2025年1月26日日曜日

断想: 芸能事務所、テレビ業界だけの混乱じゃあありません

芸能事務所とテレビ局の非常識な(?)関係が背景になってスキャンダルが発生し、当事者の不適切な(?)対応振りがそれを拡大し、ついにはメディア業界全体の危機がひき起こされるという事態は、初めてのことではない。

比較対象としては不適切かもしれないが、中央銀行が金融政策を実施し、その効果を「つつがなく」浸透させていくには、特に金融市場とのコミュニケーションが致命的な重要性をもつのが現代という時代である。そして金融市場だけではなく、それを取り巻く国民全体の視線もまた中央銀行がとりうる選択肢を左右してしまう。政策当局も、毎日、毎分、毎秒、常に《世論》の変化を警戒しながら注意する。今は、そんな時代である。

にもかかわらず、その「世論」たるや、どこの誰を指すのか、心理学でいうゲシュタルトのようなもので、霧の彼方にあるような、ワイドショーのことなのか、ネットの反応のことなのか、はたまた「週刊文春」や「週刊新潮」のことなのか、どれも正しいようで、実はよく分からない……

こうした世相が、善いのか悪いのか、小生にはまだハッキリしない。「民主主義的になって来た」と言えば、その通りかもしれないが、近代化以降の日本の歴史をみても、「だからイイ」とは到底言いかねる。この点では、小生は今なお《功利主義的価値観》に共感を覚える。要するに、好い結果をもたらす体制が、その時代のその国民にとって最良の選択だと思う。この点は、前稿でも述べている。

で、話しを戻すと、フジテレビの経営体制自体が問題とされるに至っている。

これと関係するかどうか、日本経済新聞に米メディア・CNNの経営改革が報道されている。主な部分を抜粋して引用させてもらいたい:

米報道局CNNが全従業員の約6%にあたる人員削減を計画していることが分かった。低迷しているケーブルテレビ事業に関連する社員を中心に200人程度が対象になるとみられる。既存事業の人材は削減する一方で、エンジニアなどのテック人材を新規雇用してデジタル対応を進める。

人員削減計画はマーク・トンプソン最高経営責任者(CEO)が23日、社員向けに送った書簡で明らかになった。……

テレビ放送は横広の画面が定番だったが、スマホの普及で縦型の動画に慣れた世代が台頭している。トンプソン氏はこうした需要に対応するため、ニュース報道を縦の画面で迅速に配信する仕組みの構築などに力を入れていくとみられる。2030年までに10億ドルのデジタル収入の達成を経営目標に据える。実現に向け、25年前半だけで100人以上を新規雇用することを目指すという。

Source:日本経済新聞
Date:2025年1月24日 4:16 (2025年1月24日 6:37更新)
URL:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN23EN40T20C25A1000000/

ちなみに、CEOのトンプソン氏だが、これまでの実績が以下のように紹介されている:
トンプソン氏は23年10月、CNNのCEOに就任した。英BBCの会長を経て、米新聞大手ニューヨーク・タイムズ(NYT)のCEOを務めた人物だ。ほかの新聞社と同様にネットの台頭で苦戦していたNYTを、任期8年間でデジタル時代に対応した新聞社に改革した手腕で知られる。

何だかフジテレビの社員が憐れに感じるのは小生だけだろうか?

今は休んでいるが、The New York TimesのWEB版は小生も購読してきた。毎月の購読料は(円安と2年間割引があるが)概ね400円で、日経のほぼ10分の1の金額だった。BBCの活動ぶりは周知のとおり。Amazonのチャンネルでも利用できるので一時視聴していたことがある。課金は忘れたが、確か毎月△百円であったかと記憶している。

プロスポーツの世界では、有能な監督・指導者は世界市場でオファーを受けながら、選手がプロであるのと同じく、指導陣もプロとして活動している。芸術分野もとっくにそうである。アカデミックな研究者もプロはプロとしてグローバルに移動しながら自分の仕事に没頭している。そういう体制にしなければ、どの大学も優秀な人材がやってこない。結果として、「田舎の大学」に落ちぶれる。メジャーリーグの大谷選手、ダルビッシュ選手の生き方を見れば、もう《プロフェッショナル》の何たるかが日本人の誰もに可視化されているわけだ。

企業経営者も同じように位置付けられている。経営は経営のプロが担って、企業として最高のパフォーマンスを出すべきである。その経営のプロが日本人であるか、外国人であるかは、企業経営そのものにとって本質ではない。


日本の企業は、何かと言えば世界の真似をして、《企業の社会的責任》を口にするが、それもイイが、その企業に出資している《投資家への責任》を果たすことが、民間企業の最低限果たすべき責任である。

投資家への責任を果たすことを前提に、更に社会的責任も全うするべきだ。投資家への責任も果たせないボンクラな経営者が、もっとハイレベルの社会的責任など果たせるわけがないだろう。投資家より社会が大事だと考える御仁が、日本社会の過半数を占めているなら、とっくの昔に日本共産党が政権をとっている理屈だ。

この辺り、日本人は《資本主義》の何たるかの理解が生煮えのまま、《社会的責任》というキーワードが輸入されてきたので、これまた生煮えの理解のままマスコミが使っている。

すべて生煮えである。

何だか、世界の潮流がやって来るごとに、東京の人、大都市の人、田舎の人が、順々に右往左往しながら、忙しくしているだけのように観える。

勉強ばかりで、肝心の生産性が上がるわけがない。成長するはずもない。

滑稽である。


一つ一つの概念を消化して、普段の行動につなげて、その後で語ることが大事で、この程度のことは日本人の誰もが当たり前のこととして出来ていたと思う。

バカになったのか、教育の失敗か定かでないが、以前の日本人には出来ていたことが現在は出来なくなっている。そんな印象があって仕方がない。

口から先、言葉から先に入るのは、《一知半解》というものだ。学んで、実践して、経験知を増やして初めて身につく。これをさぼれば、ポンコツはポンコツのままだ。

貧すれば鈍す

負けがこんでくると普段できていたことも出来なくなる

アスリートによくあるこんな混乱状態に、日本の官民、メディア、国民すべてが、落ちているのじゃあないか?

明治の初めのように外国人を招いて教えを請う時代がまたやって来たのかもしれません。日本国内の人材養成からやり直さなければどうにもなりません。

そう感じる今日この頃であります。

【加筆修正:2025-01-27、01-29】



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