2024年11月4日月曜日

断想: 「何かの必然」とみるか、「何かの意図」とみるか、「単なる偶然」とみるかだろうネエという話し

 「振り返ってみると」と言っても、人は学齢年齢未満の事を明瞭に記憶しているものではない。だから、その頃に奇跡のような経験をしたとしても、ずっとそれを覚えているのは無理だ。覚えているとすれば、幼少期に周囲の大人からまるでそれが伝説であるかのように、繰り返し繰り返し、聴かされるからであるに違いない。

そんな「拡張された記憶」まで含めるとすれば、小生には「命の危険」、というか「身の危険」を少なくとも三度は潜り抜けたようである。

一度目は誕生時のことである(そうだ)。

夏目漱石の『門』では宗助の妻であるお米は流産をしたあと、次に生まれてきた赤子は一週間で夭折し、それでも三度目の懐妊に希望をもったが死産に終わった。それで自分たちは子を持つことができない宿業であるのだと思い定めて、いまは崖下の家で侘しく暮らしているのだが、三回目の死産の原因は(現代用語で言えば)「臍帯巻絡」である。臍の緒が胎児の首に巻き付いて出産時に赤子が窒息するのである。きけば小生も同じ状態であったようで、祖母の話しによれば、傍らにいた産婦人科の医師が意識のない小生の尻を何度も叩いている内に意識を取り戻して泣き始めたそうだ。何もしなければ、どうやらその場で死んでいたらしい ― 後になってこの話しを聴かされた時は、ただ「へぇ~っ」と感じただけであるが。

二度目は、命にかかわる事件ではないが、小学2年か3年であったか、その日は雨が降っていて、それでも荒っぽい遊びをしたい男児たちは学校の廊下で騎馬戦をして遊び興じていた。小生も友人二人が作る馬に「騎乗」して、夢中で他の子と戦っていたのだが、どうした拍子かバランスを崩し、そのまま側の窓に頭をぶつけ、ガラス窓を割ってしまった。割れたガラスの破片で小生は額を切った、というのは何か暖かい湯のようなものが顔をタラタラと流れ落ちるので手で拭ったところ、赤い血であったから何ごとかが起こったと知れたのだ。ただ、その時はどんな怪我をしたのか、自分が分かるはずもなく、ただ血を見て驚いただけである。周囲は何だか騒然として、小生は保健室へ行かされ、それから父の勤務していた工場の中にある附属病院へと移動した。母が間もなく病院へ到着して医師と何かを話したのだろう、小生が覚えているのは、その後の縫合手術がとても痛かったということだけだ。

今から思うと、三針か四針縫っただけだから「軽傷」であったのだろうが、顔からガラス窓に突っ込んでいたので、破片が目に刺さり失明していた可能性もそれなりに高かったとも思える。母はそれで気が動転したのかもしれず、病院に到着した母はとても気が高ぶっていたような記憶がある。だから何も後を残さなかったのは実に幸運であったのだろうと今では思っている。

三度めは、大学に入って登山サークルに入っていた時のことだ。その日は、数名で丹沢に山行をして沢登りをしていた。草鞋の方が良かったのだろうが、小生はキャラバンを履いていた。水が枯れて急勾配のガレ場を攀じ登っていたところ、不図小生が足を乗せた岩がグラリとした。バランスを崩した小生は後方へ落ちて行って当然だったが、たまたますぐ後ろに友人がいて、「オオオッ!」と叫びながら手を伸ばして支えてくれたので、落ちずにすんだのだ。

山を登っていると、これに劣らず、ヒヤッとしたり、ハッとしたりすることは無数にある。それでもケガをしないのが経験と技術なのだといえば「おっしゃる通り!」と言うしかないが、丹沢の沢登りのとき、後ろにいた友人と少しでも距離があれば、そのまま落下していたはずの所を、何の偶然か無事であったのは、ずっと後になって思い出しても何だか不思議な感覚を覚えるのだ。

いま暮らしている北海道の港町に来てから遭遇した交通事故についてはもう書くまでもあるまい。


いずれにせよ、戦争の最前線では、人望のある快男児から真っ先に死んで、役には立たない卑怯で臆病な人物ほど生きて帰るのだという。合理的ではあるが、実に不条理であろう。

してみれば、この齢に至るまで「死んでいてもおかしくはなかった事故」に何度も遭遇しては、「運よく」無事に切り抜け、次々に同僚が大病を患い休職したりする中でも、小生だけは(生来頑健ではないにもかかわらず)健康で入院すら一度もなく、カミさんや愚息たちに心配をかけずに来られたことは、何ら名誉なことではない。むしろ慚愧の至り。その分ほかの善意溢れる同僚が、不便に耐え、負担を引き受けてくれていたお陰なのだろうと、いま思いが至る。

こんな事も「他力」という力の存在に目が向くようになった契機かもしれない。


こうしていることが奇跡であると感じる人もいれば、予定通りと思う人、こんなはずではなかったと思う人、人生は色々だが、どんな人生であれ、その時々でそこに生きていること自体が奇跡的な偶然である、と。こんな成り行きを偶然とは片付けず、「因果関係」の視点から調べ直したいと欲する人もいれば、何か最初から目的をもって決まっていたプログラムが実現して来る過程であったのではないかと思う人もいる。分からないことは全て偶然だと割り切って確率論的に世界を解釈する人もいる。

空高く飛翔する鳥のように俯瞰的に眺めるのが好きな人もいれば、犬のように嗅ぎまわる方法を好む人もいる。そうかと思えば、一寸先は闇でござろうと達観している御仁もいる。そういうことだ。

要するに世界観とはこういう感覚のことだろう。人生観と世界観とは表裏一体というわけだ。

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