2024年3月18日月曜日

前稿の補足: 誰のための政党か、という問いかけが第一歩では?

前稿のテーマは、一つには「戦前期の政党政治崩塊」だった。日本における政党という「結社」、というか「組織」、「法人」は、遠く日露戦争前の1900年から存在し、一時は議会という場で日本政治を方向付けるほどの力を発揮したのだが、昭和初年から始まった「普通選挙」を機に急速に国民の信頼を失い、自己崩壊したのだった。

---2024-03-19追加

ほぼ同じ「言い訳」を前稿にも加筆したので本稿にも書き加えた。上で「日露戦争前の1900年から存在し」というのは立憲政友会の結成を指している。しかし「政党の誕生」という意味ではこれは間違いだ。第1回帝国議会は、山縣有朋内閣の時、1890年11月29日に開会されたが、議席は自由党(初代党首は板垣退助)、立憲改進党(初代党首は大隈重信)のいわゆる「民党」が過半数を占めた。明治10年代の自由民権運動から日本の政党が誕生したと考えれば、政友会結成よりも更に20年程は遡ることになる。本稿では、日本の「政党政治」が意識にあったので、藩閥政治が盛んであった時期にも政党が活動していた事実に触れずにしまった。これが提出レポートなら大減点だ。せいぜい「良」という評価だったに違いない。

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その政党崩塊の急速振りが日本においては非常に特異で、特徴的である。この点について、一点だけ補足しておきたい。

かなり以前の投稿になるが

誰のための政党なのか?

という問いかけを書いたことがある。

たとえばこんな下りがある。

政治団体(=政党)は、自党のターゲットをどう定めるか?ここが最も大事な出発点だ。ターゲットが定まれば、ターゲット外の人たちが忌避するような政策を訴えてもよいのである。ターゲットが支持すれば政党としては成功なのだ。というより、そうしなければ実行可能な政治戦略はつくれないはずだ。もちろん勝敗は数で決まる。決まったものが正しいのだ。なぜ正しいかは学者が考えるべき事柄である。

更に、

 本当の意味での対立軸がいつまでたっても与野党から出てこない。「これが国民のためになるのです」と、それしか言わないから、そもそもターゲット(=支持基盤)が真に求めていることを本当にやる気があるのか。そんな問いかけすら、するだけ無駄であるのが現在の小規模野党群である。民主党政権時には、あろうことか自民党の伝統的支持基盤を吸収しようとしているように見えたこともあった。『要するに自民党にとって変わりたいだけか』。小生はそう思ったものでござる。

ズバリ一言で言うと、

あなた方が目指す政権交代とは自民党にとって変わることなンですか?

これじゃあ、零点だ!!

ダメでしょう、と。野党の意味がない。自民党を支援してきた有権者、団体は自民党の優良顧客である。その支持基盤をソックリ頂いて出来る政権は、ヤッパリ、自民党の支持基盤であった階層の利益に奉仕する政治をするしかないのである ― でなければ政権を失う。

簡単な理屈ではないか。

故に、野党のやるべきことは

自民党の支持基盤と対立する有権者層を岩盤支持層にして、更に浮動票を獲得するための中道的な経済政策を提案することである。

 要するに、自民党の固い支持層が嫌がる政策。それは自民党が絶対に言い出せない政策でもあるが、そういう政策を提案すればよいのだ。

例えば、富裕層への増税。累進所得税率の累進度強化。利子配当の分離課税廃止、あるいは分離課税税率の累進化。固定資産税率の引き上げ等の資産課税強化。相続税率引き上げ・・・これらは自民党支持層にとっては嫌なものですゼ。実際、岸田内閣は「新しい資本主義」とやらで金融課税(の強化?)を唱えていた(と小生は記憶しているのだが)が、今では口にチャックをしたかのようだ。しかし、中流を超える富裕層・準富裕層への増税を財源に、児童手当を増やせば、中流未満の人たちにはウェルカムでしょう。富裕層増税はアメリカのバイデン・民主党政権がいま検討している事だ。

『頭のいい人もいるでしょうに、なんで分からないかナア・・・』と、これまで幾度痛感したか分からない。日本の(共産党を除く)中道左派の低レベルには失望を通り越して、もはや視野から消えた感がある。まるで「透明人間」のような政治家集団だ。

長々と書いたが、実は、この辺に戦前期・日本の政党政治崩塊の根本的原因があると思うのだ。

それは、政友会にせよ、民政党にせよ、普通選挙を前提に成長してきた政党ではなかったことである。両党とも「恵まれた階層」にいる限られた有権者を相手に活動していた政党である。もちろん「恵まれた階層」と一口に言っても、地方在住の大地主もいれば、都市に住む新興企業経営者層もいる。大雑把に言えば、前者は政友会を、後者は民政党を支持していたと言われている。これら二つの階層は、求める政策に違いがあったので、自然と二大政党で支持基盤が分かれ、重点政策メニューも差別化されたのである。 

しかし、普通選挙を実施した後、それまでは投票をしなかった階層の有権者が新たに政治の場に流入した。当時の用語を使えば、財産をほとんど持たない《無産階級》、マルクス経済学でいう《プロレタリアート》である。

彼らを訴求対象とした政策に政友会も民政党も力を注いだことがなかった。なぜなら、そうした政策は自ずから社会主義的政策になるからであり、社会主義思想は当時の日本では「天皇制を脅かす」危険思想であると認識されていたからだ。故に、いずれの政党が政権をとっても無産階級の人々のために進められる社会政策は、微温的なものに止まり、コストを負担する経済界の意向に反するような施策が実行されるはずはなかったわけである。

とはいえ、普通選挙である以上、こうした中流未満の有権者からも票を獲得する必要がある。しかし、彼らのための政策は提案し難い。彼らのための政党ではなかったからだ。故に、スキャンダルに頼った。


19世紀のイギリス政治は自由党と保守党の二大政党のお手本のようであった。自由党は「ホイッグ」、保守党は「トーリー」と俗称されていた。自由党のグラッドストーン、保守党のディズレーリは、高校の世界史教科書にも載っている。

ところが、第一次世界大戦後のベルサイユ会議に自由党内閣の首相として出席したロイド・ジョージの後、自由党が没落したことは余り触れられることがない。

自由党に変わって党勢を拡大してきたのは、現在も英政界で勢力を有する労働党である。それまでの「ホイッグ対トーリー」は「企業家 vs 大地主」の利害対立から発生した構図である。企業家というのは、輸出大国としてのイギリスを支える製造業経営者であった。それが、20世紀初めには「労働党 vs 保守党」という対立構造に移行していったわけだ。その背景は、イギリス経済の成熟化が進む中で、「資産階層 vs 労働者階層」という利害対立構造が明瞭になったことにある。

今でも自由党は名称を変更しながらも存在し続けている。自由党が没落しつつある時代に経済学者・ケインズは活躍したが、彼は地主の党である保守党にも、労働者の党である労働党にもシンパシーを感ぜず、自由党を支持すると明言していた。

イギリスでは「誰のための政党か?」という疑問をほとんどの有権者は抱かずにすんでいるのではないか。

戦前期・日本の普通選挙の時代、日本に暮らす中流未満の有権者の利害を代弁してくれる政党は、危険団体視される左翼政党があるにはあったが、実際にはないに等しかった。投票する先がない。そんな状況は考慮しておく必要があるわけで、政友会や民政党に所属する政治家は正直なところ、新種の有権者たちを前にして困惑していたには違いないのだ、な。

現在の自民党は、かなりの右翼から、ひょっとすると中道左派までを含む「デパートのような政党」である、というのは前にも書いたことがある。しかしながら、自民党の固い支持基盤は確かにあり、彼らの利害に反する政策は決して自民党は実行しないし、仮に浅はかにもそんなことをすれば、自民党は支持基盤を切り崩され、政権を失う理屈だ。

しかし、自民党のミステークにつけいって、自民党の支持基盤を奪い取っても、政治が変わるわけでは決してない。そんな《オポチュニスト》のような野党は、有害無益なのである。

小売業界を見たまえ。デパートはデパートで売りたい客層と商品がある。スーパーはスーパーで売りたい客層と商品がある。客層が先ずそこにいて、業態が決まり、売る品も決まる。そこで経営戦略も決まるのだ。政党の成長衰退も、イギリスの政党史を振り返れば、自ずからその因果は明らかだ。

ちなみに、自民党は議員数合計を過剰に追及していると小生は思う。規模が過大であることから、どの有権者セグメントも要望に応える政策を実行してくれないという欲求不満を感じているような気がする。保守合同はせず、競争を維持したまま、個別政党ごとに支持基盤を選び、コミュニケーションを深め、党の「政策綱領」を練り上げた方が、日本政治はずっとマシになり、発展してきたのじゃないかナア、と。そんな風に思います。

ともあれ、日本の野党は、

自分たちの政党は誰のための政党なのか?

ビジネスと同じく、政治においてもターゲティングが最も重要で、ここからスタートするのが定石というものだろう。

【加筆修正 2024-03-19】

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