2024年3月23日土曜日

断想: 「大事なのは言葉です」は、そうでもなく、そうでもあるようで

週末ではあるが、母の祥月命日なので若住職が月参りに来て、読経をして帰った。いつも置いて帰る小冊子には北原白秋の以下の詩句が載っていた:

ひとつのことばで けんかして

ひとつのことばで なかなおり

ひとつのことばで 頭がさがり

ひとつのことばで 心が痛む

・・・

ひとつのことばを 美しく

何度も投稿してきたように、小生は唯物論に共感していた。だから、言葉は所詮は言葉でしかなく、自然空間は物理法則によって、人間社会は人間の生産活動と行動によって決まっていく。そう考えてきたのだ、な。

それと「月参り」は矛盾している。だから、日本の慣行に従いつつも、居心地の悪い感じがあった。しかし、最近になって、認識が変わって来たことは既に投稿している(これを参照、これも)。

人間は(だけではなく全ての生命現象は)物理化学的なプロセスである。生命はモノの世界にモノの現象として存在する。人間の意識も人間の身体を構成する物理的実体の中でか、間でか、で進む化学的プロセスである。一人の人間の意識と思考は、脳細胞を構成する物質の反応プロセスと一対一に対応するであろう。「人は考える」のではなく、そう考えるように物質が相互反応しているのだ。とすれば、言葉もまた詰まるところは自然現象であって、モノの世界に潜在していた特性の発現であると、今ではそう考えている。

自意識を有するに至ったモノの構成物として人間を理解するべきだと、そういうことになる。正に、空海がいった金剛界(=物質世界)と胎蔵界(=精神世界)は本質的には一つの世界であるとみる《両部不二》。その主旨にやっと共感できるようになったわけだ。

だとすれば、言葉をどう考えるかという認識も変わらざるを得ない。人間の言葉や抽象概念は、この自然世界、というか物理的宇宙において本質的な意味をもつのかもしれない。

どこかのワイドショーのMCがいった『大事なのは言葉です』という言葉。深い意味を込めて語っていた感じではなかったが、意図することなく大事な本質を言い当てていたのかもしれない。

住職は『やっと冬が終わりましたね』と言った。小生は『いつも通りの春が来ましたね』と応じる。住職は笑いながら『そうですね』、小生は『世間は騒がしいですけどね』と話す。『それでは失礼いたします』と言いながら、住職は帰って行った。

いつも通りの春である。

春は春 花は花にて 咲きにけり

   常ならぬ人の 世にはあらめど

世間は、詰まるところ《諸行無常》。自然は変わらないが、人々の話し声は年ごとに変わっていき、何年かを通してみるとノイズに限りなく近いような気がする。

杜甫の

国破れて山河あり

城春にして 草木深し

に近い発想だ。

とすると、やはり大事なのは言葉ではなく、自然です。こちらの方が性には合っていそうだ。

ただ、上の短歌とは逆の感性もある。古今和歌集に

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ

   わが身一つは もとの身にして

こんな一首が巻15の恋歌五にある。在原業平である。

ここでは、自分独りは昔のままだが、月も春も昔のものではない、と。そう詠っている。要するに、想い人を偲んでいるわけで、月も春も眼の前の客観的自然ではなく、主観的な月と春をそう言っているわけである。実は、私たちの言葉で指しているのは、自分自身の心に感覚が映像として残し、そこに在るかのようにみえる存在で、外にある実体ではない。 

自分の主観あるのみ、直観あるのみ、という思想も小生は非常に好きである。

三島由紀夫と石原慎太郎の対談を記録した『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』(中公文庫)は、いま読み返してみると、文字通り珠玉の作品のように思われ、これに比べると、最近10年程の「言論」のレベルは、コクのある絶品ラーメンとコンビニで売っているカップ麺の品質差があると感じているのだが、その中の『守るべきものの価値』で三島は以下のように語っている:

ぼくは日本の文化というものの一番の古典主義の絶頂は『古今和歌集』だという考えだ。これは普通の学者の通説と違うんだけどね。ことばが完全に秩序立てられて、文化のエッセンスがあそこにあるという考えなんです。・・・あとのどんな俗語を使おうが、現代語を使おうが、あれがことばの古典的な規範なんですよ。

こんなことを言っている。小生も、じっくりと『古今和歌集』を読み返してみて、今はマアマア同感するようになった。

『古今和歌集』は紀貫之が中心となり905年にまとめられた和歌集で、時代背景としては平安前期にあたる。中国文化の影響を脱して、日本人のもともとの感性が発露する国風文化が興り始めた時期にあたる。

その後、『古今和歌集』は王朝文化のお手本的な位置づけを占め続けたが、江戸時代後半になって『万葉集』が再評価され、明治になってからは正岡子規が『貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候』と酷評するに至り、それ以降、日本の短歌、俳句は写生主義を良しとして来たわけだ。が、この子規による「短詩革命」は、明治という時代の雰囲気の底にあった西洋の自然科学、自然主義思想に過剰に影響されていたと小生は思うようになった。

「あるがままに書け、あるがままに描け、あるがままに造れ」という行き方は、思想として痩せていて、貧しい。

そもそも、客観的対象をそれが存在するままに、在るがままに書くことは、実際には不可能である。写実が大事ならカメラやレコーダーを使えばよい。モノではなく心のあるがままを表現するしか人間には可能でない。心を表現する時にだけ心は充たされる。少なくとも芸術はそうでなければならない。

痩せた思想を信奉するのは、日本人にとって不幸であるし、もともとの日本文化を支えた感性が失われることにもなる。文化を失う時が亡国の時だという理屈になるだろう。

最近はそう考えるようになった。

「心変わり」は世の常ということか。

それにしても、上の『対談集』では、三島の古典主義と石原の虚無主義が対比されていて大変面白い。どちらも一流のレベルに達していて、どちらが正しいと言えるものではないが、読む人がどちらに共感するかは読んでいて自分で分かるはずだ。


 


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