2024年3月9日土曜日

ホンノ一言: 「夫婦別姓」・・・議論するならシュールに盛り上がってほしいものだ

夫婦同姓に対して女性が抗議の声を上げる例が増えている。選択的にせよ、統一的にせよ、《夫婦別姓》を希望する人は今後も増えるに違いない。なぜなら自分がどう名乗るかに対して公的権力が強制的な制約を課するというのは、どう考えても道理に合わない。小生もそう思うからだ。

そもそも公的な手続きに《正式氏名》というのは、もはや必要ではないはずだ、というのは随分前の投稿でも書いたことがある。

父と母、いや別姓であれば父方、母方の祖父と祖母、父方、母方それぞれの父方、母方の曽祖父と曽祖母・・・、みな姓が違うだろう。どれを名乗ってもいいんじゃないの?経済的にはどの苗字を名乗るかによって実質は何も変わらないよね。お好きにどうぞ、と。未来の社会はそんな名前=記号である社会になっていくかもしれないのだ。となれば、マイナンバーだけあればいいよね。番号で行きますか。公的文書に氏名は書かなくともよろしい。マイナンバーを記載してください、と。

番号1924562238の方、窓口までお越しくださあい・・・(ディスプレイニモ番号ガ点滅スル)

名前はすべて通称となる。

ええぞなもし。いいねえ。これまたクールな社会ではないか。現在はそれまでの過渡期であろう。

 実際、<夫婦別姓>でブログ内検索をかけると結構複数の投稿がかかってくる。今では、それほど重要な事柄でもないと思うようになったが ― 時代の流れを見通すと、もう細かな些事でござんしょう ―、以前は相当に関心をもっていたことが分かる。

人の名前とは都合によって実は自由に変えられるものなのだ、と言う点はよく分かる。そして、本来は自分の名前くらいは自由に変えられるものであって当然だろう。これが「あるべき形」だろうと思われるのだ、な。

大体、全ての日本人が名字を持つ必要がありますか?「ケン」、「マリ」、それでいいんじゃないかい?『私は(正式の)苗字なるものは持ちません』、そんな選択肢もあってイイんじゃない?そう思いますケド・・・。 

実際、日本社会でずっと認められてきた当たり前の感覚はこんな風であった。

夫婦同姓は、明治になってから政府が全日本人に課した戸籍制度に発するもので、伝統というよりは旧法以来の法律的慣行と言えるものだ。

その戸籍制度は、父系的な家産相続制度、軍事的な動員力把握の必要性ともども、両方とも過去のものになってしまった現在、存在意義はほとんど失われている。血縁関係の確認なら、出生時にDNAデータを採取して永久保存すれば、それで済むことだ。

本人確認、親子確認、血縁関係確認等々は、今後将来にかけて、想像を絶する程の技術革新が予想される領域だ。「家族」の認定は住民票をベースにすればよい。

議論するなら、シュールに展開してほしいネエ。それが個人的な願望だ。 

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