある。弁証法では、
ある命題(テーゼ)を提起したあと、それと矛盾する(かのように観える)命題(アンチテーゼ)が提起される。しかし、矛盾は解決されなければならず、両方を包含する統合命題(ジンテーゼ)が(いずれ)導出される。これを止揚(アウフヘーベン)という。
「テーゼ」、「アンチテーゼ」、「ジンテーゼ」という用語を一度も聞いたことがない大学生はいないはずである。
ヘーゲルの最大の仕事は、歴史の展開そのものを弁証法の下で理解したことである。ということは、歴史は過去から現在に至るまで、常により高次元のジンテーゼを実現する過程として理解されるべきものになる。その時代、時代が直面した諸問題は、テーゼに対するアンチテーゼが生んだ矛盾であり、その矛盾を解消するプロセスとして歴史を理解する。より高度の世界を実現する過程が歴史であるというわけだ。これが《進歩史観》である。
このヘーゲル哲学は、特に19世紀の大陸欧州の哲学に深い影響を与え続けた。マルクスの経済理論もそうだ。マルクシズムの根底にはヘーゲル哲学がある ― 但し、精神と物質の役割を逆転させた唯物史観をとった点がマルクスの真骨頂だが。いずれにせよ、それほどの昔ではない以前まで、ヘーゲルは克服するべき巨人であり続けたわけだ。
しかしながら、「進歩史観」はヨーロッパ文化に限っても決して伝統的な歴史観ではなかった。これ自体、フランス革命の勃発と欧州全体への革命の波及という特殊な時代背景の下で生まれえた特殊な歴史観であった。とはいえ、多くの人の目には伝統社会の崩塊と映った「乱世」が、弁証法に基づいて18世紀末から19世紀初めのヨーロッパ社会を眺めれば、社会は「崩塊」にあるのではなく「進歩」として認識されるのだから、誠に奇妙奇天烈、不思議な思想であったとも言える。
その後、19世紀を通してヨーロッパ社会は(弁証法がもたらしたわけでも、ヘーゲルが主唱した世界精神が活動したわけでもなく)自然科学の発展によって大いに高度の文明社会を構築できたから、マア、ヘーゲルの言ったように事後的にはなったわけだ―そこが孔子が生きた時代とは異なる。
どのような社会的混乱が眼前で進行するとしても、それは高度に進化した社会を実現するための「産みの苦しみ」である、と。こう考えるから「進歩史観」を信奉する人は必然的に極めて「前向き」の人物となる理屈だ。幕末の混迷の最中、『夜が明けるゼヨ~~』と叫んだ幕末の志士・坂本龍馬も、多分、こんな前向きのお人柄であったのだろう。ま、思想は自由だから、ご随意にということだ。
しかし、繰り返すが、こうした進歩史観は決してヨーロッパ社会で伝統的な歴史観ではなかった。同じように、現代日本でも「変革大好き人間」が数多いて、変革即ち進歩だと考えるのが常だが、こうした「進歩史観」は決して日本文化に継承されてきた歴史観ではない。
もし進歩史観を通して歴史をみれば、たとえば古代ローマが数百年の伝統であった共和制を捨て去り、皇帝が統治する帝政へと変化したことも「進歩」であった。
更に、第一次大戦後に理想主義的理念に基づいて発足したワイマール体制をナチス政権が打倒したことも「ドイツ社会の進歩」であったことになる。
要するに、その時代に生きる人々にとって「進歩」であると考えられた「変革」も、事後になって振り返ってみると「進歩」とは逆の「退歩」であった、と。「誤り」であった、と。将来の事実から過去の誤りが明白なものとなる。こんな事例は無数に見つかるわけである。何があっても「これも進歩のための産みの苦しみです」と言い放つ御仁がいるとすれば、その人の脳はどこかのピンが一本抜けている奇人なのであろう。
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今日の投稿で何が書きたいかと言えば、
「正しい歴史観」というのは、存在しない
そもそも経験を超越してハナから真理であると言える命題が人類社会に関してあるはずがない。
社会の変化は、進歩や進化ではなく、その時点では単なる「変化」である。
その変化をどう評価するかが、常に私たちに求められている。が、それには進歩史観という一般命題は無用である。というより有害無益である。
変化がもたらす結果を観察することが大事だ。そして、その時に生きる人たちが現実を観察した結果として、その変化を「受容」するか、「修正」するか、「棄却」するかを選択すればよい。ある変化が「進歩」と言えるのか否かは、一般的な歴史観が決めることではなく、生きている人々が経験に基づいて判定するべきことだ。もちろん、人生は短し、学芸は長し、だ。その時の人々が判定する結果も暫定的評価でしかない。「歴史的評価」というのは、何百年という長い時間の経過の中で、徐々に固められるものである。
そもそも「武家政治」なる日本政治の在り方が、日本社会にどんな影響を与えてきたか?こんな古い基本的な問題であっても、今もなお色々な評価があるではないか。
これが小生の立場である。
こんなことを言うと、進歩史観に立つ人は、進歩を受け入れない守旧派の頑迷だと言って小生を非難することは分かっている。しかし《保守》と言われる姿勢が個人的には好きである。
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